2021/04/24

ITは復興の役に立てるのか

 ■ITは復興の役に立てるのか

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/1/12(土) 9:11ー


 2011年3月11日。それはIT政策の転換をも促しました。ぼくは震災から間もなく、目の前の「復旧」以上に長期的な「復興」に向かうことと、「ITを」復興させることよりも「ITで」復興させることに力を入れることが大事との考えから、3本柱の提案を掲げました。

1. ネットワークの再設計

 今回はネットが活躍した。パケット通信の威力が初めて実証された。今後、デバイスはマルチになり、ネットワークはクラウドに移行する。新しいメディア環境が必要となる。 アメリカが核戦争に備えITの研究開発を進めたように、日本は自然災害に立ち向かう技術を研究開発し、強い国土を建設すべき。

2. 海外への情報発信

 震災後、海外メディアが冷静で毅然とした日本を賞賛する報道が目立った。しかし、その後の原発対応で、日本のイメージは悪くなった。海外メディアを買うなりして、正確な情報を発信しよう。

3. IT利用促進

 被災地でネットが使えたとはいえ、高齢者の普及はまだ低い。情報格差の是正、情報リテラシー教育の充実が必須。被災地対策ではなく、全国の情報化策だ。

 これは一例です。当時、さまざまな方が多様な提案を抱いていました。そういう方々の場を用意したい。そう考え、2011年4月、慶應義塾大学で「IT復興円卓会議」を開催しました。政治、政府、産業界、NPO、言論界、学界など50名程度によるラウンドテーブルです。「日本の復興にはITの整備・利用が重要。総力を発揮しよう。」とする提言をまとめ、政党・政府に託しました。  http://ithukko.com/

 しかし、これには批判も寄せられました。議論が全く不十分だというのです。そこで、IT復興策のニコニコ生放送を7回シリーズで提供することにしました。テーマは1)行政、2)メディア、3)通信、4)ソーシャル、5)ボランティア、6)政治、7)総括。私が司会を務め、佐々木俊尚さん、池田信夫さんらに主導してもらいつつ、テーマごとにゲストを招きました。

 毎回、突っ込んだ議論が見られました。それを通じ、明らかになったこともあります。例えば第6回「政治」の回。自民党世耕弘成参議院議員、民主党藤末建三参議院議員、高井崇志(前)衆議院議員と池田信夫さん。

 当時、民主党政権。総理大臣はコロコロ変わり、TPPや 消費税増税などゴタゴタは収まらず、あれほどの震災があったにも関わらず政治は混迷。復興庁ができたのが震災から1年後というのはあまりに遅い。

 そんな批判に対し、世耕議員は「復興に関しては国会は機能した」とし、被災者への賠償金や補償策について与野党の協力を強調。民主党内閣が出来ないことに関しては野党・自民党が議員立法を提出する、あるいは内閣が出してきた法案について野党が提言をし、修正を行うといったやりとりを何度も行ったといいます。

 IT政策を巡っても、官僚VS政治か、政治主導か霞が関かという議論が繰り返されてきましたが、そうではなく、震災を機に行政府から立法府に機能が移行したといいます。再度の政権交代でまた揺れ戻しがあるかもしれませんが、少なくともITに関しては与野党の意見は近く、後はどう実行するかです。強烈なリーダーシップが必要です。

 池田信夫さんは「復興には分権化、権限移譲が必要。一方、今後の災害への対応には集権化が必要だ。縦割り官庁をしっかり集権化すべき。震災の教訓は学んで欲しい」と説きます。

 IT復興会議はひとまず終了しました。政権はまた交代しました。だが、復興への取組は道半ば。ITが復興にどう貢献できるかの答えも出ていません。政局は無縁。政治、産官学が一つの方角を向きたいものです。


巨人の星のころ

 ■巨人の星のころ

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/1/5(土) 9:02ー


 インド、コルカタで年を越しました。かつてカルカッタと呼ばれていた都市。起き抜けに宿のテレビをつけると、新番組「SURAJ」第1回が始まりました。クリケットの世界を生き抜くインド版「巨人の星」です。スズキ、ANA、日清食品、ダイキンらとタイアップし、日本のポップカルチャーとリアルビジネスとの連携プレイが注目されています。

 重いコンダラもオロナミンCのCMもありませんが、とうちゃんは食卓をひっくり返し、養成ギブスも登場します。あばら屋の貧困層と高級車(スズキ)を乗り回す青年との格差も描かれます。60年代の日本と現代のインドを比べれば、バンガロールのIT企業のように、インドが圧倒的に走っている面もあれば、今も野良犬、路上生活者、物乞いにあふれるコルカタの街角のように、60年代の日本に遠く至らない面もあります。

