2021/09/30

テレビとネットの結合、ふたたび。

 ■テレビとネットの結合、ふたたび。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/6/1(土) 9:35ー


 テレビとネット。放送と通信。本格的につながり始めました。

 IT・エレクトロニクスの展示会「CEATEC」。2012年秋は「スマート」一色でした。スマートなテレビがたくさん姿を現していました。地デジでテレビはキレイになるだけでなく、かしこくなる。テレビとネット、テレビとスマホの組み合わせで、面白くて便利になる。もう提案レベルではなく、実サービスの段階です。

 スマートテレビだけでなく、スマート家電、スマートハウス、スマートシティなど、通信、メーカをはじめとする情報関連産業がスマートの名の下に戦略を模索する様子も明らかとなりました。

 家電メーカはネット対応のテレビを展示。SAMSUNGのスマートTVやGoogleTVのように、テレビ画面でネットのコンテンツも見られる姿とは異なり、テレビとスマホ、テレビとタブレットといったマルチスクリーン連動モデルを前面に掲げていました。さらに、冷蔵庫や洗濯機など白物家電もみなつないでスマートハウスを提案してみたり、電力供給と結びつけたスマートシティを唱えてみたりしていました。

 これは涙ぐましい努力である一方、「スマート」なるものの姿が確定しない現時点において、未来の可能性を示すものでもあろう。今回は自動車メーカも参加し、自動車とメディアの結合も数多く提案されていました。スマートテレビの可能性は、従来のテレビの延長線上ではなく、全く新しい姿を伴って提示されることになるのかもしれません。

 ぼくのグループは、放送とネット、テレビとコンピュータをつなぐことに力を入れてきました。

 その一つが、IPDC。アイピー、データキャスト。放送の電波を使って、IPプロトコルという通信技術でデータ配信することです。

 放送と通信の融合。その普及を目指して、「IPDCフォーラム」を立ち上げたのが2009年。1)規格化の検討、2)使い方の検討、3)制度化への要望に取り組んできました。ぼくが代表を務め、放送、通信、メーカ、ソフトウェア、広告など会員は40社を超えます。

  http://www.ipdcforum.org/

 当時、放送の電波に通信技術を乗せ、ハード・ソフト分離、通信・放送サービス混合、有料・無料コンテンツ混合、なんてことは、技術的にはできても制度的には夢のまた夢。このため、ユビキタス特区を作れだの、法体系を抜本改正して融合法制を作れだの、そんなことを叫んでいたので、鬼っこ扱いでした。

 しかし、地デジの全国整備が見えてきて、ブロードバンドの全国化も見えてきて、GoogleやらAppleやらも攻めてきて、事態は急展開しました。特区も法改正も実現しました。3年経ってみたら、IPDCにやおら脚光が当たるようになっていたんです。

 

 CEATEC同様、毎年幕張で開催されている放送展「InterBEE」の昨年版には、IPDCフォーラムとしてブースを出展しました。放送局主導でマルチスクリーンをコントロールする技術の具体像を示しました。特に大阪の放送局を軸に発足した「マルチスクリーン型放送研究会」(マル研)の成果を展示。12テレビ局、15番組が参加しました。

 放送番組とtwitterとを混在させたMBS「災害ニュース」、テレビとタブレットにアニメとマンガを表示させるよみうりテレビ「宇宙兄弟」など、多様なジャンルのコンテンツが日本的なダブルスクリーンモデルを模索していました。

 IPDCは放送の電波1本でテレビもタブレットやスマホなどのダブルスクリーンもカバーする仕組み。放送局が全てをコントロールする方式です。だからネット界より放送局が注目してるんですよね。

 これからの課題は、対応受信機の量産。このためには、日本だけでなく、日本の地デジ方式、ISDB-Tを採用する国々、たとえばブラジルなど南米と連携することがポイントとなります。いきなり国際対応が重要課題になっているんです。実は、ブラジル サンパウロ大学と国際連携策を進めているところです。

 通信と放送の融合を議論し続けて20年。地デジが済んで、スマホやタブレットが現れて、やっと具体像が見えてきた、そんな気がします。今年のCEATECやInterBEEではどこまで進化しているか。楽しみです。