 巨人の星をリアルタイムで見ていた40数年前。静岡市立田町小学校に通っていました。「岸辺に建てる学舎は」校歌の一部、ここだけ覚えている。ある日ふと思い出し、全体の歌詞が知りたい、そう思って検索してみました。学校サイトに卒業生ゲスト講演会の報告が掲載されています。明治大学齋藤孝先生とある。日本語を声に出す先生だ。在校時期を見ると、ぼくと同学年だ。ふうん、かつて、そこに、一緒に、いたのね。記憶をたどると、思いがけず何かにつながる歳になったということでしょうか。

 よし、行ってみよう。少し前の夏、静岡を訪ねました。小学校の向かいの文房具店、正門のたたずまい、木立ち、そうそう、記憶のままだ。広大な校庭。こんなに広かったのか。普通、昔の記憶をたどって現地に赴くと、こんなに狭かったかと思うものですが、ここは逆です。子どもには広大すぎて、そのイメージが飛んでいる。海、のようなものか。校庭の向こう、フェンスの先には、別のグラウンドがあります。静岡商業高校です。野球部が炎天下、さかんに声をあげています。

 ぼくが小学校2年生のとき、そのグラウンドには高校1年生エース、新浦寿夫投手がいました。岸辺の学舎の、その川は安倍川。川原には掘っ立て小屋がてんでバラバラにたくさん建っていて、屋根を川原の石で押さえてある、台風が来たら流されてしまう、そんな集落。

 新浦さんはそのあたりに住んでいて、ヒーローでした。甲子園決勝で大阪・興国高校に1-0で敗れた1年生本格左腕。事情があって、1年生で巨人に入団。まるで巨人の星のストーリーそのままです。学校の図画の時間、甲子園準優勝で市内をパレードした新浦さんの絵を描いたことを覚えています。

 その川原。ぼくは放課後よく遊びに行きました。金谷くんや森くんたちとキャッチボールしたり、砂を掘ってケラをつかまえたり、その近所の兄さん姉さんたちにスイカ食わせてもらったりした、あの川原。

  そこは、野球場とゲートボール会場に成り果てていました。あの不安定な家も、お兄さんもお姉さんも誰もおらず、野原でゲートボールに興ずる老人だけがいました。ぽっかりと、風が吹いていました。それを受け止める木々のざわめきも、あのころ漂っていた悲喜こもごも混じり合ったニオイも、一切合切が消し去られていました。

 川の向こう、ぽっかりと森が見えます。木枯らしの森って呼んでたんじゃなかったか。あそこにブースカとチャメゴンが撮影に来たことがあったな、ブースカの頭、かぶらせてもらったな。記憶を刻んでおいて、いずれ誰かが紡げるようにしておこう・・。

 近代化の名の下に捨て去られ、忘れられていくものがあります。その後に残るのは、荒涼とした風だけだったりします。集落の記憶も、いずれ風になってしまうのかもしれません。コルカタの雑踏の喧噪も腐臭も、インドの発展とともに消し去られるかもしれません。みんなそれを望んでいるんでしょう。SURAJはクリケットで成功し、スーパーカーに乗るんでしょう。私たちが飛雄馬に投影して大リーグボールのまねごとをしたように、インドの子どもたちはSURAJを自分に投影し、高度成長の夢を描く。でも、勝手な言いぐさではあるけれど、いまこの目の前のコルカタの姿を、音を、ニオイを、いとおしい記憶として、自分に刻んでおこう。そう思いました。

 謹賀新年。


タブーが破れたデジタル教科書

 ■タブーが破れたデジタル教科書

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/12/29(土) 9:21ー


 デジタル教科書。2年前に協議会を作りましたが、そう簡単には動きません。だいいちデジタル教科書などとうたってはいますが、デジタル教科書は存在しません。法律上、教科書は「図書」と定義されていて、つまり、紙でないと認められないのです。いくらデジタルががんばっても教科書にはなれないのです。

 早く教科書になりたい!暗い定めを吹き飛ばすには、教科書の法的な位置付け、検定制度との関わり、著作権法上の扱い、の3大テーマに取り組む必要があります。しかしそれも実証研究を待て、という理屈に政府から門前払いを食ってきました。民間企業としても政府の反発を恐れ、表向きは言い出しにくいことでした。ずっとタブーだったのです。

 しかし、もう待ってられないよ。ぼくは新参者だから、叱られたっていいや。ということで、4月に「デジタル教科書実現のための制度改正」を求める政策提言を発出しました。機が熟していたんですかねぇ。その後、化学反応が起こりました。

 民主党、自民党、公明党ともに、「前向きにやりましょう」、「基本法を作ろう」、温度差はありながら、基本的に好感触が返ってきました。政局がガタついていたせいもあるんでしょう。

 すると霞ヶ関の反応も変わってきました。5月末には、首相以下全閣僚が出席する知財本部会合で、デジタル教科書の法的位置付け、検定制度、著作権の3大テーマを「検討する」という文書が正式決定をみました。

 驚きました。タブーが破れました。これで入口に立ちました。しかも、政府文書では、実証研究と同時並行に検討を進めることも明記されました。それでもまだ「検討」するに過ぎません。これを「実現」するまでやらねばなりません。さあ、早くやろう。

 しかし、過去20年以上この分野の研究が続けられながら、タブーを破る議論にならなかったのはなぜなのでしょう?今回ぼくはよくわかりました。要するにやる気がなかったんですよ。これに携わってきた全員に。永田町も霞ヶ関も学界もね。

 ここはやる気のある人たちを募って、次のステージに進みたい。そこで、この機に「教育情報化ステイトメント」を公表し、賛同者を集めることにしました。ここです。

 http://mirainomanabi.net/

 多くの有識者が賛同を表明してくれています。東浩紀さん、猪子寿之さん、大崎洋さん、角川歴彦さん、川上量生さん、河口洋一郎さん、季里さん、佐々木かをりさん、佐々木俊尚さん、白河桃子さん、孫正義・孫泰蔵兄弟、田中孝司さん、津田大介さん、夏野剛さん、中山信弘さん、村上憲郎さん、茂木健一郎さん・・・。

 さらに重要なことは、1月足らずで全国50近くの自治体の首長が賛同の声を寄せてきたことです。政府は動き出したというものの、予算を仕分けてしまうなど、全面的に信頼をするわけにはいきません。この動きは地方から、現場から盛り上げていく必要があります。

 教育情報化は、東京で政府のドアをドンドン叩くのが第一ステージとすれば、やる気のある首長たちと全国で風を起こしていく第二ステージに入ったと言えるでしょう。


大学はデジタルに悩みます。

 ■大学はデジタルに悩みます。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/12/22(土) 11:08ー


 渓谷の上に切り立つハイデルベルク城を望むネッカー川。河畔のハイデルベルク大学は、1386年創設、ドイツ最古の大学です。旧聖堂は椅子と椅子の間が窮屈な、厳かで光の乏しい空間。背筋が伸びます。

 ルールに逆らって暴れる輩もいたんですね。むかしの学生牢が残されています。治外法権の大学自治を体現し、違反したヤツを閉じ込めておいた。その連中が壁の全てのスペースに落書きをし、反抗と学生の矜持とを歴史に刻んでいます。

 でも、学外=社会のルールに処分を委ねず、身内に止め置いて飲み食いさせて落とし前をつけさせるなんて、温かい処置ですね。川に放り出して世間の者どもに処置させれば安上がりなのに。大学自治というのは、そういうコストをかけるということなのでしょう。

 

 時に大学のことが頭によぎると、自分と大学との距離を確認することになります。

 小学校のころ、近くにあった京都大学はいつも争乱でした。ヘルメットにゲバ棒のお兄さんたちと機動隊とが衝突していて、火炎瓶で火だるまになる人を見物しに行きました。酔っぱらったヤジ馬が「学生がんばれ~」と怒鳴っていました。

 それから十年ぐらい経ち、自分がその門をくぐりました。学生運動が終焉していたとはいえ、「四畳半神話体系」の舞台となった大学の時計台には「竹本処分粉砕」との落書きが往時をとどめ、少ないながらもヘルメットとマスクはうろついていて、自分は西部講堂という第一勧銀7千万円強奪犯が逃げ込んでもわからなかったという実に治外法権の場所で過ごしていたため、フツーの感覚とは違います。それがいま教壇に立つという恐れ多いことをしているので、しばしば距離感を確かめてみるのです。

 ぼくは、学生に「教える」気はありません。ぼくの役割は、知識を伝えることではない。その能力もない。だいいち大学院は教師が教える場所ではなく、学生が学ぶ場所。そしてデジタル化が自ら学ぶ可能性を格段に広げます。ぼくにできるのは、こうやって学べばよいというヒントと場を提供することです。ぼくは産学プロジェクトを回しながら、その機会を与えようと思っています。

 しかし、デジタルは厄介なこともしでかします。2011年、震災の少し前に発覚した京都大学入試事件。ケータイでYahoo!知恵袋に答えを求めたソーシャルな受験生は、警察に逮捕されました。処分は即刻、外部に委ねられました。大学自治という葛藤や逡巡は見られませんでした。イカンことはイカン。でも、昔ならタテカンが建ってビラが舞うぐらいの問いかけがあったんじゃ?

 それよりも。ケータイからYahoo!知恵袋への発信というのは、文部科学省が推奨する「教え合い・学び合い」のデジタル版ではないか?これからの社会に必要な能力はそーゆーことではないか?そーゆー能力を育て、発掘することを考える前に、タイホせざるを得ない大学や社会や大人にこそ問題があるのでは?