2021/09/28

梅棹忠夫さんの案内する京都

 ■梅棹忠夫さんの案内する京都

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/25(土) 9:10ー


 梅棹忠夫さん。京都・西陣生まれ。京大人文科学研究所教授、国立民族博物館初代館長。2010年没。その大先生が1951年から65年ごろの論稿をまとめた「京都案内」。市川崑の「鍵」や市川雷蔵の「炎上」や川島雄三の「雁の寺」あたりの京都のたたずまい、いうことでんな。

 千年の首都でありながら、明治の革命とともに政治・経済力がそがれてもうて、没落する京都。故郷への愛情とシニカルな視線が交錯してるくせに、東京はじめ外部へは意図的に向ける上から目線が、微笑みを誘います。西陣という京のまん中で育った梅棹さん。ぼくも実家が西陣なんで、時代は違えど空気ははんなりわかります。

 本願寺、御所、金閣寺、賀茂川、祇園。そないな観光名所の解説はよろし。それよりも、へえ、そやったんや、そやそや、と京都人にも思わせるお話が転がってます。

 たとえば、"京都にはふしぎな店がある。清水の七味唐辛子、祇園のお香煎(シソの粉)屋など、いずれもそれだけしか売っていない。ひどく専門化したものである。" --そうどす。西陣の呉服屋で和服えらんだとき、ハカマ屋、帯屋、下駄屋、足袋屋、羽織のヒモ屋、関係ないのに和菓子屋もきて、一人の客=ぼくの相手をして、小あきないの専門店が「アテらみな400年続いてますねん」言うたはりました。はいからに言うたら、モジュール経営でんな。

 芸妓・舞妓は京都のブルジョワが金に糸目をつけずに念入りに育て上げた、とあります。徳川時代、お金をもうけても、海外貿易は禁じられ、投資対象は多くなく、"けっきょく、みんな女に投資した"。 --ええこっちゃがな。京都の姉妹都市ボストンに住んでたころ読んだ「Memories of a Geisha」いう本、旦那はん松下幸之助さんやいう噂でしたけど、そういうことでんな。現代、ブルジョワが少のなりました。ブルジョワはんらは、ビジネスに投資するばかりやのうて、文化に盛大お金使てください。

 ベンチャー育成は文化政策や思いますねん。1億円のベンチャー100社つくるんやったら、任天堂はんや京セラはんみたいな大きい会社が100億円積んだらええことですわ。経済としては。それよりベンチャー増やそいうんは、もうけた独裁の創業者が芸事やら骨董やら女やらにお金まかはるいうことでしょ。文化ですねん。やってほしことは。

 "市民はみんな比叡山にのぼったものだ。" 愛宕山は愛宕神社に、鞍馬山は鞍馬寺におまいりするためだが、比叡山は、"ただ、のぼるためにのぼった"。"修学院からまっすぐに急坂をのぼる、元気な子どもたちは、みんなこの道をあがったものだ。" 山のうえでは、"おばけ屋敷などという施設が、まいとしひらかれた。”

 西陣から北白川に移り住まはった梅棹さん。ぼくは実家が西陣やけど、小学校は北白川のもっと北の修学院で、小学校の行事で毎年その修学院から坂のぼって比叡登山させられてました。その小学校の同級生、保育園経営日本一のJPホールディングス山口洋代表も元観光庁長官ヘンタイ溝端宏も、2コ下の前原誠司先生も、そうでした。うんと下のチュートリアルの2人もそうやったと思いますよ。

 友だち同士でケーブルでヒエザン登って、おばけ屋敷行くんは楽しかった。ウラののれんくぐって入ったらタダでんねん。バット持って、出てくるおばけどついたったら、立命か産大のバイトの兄ちゃんのおばけが真顔で「どついたろか」いうて追いかけてくる、ほんま怖いおばけ屋敷やったんです。そんなガキどもばっかりでしたけど、もうつぶれましたかな、あそこ。

 "東京、大阪では、「なんだ、学生か」とあしらわれても、京都へくれば依然として「学生はん」である。" 自由主義の温床。その思想は急進的であり、その行動は矯激である。そう書いたはります。60年安保前の文章ですもんね。でも、なんも変わってへんと思います。こないだ、ホンマ久しぶりに時計台のイベントに呼ばれて大学行ったら、総長の名前書いて、「○○打倒」いう看板が正門に立ってました。ぼくが学生の時は時計台に「竹本処分粉砕」て書いたあって、まだヘルメットとマスクがいたはりましたけど、今の時代でっせ、学長打倒いう看板を正門に置いたあるて、慶應ではえらい問題になりますな。京都では屁エでもおませんな。そのへん、スキです。京大、西部講堂、残しといとくんなはれ。

 御所の周辺にある京菓子店では、「売ってくれ」などといってはしかられるという話。"「チマキのこってましたら、わけていただけまへんか」といわなければならない。御所上納ののこりものを、人民がいただくのである。" --そうなんや~。

 で、皇居を移転して、儀典都市としての京都に、天皇を戻せ、という提案が出て参ります。政府みたいなやっかいなもんはいらんさかい東京に残しといたるけど、帝は戻しとくなはれ。上から目線と慇懃が溶け合った京都らしい提案ですな。首都機能移転より楽しく議論ができるお話やと思います。

 羅城門を再建しろ、いう提案もされてます。映画や小説であこがれたラショウモンを見に来た外国人に、「もう1000年ほどまえになくなりました」というのでは "かっこうがつきません。" なるほどなぁ。京都の先人はこういうことにこだわらはったんどすなぁ。

 ぼくもこの際、何か提案してみよかな。

 う~ん、「京大入試はスマホ持ち込みアリにしろ」でどやろ。


2021/09/27

オープンデータ、がんばります。

 ■オープンデータ、がんばります。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/18(土) 11:12ー


 ビッグデータの持つ可能性を広げたい。ビッグデータで、社会を安全で便利にしたい。ビッグデータで、経済を刺激したい。

 そこで、オープンデータ。政府・自治体はじめパブリックなデータを公開し、民間が活用し、情報サービスを生んでいく運動です。

 昨年設立された「オープンデータ流通推進コンソーシアム」に私は理事として参画しています。霞ヶ関も情報公開に対し前のめりなのです。コンソーシアムが東大で開催したイベントで、総務省の阪本泰男政策統括官は「産官学連携で国際協調も進める」決意を示しました。内閣官房の奈良俊哉IT担当参事官は「政府自ら二次利用可能な形式で公開していく」ことを明言しました。

 経産省の岡田武情報プロジェクト室長は、かつて仲が悪かった経産省・総務省が手を組むと言いました。内閣、総務、文科、厚労、農水、経産、国交、財務といった仲の悪そうな省庁が一つのテーブルについて公開策を練り始めているといいます。

 私はコンソーシアムの利活用・普及委員長でもあり、多くの省庁のかたがた、自治体のリーダー、企業や研究機関のみなさんにご参加いただき、情報発信や事例開発を進めています。委員会はオープンで、毎度ネット中継しています。

 オープンデータ。注目され始めたとはいえ、まだまだ専門家の話であり、重要な課題であることを国民全体に認識してもらうには、かなりの普及活動が必要です。まず事例や成果を挙げて、積み重ねて、みんなで共有すること。イベントを開催したり、汗をかいてる人を勝手表彰したり、とにかくどんどんやります。

 ただ、企業はじめ多くの関係者を巻き込み、長期的に続け、自律させるためには、ビジネスが育っていくことがポイント。ドシドシもうけてもらいたい。私が関わっているデジタル教科書やデジタルサイネージでも、オープンなデータは教材にもなるしサイネージコンテンツにもなります。でも、いま想像・想定できない利用法やビジネスが広がるはず。これを広げ、具体化させたい。

 この1-2年でメディア環境は大きく変化しました。スマホなどのマルチスクリーン、クラウドネットワーク、そしてソーシャルサービスが普及し、膨大な情報が生産され、共有されることが認識されています。

 オープンデータはその次の次元です。これまでのコミュニケーションはP2P、人と人、1億人×1億人だったが、これからは、ぼくの周りの全てのモノ、100個ぐらいのモノがみな情報を発信する、M2M(マシン・トゥ・マシン)、モノとモノ、だから100億×100億、情報量としてはン万倍になります。新しい産業が生まれます。

 そこでコンソーシアムがすべきことは3点。

 プラスを伸ばすこと。まずはビジネスモデルを作ること。情報提供・共有のインセンティブは、今は善意に頼っています。企業として収益を上げられる道筋を作りたい。

 次に、マイナスを減らすこと。安心感を醸成することです。データがオープンになればなるほど、デジタル化に対する不安や抵抗が必ず出てきます。プライバシー保護などの運用をちゃんとしてるよ、という情報を発信したい。