 高等教育のあり方ってやつは、何十年、いや何百年もかかって積み上げられ今日に至ります。一方、授業をネットで無料公開する有名大学も増え、知と社会との関わりも急速に変わります。大学は、悩みどころ。ぼくも悩もうと思います。


コンテンツを元気にするには

 ■コンテンツを元気にするには

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/12/15(土) 8:26ー


 「コンテンツ」という言葉は90年代半ばに登場しました。映画やテレビ番組や本やCDやDVDなどの情報作品のことですね。この14兆円産業に政府も期待を寄せて、5兆円拡大させるぞなんて目標も掲げました。だけど、近ごろパッとしません。補助金をくれたり著作権法をいじったりしてきてはいるが、この数年、市場は縮小し、アニメや音楽などのジャンルは韓国に押されっぱなしです。

 史上最大のコンテンツ政策は何? ぼくは、1957年の岸内閣、39歳で郵政大臣に就任した田中角栄氏が民放34社に一斉免許を与えたことだと思います。テレビ産業を拡大させ、日本コンテンツの大本となる産業を成立させたんです。コンテンツを元気にするには、ちまちまと補助金をまくより、電波を開放して新しいメディアを一気に形作るような、ダイナミックな政策プランと政治力が求められます。

 事態は急変しています。コンテンツ市場が縮小する一方、ソーシャルサービスは伸びています。 mixiにしろtwitterにしろニコ動にしろFacebookにしろ、ソーシャルはコミュニケーション、つまりシロウトの個人が作る情報=コンテンツで成り立つサービスです。

 デジタル化がもたらした最大の効果は何? ぼくは、コンテンツの作り手を増やしたことだと思います。あらゆる人がPCやケータイで情報を発信するようになったことで、情報量が爆発的に増大しました。95年からの10年間でコンテンツ市場の伸びは5.8%。その間、日本の情報発信量は20.9倍に増えています。産業は伸びなくてもコンテンツは活発に生まれています。そこがポイント。

 コミュニケーション=個人コンテンツは、通信産業としてカウントされます。自分でコンテンツを作って発信し、そのコスト=通信料も自分で負担する仕組みでできあがっている市場です。通信市場は年間15兆円。デジタル化は、コンテンツ14兆円とコミュニケーション15兆円を一体にさせる。その計だいたい30兆円市場をどう切り盛りするかが政策課題。

 コンテンツ+ソーシャルを軸に据えた政策パッケージがほしい。

 まず、コンテンツ産業へドンとおカネが回るようにします。コンテンツ産業の法人税を撤廃したり、文化活動への寄付を優遇する税制を創設したりする。電波監視や研究開発等に限定されている「電波利用料」の使い道をコンテンツ制作へも拡げる。

 日本のソーシャル力を守り、育てます。コミケ、ニコニコ超会議、初音ミク及びそれに類するものを奨励したり、外敵から保護したり。海外への発信力のあるポップカルチャーサイトに中・韓・英・仏・西・露の多言語翻訳をつけてやったり。

 流通を確保します。日本コンテンツ向けの海外メディア枠、つまりテレビチャンネルを買い取っちゃう。著作権も問題ですね。著作権特区を作って新ビジネスモデルを試させる。

 アイディアはいくらでもあります。必要なのは実行する政治力、ですね。


デジタルサイネージ大国

■デジタルサイネージ大国

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」 2012/12/8(土) 10:07


 デジタルサイネージって知ってます? 街に広がる電子看板のことです。ビルの壁、駅ナカ、コンビニのレジ、屋外も屋内も、ネット化された大小のディスプレイで埋め尽くそう。この新しいメディアを1兆円産業にしよう。テレビ、PC、ケータイに次ぐ第4のメディアに発展させよう。

 このため「デジタルサイネージコンソーシアム」を結成して5年が経ちました。会員社は118社。ぼくが理事長を務めています。発足当初は、電子看板、アウトオブホームメディア、さまざまな呼び方があったんですが、ほぼ「デジタルサイネージ」というぼんやりした呼称に統一されました。だって、看板じゃない非広告タイプが多いし、屋内のも多いし。まだ概念が固まらないぼんやりしたメディアなのです。

 ただ、動きは速い。この間まで、あそこにサイネージができた、ここにもディスプレイが置かれた、といった一つ一つがニュースとなっていましたが、今や都会ではサイネージのない場所を探す方が難しい。どこにでもあるでしょ?しかもブロードバンド大国たる日本のサイネージは、街を行くひとびとに一方的に情報を与えるだけでなく、インタラクティブに使われるメディアへと進化しています。