 3点目は、産学官のタッグを組み続けること。政府には、最大のデータ保持者として データを出すだけでなく、カネも出してほしい。民間が立ち上がるまでの間、資金の出し手としてプレイしてくれることを期待します。業界支援策ではなく、新産業開拓策・インフラ整備策として。

  井上由里子一橋大学教授が、「政府保有データの著作権をフリーにして使わせるべきだ」と提案しています。とても重要な課題です。これは早急に実現すべく動きたい。法律の問題なのか、行政運用の問題なのか、政策論的には整理を要しますが、早く具体的な成果を得たいと思います。


2021/09/26

ビッグデータの可能性

 ■ビッグデータの可能性

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/11(土) 9:41ー


 ビッグデータ。スマホやセンサーから毎秒毎秒ガンガン出てくる膨大な情報を分析することで、ビジネス、医療、防犯、都市設計など社会経済のいろんな局面で新しい価値を生む。気象、地理、道路交通などのデータのほか、人々が発信するソーシャルメディアの情報や防犯カメラの映像など、爆発的に増大するデータが宝の山として注目を集めているのです。

 バズワードでもあり、可能性の広がるキーワードでもあります。しかし、明確な定義はまだありません。現時点では、可能性を狭めないためにも「大量の情報の集積」ぐらいの緩いとらえ方をしておけばいいと思います。

 ビッグデータは社会を豊かにすることに加え、ビジネスを広げることが期待されています。それは宣伝書などに譲るとして、ぼくは「インフラ」と「個人」の2つの可能性に注目しています。

 まず、インフラとしてのビッグデータ。

 携帯電話の利用データで地域・時間ごとの人口分布を推計できるため、防災・都市計画に役立ちます。ビッグデータ自体が社会基盤として利用されるのです。

 「アメリカが核戦争に備えてインターネットを作ったように、大震災を経験し、原発で世界に迷惑をかけた日本は、災害に耐える次世代のインフラを作る責務があるのではないか。」

 「前の震災ではネットが途切れずに活躍したが、次に来る大震災に立ち向かう研究開発は日本がリードしなければならないのではないか。」

 などという漠然とした青臭い思いを2年来抱いているのですが、それは新しい通信網を設計するというより、ビッグデータを活かした都市設計という上位レイヤが求められるということかもしれません。

 スマートシティは、さまざまなセンサーからの情報をM2M(マシン・トゥ・マシン)で共有して、都市全体でビッグデータを活用する構想です。この取組は日本は遅れていますが、これこそ日本が先んじて取り組まなければならないことでしょう。

 総務省の先輩、稲田修一さん著「ビッグデータがビジネスを変える」によれば、日本は世界の1/4のセンサーを利用する「センサー大国」なのだそうです。さすが八百万の神々が棲むユビキタス社会。至るところにセンサーが潜んでいるのに、それを面的に、戦略的に使えていない、という状況なのですね。

 でも、であれば、チャンスはあるということです。

 第二に、個人。ビジネスや地域だけでなく、個人も集合知を活用できる可能性です。

 クックパッド、カカクコム、ウェザーニュースなど、利用者の集合知によるコンテンツの集積を活用するサービスも普及しています。ビッグデータはWeb2.0が大量の無記名レベルに拡大した、いわばWeb3.0ということでしょうか。

 私の計算では、デジタル化が進み始めた95年から2005年の10年間で情報量は21倍に増え、さらに加速していますが、それをビッグデータの一部とみるわけです。コンテンツ=人と人(P2P)と、モノ・モノ(M2M)とを統合する見方です。

 ところで、「ビッグデータがビジネスを変える」は、教育、医療、行政といった公共分野でビッグデータを利用することが重要だと説きます。まず教育。ビッグデータで教育ビジネスは高度化します。さまざまな人が教材を作成、集積し、各生徒に最適なものを提供できます。集合知です。ビッグデータを活用した実証実験が必要です。デジタル教科書・教材運動でもビッグデータを新テーマにしたいと思います。

 ビッグデータは医療・健康ビジネスにも重要となります。しかし、病院間でカルテのデータ形式が異なる、検査データが連結できない等の根本問題があります。欧米では数千万件の医療情報を集積しているが、日本は不十分という指摘もあります。この分野は教育の情報化よりうんと壁が厚いですねぇ。行政のビッグデータ活用には国民IDが必須ですが、先進国で日本だけが未導入、という指摘もある。マイナンバーもまだですもんね。