 サイネージの整備は世界同時進行。そして、ディスプレイを製造する「技術力」も、サイネージ向けのポップなコンテンツを産み出す「文化力」も兼ね備え、日本は総合力で世界をリードする条件も満たしています。既にサイネージ大国なのです。チャンスなのです。ふふふ。

 ここ数年、サイネージはさらに大きな変化を示しています。「3P」です。もう一度、堂々と言います。3Pです。

1. パーソナル

 商業施設へ普及してきたサイネージ。それが今度は家庭の中にも進出し始めました。フォトフレームやタブレットPCをブロードバンドにつなぎ、茶の間に情報を届けるサイネージが商用化されています。テレビ、PC、ケータイとは違う、24時間スイッチオンのサイネージが家の中にも居場所をみつけたのです。光ファイバーが浸透した日本が世界に先行しています。

2. パブリック

  サイネージは広告メディアだと目されていました。しかし企業は広告媒体として使うだけではない。一般のオフィスでも、職員の情報共有のためにサイネージが活用されています。さらに学校、病院、役所でも広がっています。授業の情報や就職案内をディスプレイ表示する大学。診察室への誘導、支払いや投薬の情報を画面で表示する病院。街路の画面で防災情報を流す自治体。みんなで見るサイネージはパブリックな利用から先行的に広がっていく可能性が十分にあります。

3. ポップ

  ポップカルチャーの国、日本ならではのモデルもあります。自動販売機サイネージ。ゲーム機やカラオケやパチンコと連動したサイネージ。アニメキャラを登場させた目を引くコンテンツ。ウォシュレットを作った国なので、トイレサイネージも開発されています。いけいけ。

 そして震災後、より便利で役立つメディアへ、よりネットワークでつながるメディアへ、よりソーシャルで参加できるメディアへとさらに進化している日本のサイネージ。目が離せませんよ。


起業を持ち上げすぎるのもねぇ。

■起業を持ち上げすぎるのもねぇ。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/12/1(土) 9:02


 起業ばやり。特に「社会起業」ってやつが注目されてますな。すばらしい!サラリーマンになるばかりじゃなく、若者が自分でコトを始めることで、生き様や社会の間口が広がって活気が漲る。そのための環境も整えるべき。ぼくはそのために汗をかいています。

 でもね、もてはやしすぎには違和感も覚えます。起業はあくまでアクションであり、ハウツーです。大事なのは、What。それで何をするのか。社会をどう変えるのか。その中味とボリューム。ビジネス起業と同じで、あくまで成功したかどうかが肝心です。起業家個人は業績で評価しないとね。

 違和感というのは、起業する人たちにじゃなくて、それを評価する社会の側に対して。ビジネス起業にしろ、社会起業にしろ、経済社会へのインパクトが乏しい段階で、自伝や啓発書が出版されて注目を浴びるケースが目立つ。その評価法ってのは健全じゃないよなぁ、というか、そういうのがあっても賑やかでOKなんだけど、そんな言説が社会の真ん中に居座るとジャマだなぁと思うわけです。繰り返しますが、これはそのプレイヤーの問題じゃなくて、駆け出しを持ち上げてトレンド稼業を企む大人の側の問題です。

 例えばぼくはNPO、社団、会社、コンソーシアムなど10個以上「社会起業」してますが、いくつか離陸したのもあればトホホな失敗も数多く、それをスッ飛ばして起業したこと自体だけで評価されるのは困ります。ところが風潮は、社会起業ドヤ顔で、オール礼賛なのが気味悪い。

 松下幸之助さんやジョブスさんがビジネスを通じて社会を明るくした、それは大いなる社会貢献。 世界の衣生活を一変させたユニクロ柳井さんや、ぼくが社外取締役を務める保育園経営のJPホールディングス山口代表の功績は、社会起業の観点でも高く評価したい。その上で、NPO立ち上げましたドヤ顔の坊ちゃん嬢ちゃんを可愛がる、そんなバランスが欲しいです。

 いやね、虚言が跋扈してると思うんですよ。ボリュームのある中味、現実世界に影響を与えるアクションが伴わない口先三寸や自己プロデュースがウケてることに対するじれったさと言えばいいですかね。もっと「本物」に光を当てたい。

 普段ぼくはWhatよりHowが大事だと強調しています。きちんとしたWhat=すべきことがあり、それをアイディアで終わらせず実現するためには、Whatの10倍、どう遂行するか=Howが大事だということです。足腰を強化しよう、ということです。

 でも今日言いたいのはその逆で、そもそものWhatを見る目が曇っていて、ヘンテコなHowがのさばってるよ、という現状。Whatがゼロなら、いくらHowを10倍にしても、アウトプットはゼロですから。