 その書物に、とてもショッキングなデータが3つ掲げられています。

 まず、情報通信投資の対GDP比率は米英韓が5%で2003年から増加傾向、日本は3%で2001年から減少という一橋大学深尾教授のデータです。一般ユーザの利用度は高いのですが、企業の利用度が低いということです。

 2009年情報通信白書によれば、先進7カ国の情報通信利活用の偏差値で、日本は交通・物流で1位だが企業経営分野は最下位だといいます。ショック。日本は経営・管理レベルのITリテラシーが低いことが大問題なのです。

 2010年に蓄積された情報量は、北米3500ペタバイト、欧州2000ペタバイト、日本400ペタバイト、というマッキンゼーの驚くべきデータもあります。蓄積量にして日本は北米の11%。産官ともに日本は情報の重要性に気づいていないということです。

 最大の問題は、データや情報の重要性をどう認識するか、というわれわれの内側に存在するのでしょう。これは実に重い課題です。


2021/09/25

攻めに転ずるテレビ局

 ■攻めに転ずるテレビ局

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/7/6(土) 8:43ー


 ユーチューブがテレビ局化するという記事がありました。ユーチューブがチャンネル編成化し、動画を増やし、広告を強化する、という3つの策を講じているというのです。2005年のサービス開始から8年。PCベースのメディアがテレビに本腰を入れてきたのです。テレビ業界との競合が激しくなると同時に、連携も強まるでしょう。

 必然ですよね。PCベースでスタートし、ここ5年でスマホやタブレットが普及、そしてこの1~2年はテレビのスマート化がホットになってきた。このメディア変化に対応するものです。また、広告最大の領域であるテレビ広告2兆円にもビジネスの焦点が定まる環境になってきた面もあります。

 それ以上に競争の激化があります。アメリカのテレビ局が作った映像配信サービスhuluや映画配信のNetflix、さらにアップルも力を入れてきます。日本でもテレビ局がサービスに本腰を入れてきました。サービスを束ねるプラットフォームの座が争われています。いち早くそれを確立させるということでしょう。

 TBS、テレビ朝日、フジテレビなどがユーチューブで動画配信を始めました。ここに来てテレビ局は通信との融合に踏み込んでいます。テレビ局にも事情があります。地デジが完成しました。テレビを買い換えさせられました。でも、正直どうよ?キレイにはなったけど、すごくよくなったか?デジタルならではの、便利で面白いサービスが求められているわけです。ネットもスマホも使おう、という方向です。

 競争も激しくなってきました。かつては黄金のビジネスだったので、ネットに手を出すのは戦略から外れていたのですが、広告市場は縮小し、ビジネスをネットやソーシャルメディアに持って行かれる。守りから攻めに転ずる段階になりました。

 テレビ画面は見られ続けるでしょう。でも、テレビ番組をリアルタイムで見ることは減り、マルチスクリーンを同時に使うことは増えます。録画した番組、ネットのコンテンツ、ソーシャルサービスなど、多様化が進む中で、テレビ局のコンテンツがどれだけの位置を占めるか。

 テレビは番組だけでなく、電波もあります。デジタル化したものの、同じように番組を送っているだけで、うまく使えていません。新聞、雑誌、ソーシャルメディアなど、デジタル回線としてもっと色んなことに使えるんです。ビジネスを広げられます。そちらにも力を入れてもらいたいですね。


2021/09/24

知財政策、政府の一体化を

 ■知財政策、政府の一体化を

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/12/7(土) 13:56ー


 本年6月、政府は知的財産政策に関する基本方針を初めて閣議決定しました。知財政策の重要性を高める動きとして評価します。

 今回の決定に当たってのポイントは「連携・一体化」です。

 まず、「ビッグデータ」。

 今回、知財ビジョンはビッグデータをクローズアップしました。公共のデータをどう活用できるようにするか。重要な知財政策です。一方、ビッグデータ対策はIT戦略本部を中心に議論が進められています。知財政策とIT政策の連携、いや、一体化が求められます。 

 政府・自治体が持つデータを公開し、民間が活用し、情報サービスを生んでいく運動「オープンデータ」を推進するには、これらデータの著作権をフリーにすることが求められます。国が保有する公共データには著作権が発生しないよう著作権法を改正する、国がその権利を自ら放棄する、クリエイティブコモンズなど二次利用促進のためのライセンスを採用する、などのアプローチが考えられます。が、これ一つ動かすにも、相当な政治パワーが必要となります。