 ぼくらの先輩は、うんと骨太でした。ベンチャーといえばソニーやホンダ。思い切り世界でフルスイングしていました。体制に身を寄せずベンチャーにも進めないドロップアウトは、学生運動で火だるまになり、社会起業=革命で山荘に立て籠もったり海外で乱射したりしました。Whatのスケールや気迫が違っていました。

 そのスケールやリスクを取り戻せ、なんて無責任なことは申しません。おマエどうなんだ、って話ですから。ただ、少々光の当て方を変えてみたい。バランスを引き戻したい。そのためには、社会貢献のプロジェクトを自分で推し進めたり支援したりして実証していく。それしかないかなぁと思っております。


2021/04/23

第二、第三の初音ミクを

 ■第二、第三の初音ミクを

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/11/24(土) 8:03


 初音ミク様。呼び捨てにするのがはばかられる偉人です。もう5年も前に誕生した音声合成DTMソフトが3万6000曲の作品を生み出し、10万を超える作品の動画がアップされ、再生回数が数百万回にのぼるという、世界最大の持ち歌を誇る歌手に育ちました。


 今年1月、ロンドン五輪のオープニングを歌って欲しいアーティスト投票で、並みいるアーティストを抑えて1位を獲得、それも海外のサイトからの投票が多かったといいます。アメリカで初音ミクのライブを開くと、ほとんどの客が日本語でミクの曲を合唱するといいます。


 初音ミクのパワー源は「技術、ポップ、みんな」の3点だと思います。


 まず、ボーカロイドという「技術」。誰もが専属歌手を持つことができるようにした技術。作詞・作曲から演奏への壁を取り除き、一流のプロも使う歌唱クオリティを開放したわけです。


 そして、カワイイ「ポップ」なキャラクターという身体性を与えた映像表現。16歳、158cm、42kg、これぞ萌え、という要素を盛り込んだコンテンツです。ものづくり力=技術と、表現力=コンテンツという日本の2大強みをドッキングしたところに実像を結んだのです。


 さらに、「みんな」が作る産業文化の形成。ニコ動やYouTubeといったソーシャルメディアで二次創作、n次創作と曲や映像の連鎖が広がりました。作詞・作曲する人もいれば、映像を作る、歌う、演奏する、コスプレ、踊る、さまざまな様式での参加が許され、奨励される。ユーザによる創作、共有、拡散の文化です。


 ソフトウェアのオープンソースは、技術の増殖でした。初音ミクはコンテンツのオープンソース。文化の増殖です。誰もがマンガを落書きし、誰もがタテ笛を吹くことができる「みんなの表現力」がクールジャパンの源。初音ミクの産業文化が日本から生まれたのは必然です。


 すんなり海を渡りました。J-Popとアニメの組み合わせが国境を越え、伝搬力、発信力を発揮しました。初音ミクの発声技術は日本語を前提にしているのですが、それがかえって日本語の魅力を発信するのに役立っています。


 いまやミクは国際アイドル。これから世界的にスマホやソーシャルサービスの利用が本格化していきます。世界市場でのコンテンツビジネスも期待できます。「リアル」の市場も期待できます。既にオモチャやお菓子などのグッズが販売されています。ライブやコスプレイベントを展開するなど、ユーザの「もりあがり」をビジネスにしていく路線も広がります。


 ユーザみんなが自分で作品を作る、という新しいビジネス。みんなで1人のキャラクターを使って作品や商品を生むというのは、これから発展が見込めるビジネスモデルでしょう。


 課題もあります。次々とユーザが作り、ビジネスが生まれていく、その権利や処理ルールをどうするのか。さまざまな企業が関連してくることにより、係争も発生するかもしれません。


 さらに大きな課題は、第二、第三の初音ミクをどう生んでいくのか、長期的な環境の整備です。たまたま生まれ、みんなで育てた初音ミク。大人から見たら眉をひそめるような文化かもしれませんが、それが日本を背負って海外で日本の評価を高めてくれている。こうした創造性あふれるよい子を、もっともっと生み続けたい。そのメカニズムを今のうちに築いておきたいものです。


2021/04/14

テレビは融合からスマートへ

■テレビは融合からスマートへ

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/11/17(土) 8:30ー


 地デジカくん、このごろ見ませんね。どこに行ったんだろう?