 昨年設立された「オープンデータ流通推進コンソーシアム」にぼくは理事として参加しています。関係8省庁や自治体のリーダー、企業や研究機関のみなさんにご参加いただき、情報発信や事例開発を進めています。国際ランキング19位を3年で1位にするのがぼくたちの目標。政府としても本気で受け止めてもらいたい。

 「教育情報化」もそうです。

 知財ビジョンでは、教育情報化の推進、特にデジタル教科書に関する制度改正を明記しました。だが、これは児童1人1台の情報端末とクラウド環境による教育を実現することが前提。教育コンテンツ=知財の前に、デジタル環境=ITの問題が待っています。これも知財・IT政策が一体とならなければいけません。

 この教科書制度改正=知財政策も、デジタル教育環境整備=IT政策も、長年の宿題であり、政府が計画に明記したところで、実現にはかなりのハードルが待ち受けます。本気度を求めます。ただ、議論の高まりを受け、実態も動き始めています。

 大阪市、東京都荒川区、佐賀県武雄市のように、2014年から15年にかけて域内の小中学生全員にタブレット端末を持たせるという自治体も現れ、政府目標の2020年1人1台を前倒しできる可能性もほの見えてきました。

 こうした動きを受けて、ぼくが事務局長を務める民間団体「デジタル教科書・教材協議会」も「教育情報化提言 2013」を掲げ、「デジタル教科書法」の策定、先導100自治体と先導100教員の指定・支援など8策を推進しています。

 さて、こうした中長期的な課題と並行して、短期政策を作るため、政府は「クールジャパン推進会議」を開催しました。マンガ、アニメ、ゲームに代表される現代流行文化=ポップカルチャーを核としつつ、ファッション、食、伝統工芸、観光など経済・文化全般にわたるソフトパワーを発揮する。特に海外市場を取り込むことがミッションです。

 このような政策を進めることに対しても、同じ注文があります。タテ割りを打破して「本気でやってくれ」ということです。たとえばクールジャパン政策には内閣、総務、外務、文科、経産、国交、農水、財務といった8つの省庁が関与します。それらが一つの机で前向きに施策を出し 合い、連携が進むようになったのは成果ですが、そうした施策を長く継続しているフランスや韓国の気合いには及びません。

 さらに、クールジャパン対策は今すぐできる短期対策で、知財計画は制度、外交、教育などの中長期政策。省庁のタテ割りをヨコにつなぐことに加え、短期・中長期のヨコ割りをタテに連動させることが大切です。

 個人的な意見として、私はコンテンツやIT の政策を結合して「文化省」を作るのがよいと思っています。韓国は新政権でIT政策や科学技術を統括する「未来創造科学省」を置くことにしました。国民を何で食べさせるかを端的に示しています。日本にもそのような腹づもりが求められます。


2021/09/23

沖縄国際映画祭 2013

 ■沖縄国際映画祭 2013

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/11/16(土) 9:04ー


 初日のレッドカーペットには芸人、監督など550人が歩き、5.3万人の客が押し寄せたといいます。ここのレッドカーペットは、世界一長いんだそうです。8日間に渡るとても長いイベント。スポンサー企業は57社。期間中に9カ国からの74作品が上映され、コンペには20作が参加。観客動員は過去最大の42万人!

 実行委員長である吉本興業の大崎社長は言います。「毎日歌って踊ることを沖縄の産業にしたい」。そう、かなり沖縄色が強い祭になっています。会場の宜野湾市だけでなく、県内の41市町村を巻き込んで、沖縄の魅力を世界に発信しています。当初は本土からやってきた催しという見方もあったようですが、5回を経て、地元の信任を得た模様。今年から映画の鑑賞を全て無料にしました。賑わいも当然ですね。

 

 ただ映画を上映するイベントじゃないんですよね。マーケット機能や展示会場もあり、「ラフピータウン」には50の企業がブースを出しています。ブースも年々、本格的になってきていて、業界人だけでなく、親子連れで賑わうようになっています。

 今年から人材発掘のプロジェクトとして「クリエイターズファクトリー」を開始しました。監督、カメラ、俳優などの新星を見出そうとするもの。最優秀賞に輝いた「おだやかな日常」の杉野希妃プロデューサ+女優は、その次回作の制作を吉本興業が全面サポートすることとしています。

 世界中のコンテンツを日本に集め、発信する。基地問題で揺れる地域の活性化を図る。マーケット機能を創り出したり、人材を育成したりする。これって、国の仕事じゃないですか?