 地デジ、地上波放送のデジタル化は2011年に完成しました。20年前にはタブーでした。アナログのテレビを死守、が業界と政府の一致した意見。94年に政策が転換され、ようやく実現したんです。高速ネットの全国整備も行われ、日本は放送・通信ともにデジタル融合ネットワークが完成しました。

 「通信・放送の融合」。2007年にホリエモンがフジサンケイグループを買収したいと言い出しクローズアップされた言葉ですが、これも2011年に場面が転換しました。激しい論議を経て、いわゆる「通信・放送融合法制」が成立、同じ周波数を通信にも放送にも使うことができるなど世界でも画期的な規制緩和が断行されました。日本は優れた環境が整ったのです。

 「融合」も20年も前から議論されてきました。これもかつてはタブー。放送業界は放送にITが侵入することに否定的だったんです。しかし近頃はネット配信や、ケータイ向け放送や、見逃しIP視聴などに力を入れています。NHKは2008年末にNHKオンデマンドをスタート。民放各局も徐々に番組を配信し始めました。ネット事業が黒字転換をみせるようになり、吉本興業やエイベックスなど番組制作側も積極的に攻めています。

 ただ、海外と比べたら、未だヘッピリ腰。NHKオンデマンドに先行すること3年の2006年1月、米国でグーグル、ヤフー、マイクロソフトがアップルに続き映像配信ビジネスを発表。これが号砲となり、対するCBS、NBCなど放送界は電光石火、これらIT企業群と提携、番組を配信し始めました。放送局主導の配信サイトhuluは日本上陸も果たしています。同時に欧州もBBC、フランスTV、ドイツZDFなど国営・公共放送局が融合を主導しました。

 さらにニューズ・コーポレーションによるダウ・ジョーンズの買収、マイクロソフトとヤフー、グーグルを巡る攻防、グーグルによるモトローラ・モビリティの買収など、もはや通信・放送という狭い枠組は色あせて、新聞、出版、コンピュータなどメディア全体を巻き込む世界的な再編劇が繰り広げられています。ここに日本企業の出番はありません。

 しかも、です。後追いながら日本がようやく融合路線にアクセルをふかし始めたとたん、世界の舞台も改まりました。「スマートテレビ」です。PC、スマホ、タブレットのマルチスクリーンが広がる中で、この1-2年、改めてテレビのスマート化が話題となっています。

 グーグル、アップルらかつて号砲を鳴らした陣営がスマートを合い言葉にテレビ画面を奪いに来ているのに対し、タイムワーナー、コムキャストら放送陣営もチャンスとばかりに動く。AT&Tやヴェライゾンなど通信会社も本気。欧州でもBBCがBTと組むなど、以前の融合バトルと同じ様相です。

 スマートテレビは、テレビとネットが結合し、ソーシャルサービスとも連動した新しいサービス。ただ、まだどの陣営も明確なモデルを描けてはいません。進路が見通せません。融合で出遅れた日本。スマートではどうか? 実は放送、IT、メーカ、さまざまなトライアルが走っています。遅れを逆手に取って、スマートでは逆転したい!


日本の学校を世界一のデジタル環境に

■日本の学校を世界一のデジタル環境に

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/11/10(土) 8:24ー


 タブレットパソコンで「未来の学校」の絵を描いた。先生はみんなの絵を電子黒板で見せる。そして、実際に設計できそうか、意見を聞く。みんなが書き込む。話もする。どんな学校がいいの。正解は1つじゃない。考える。


 授業の模様は家からも見られる。帰ると、家族がアイデアを出す。明日、学校で発表してみようと思う。 地域の人も見る。給食に意見のあるスーパーの経営者が未来の学校を考える授業に来てくれることになった。


 そんな近未来はどうです?いずれ学校でも家庭でも、情報端末やデジタル教材を使って、これまでにない教育・学習ができるようになります。日本の子どもたちに豊かな環境を与えたいですよね?


日本の教育はヤバい。OECD生徒の学習到達度調査2009年度の結果は、数学的リテラシー9位、科学的リテラシー5位。2000年度に数学的リテラシーで1位、科学的リテラシーで2位を誇った日本の成績はガタガタと下がったんです。


 日本は教育に対する公的支出の対GDP比がOECD諸国で最低レベルで、子どもたちが学習に使えるコンピュータなどの機材も恵まれていない状況にあります。不登校児童も増え続けていて、勉強に対する意欲も国際的にみて低いんです。


 そこで情報化の出番。学力や学習意欲の向上に情報化が寄与するという評価はほぼ定着しています。ところが、日本は動きが遅かった。欧米は言うに及ばず、韓国やシンガポールは2013年にPC1人1台環境でデジタル教科書の本格利用を予定しています。日本の政府目標は2020年ですから、7年!も遅れてしまいます。


 「100ドルパソコン構想」。世界中の子どもたちに1人1台、PCを与え、インターネットでつなげることを目的とするMITメディアラボがスタートさせたプロジェクトです。35か国、130 万人の子どもたちが使っており、ウルグアイではすべての子どもに配布されたといいます。実はこれは、アスキー創業者の西和彦さんと私のグループが、2001年にMITに提案したアイデアがきっかけとなったものでしてね。言い出しっぺの日本が遅れているんです。くやしい。


 とはいえ、政府を頼ることもできません。フラフラしてますんでね。そこで2010年、民間でタッグを組み「デジタル教科書教材協議会」(DiTT)が設立されました。政府計画を5年前倒しし、2015年には「1人1台の情報端末でデジタル教科書が使えること」を目指しています。130社の会員企業が集い、ぼくが事務局長を務めています。


 政府は20の小中学校を選んで実証実験を進めています。ぼくらDiTTもこれと連携しつつ13の学校プロジェクトによる実証研究を始めました。現場の先生がたと問題点や方策を話し合うのはもちろんですが、ぐっと力を入れるよう国会に掛け合ったり、やる気のある知事や市町村長と協議したりしています。


 課題も山積しています。コストは誰がどう負担するのか? 学校現場は対応できるのか? 忙しい先生の負荷を増すことにならないか? 画一的な教育、無味乾燥な教育がはびこるのではないかという不安にどう答えるのか?---こういうのを全部つぶしていきます。


 学校をワクワクしたデジタル環境へと進化させたい。日本の学校を、世界一のデジタル環境にしてあげたいと思います。


ビビり列島の空気を換えません?

■ビビり列島の空気を換えません?

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2012/11/3(土) 8:36


 ある小学校がママ友同士がSNSで交わるのを禁止しているとか。学校へのクレームの元になるからとか。ううむ、あいかわらずビビってるなぁこの国は。


 昨年の震災後、被災地以外の土地で、集まりや遊びを自粛し、下を向いて歩くのが礼儀のような空気がたちこめました。テレビのCMもしばらく自粛されていました。復興に当たってはこれが最大の敵だと考え、ぼくは白い眼で視られながら「自粛を自粛」する旗を振っていました。


 震災後に始まった風潮ではありません。ビビってるなぁと明確に感じたのは、2005年の姉歯問題。建物の構造計算書を偽造していたことに始まる一連の事件です。すぐさま「建築基準法」が強化され、全国的に建設業が冷え込み、景気減速につながりました。


 多重債務問題の解消と借り手保護を理由として「貸金業法」の規制を強化し、中小企業の資金繰りが厳しくなるという事態も発生しました。医薬品をネットで売ることを禁止する「薬事法」の2009年改正も、ヤバいことはとりあえず締めとこう、という流れの結果でしょう。


 不必要な自縄や自粛、過剰な引きこもりが続きます。2009年のインフルエンザ流行も不思議な様相を呈しました。世界的な流行の中でなぜか日本だけ、老若男女がみなマスクを着用する光景を全国でみせ、海外からは日本はそんなに危険なのか?と受け止められました。


 食品偽装でも、2007年の赤福の消費期限や白い恋人の賞味期限などを巡り、ヒステリックなまでの報道や消費者の対応が見られました。そして今年のレバ刺し禁止へとつながります。いずれスシも生野菜も禁止か?


 ぼくの関わった案件では、2008年、青少年ケータイ禁止。出会い系やネットいじめがあるからといって「青少年インターネット環境整備法」の制定、そして地方自治体の条例による規制に至りました。日本が強みを持っていた産業に凍え上がるほどの冷や水を浴びせました。


 他にも、地震直後にデジタルサイネージの点灯を自粛したり、デジタル教科書の推進に不安が表明されたりするのも、個別の理由の皮をむいていくと、結局「なんとなく」やめておこうよという根拠のない消極に突き当たります。官も民も、ともにです。


 90年代には規制緩和を通じて産業を活性化する対策が多くの業界で採られましたが、この10年、安心・安全を求める声が上がるたび逆に過剰なルールが導入され、社会経済活動が萎縮して、かえって世の中が不安定になっている。縮こまりが進みすぎて、世間がコチコチに固まっている。そんな気がしません?


 マスクをすることが個々人にとって安心を増すことであったとしても、みんながマスクをしないと外出できないような空気が正常なのかどうか。景気が悪くなり、少子高齢化で国が衰え、政治も頼りにならず、みんなが内向きに縮み始めた。成長していたころは、もっと大ざっぱで、おおらかで、不潔で、適応力や危機対応力があったと思うんです。


 震災後の自粛モードは終了。世間はそう受け止めているかもしれません。でも、それ以前からの重く湿った空気は変わりません。空気を換えませんか?ビビりへの特効薬はないかもしれません。ここはとりあえず、みんなで何かを声に出してみるのがいいかも。呪文。そうですね、こうしましょう。


「レバ刺し解禁!」


リアリズムの田中角栄

 ■リアリズムの田中角栄 ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/9/7(土) 11:30ー  早野透著「田中角栄」を読んで、改めて田中政治って何だったのかなと考えています。  毀誉褒貶のチャンピオン。金権政治、官僚操縦、数々の議員立法を通した政策マン。評価はさ...