 ビジネスも作っています。サイバーエージェントのオークションアプリ「パシャオク」を使って、レッドカーペットをノンスタイルの2人と歩く権利を売り出したんですと。石田さんには10万円、井上さんには12万円がついたんですと。井上の方が高かったことに若干フにオチない点はあるものの、いい値がついて、ファンの女性が堂々と世界一長いレッドカーペットを歩いた。それを吉本興業は子どもダンス活動に充てるよう宜野湾市に寄付したんですと。

 コンペティション部門の審査委員長、バットマン・フォーエバーのジョエル・シュマッカー監督は、「こんな映画祭は他にない」と言います。映画祭の多くは、賞を与えておしまいの、芸能界の作り物っぽいものだが、沖縄は違うというのです。芸人も監督も業界も観客も、みんなで学芸会のように作り上げているお祭りです。映画もあれば、音楽も演劇も、ニコ動もパチンコもある。

 8日間だけの催しでもありません。同時に沖縄小学生映画祭というのが開かれ、7本の作品が上映されていたのですが、各地の学校を はんにゃやスリムクラブらが訪問してサポートして作ったものだといいます。郷土の魅力CMを作ろうという「JIMOT CMコンペ」というのも開催されました。これは、46都道府県+沖縄県41市町村から募集した1000を超えるアイディアの中から、87のプランを選定し、芸人たちとともに制作をするという企画。地域に密着して、時間と情熱をかけて、作り込んでいるわけです。

 発展を続けています。また来年。


2021/09/22

企業はネット炎上にどこまで責任が?

 ■企業はネット炎上にどこまで責任が?

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/2/1(土) 8:30ー


 昨夏は飲食店の炎上まつりでした。コンビニのバイトがアイスクリーム用冷蔵庫に入った写真をフェイスブックに投稿し、炎上。店は休業。ステーキチェーンのバイトが冷蔵庫に入った写真をツイート、炎上。店は閉鎖、損倍請求を検討。

 女の子だって負けてません。ピザ店の冷蔵庫に入った写真をブログに投稿、炎上。店は休業、食材廃棄、清掃・消毒。よく冷蔵庫に入った夏でした。猛暑でした。

 客が起こす事例も。金沢の餃子店で、客が全裸でカウンター席に座って写真撮影。店舗は営業停止、損害賠償を請求。客側は合意の上の行為と言っていたらしいが、警察は威力業務妨害と公然わいせつの疑いで2名を逮捕。民事だけでなく、刑事事件に発展しました。 炎上大国の日本。個人発信量が世界一多く、だからバルス祭りも起こる国。ビジネスや文化を産む副作用として、炎上は避けがたいのかもしれません。でも、対応策を講じなければ大変です。

 それにしても、こういう問題に企業責任はどこまであるんでしょうか。従業員がしでかしたことで、閉店に追い込まれる。損害賠償はどう考えればいいのか。いや、お客様が引き起こすケースもある。損害賠償と刑事の相場は。そのとき、企業責任は。

 チェーン展開している大企業ならまだ「リスク」として計算できるかもしれません。でも先日、バイトが洗浄機に入った写真がもとで、あるそば屋が破産に追い込まれましたが、経営の元さえ絶たれるような事態はリスクとして高すぎます。

 バイトが冷蔵庫や洗浄機に入ったことで閉店となるのも、私の感覚では行きすぎに映ります。しかし問題は、企業側の心持ちというより、消費者というか、ネット民というか、それらを含むぜんたいの空気感。安心と安全のためにはそこまで誠意を示さないとお許しをいただけないのではないかと、あっち側にもこっち側にも思わせる空気感。

 土下座を強要する半沢直樹社会。

 10月には札幌の衣料チェーンで店員に土下座をさせ投稿した女性客が逮捕され、大津で教師に土下座させた母親が逮捕されました。土下座を求める空気にも限界があり、だけど、それがどういう塩梅に落ち着くのか、落ち着かないのか、見通せません。

 一方、バイトや従業員は、つぶやき一つで、クビになるだけならまだしも、損害賠償を求められる可能性もあります。それも、この夏の事例では、2000万円だとか5000万円だとか、そんな数字が飛び交ってます。億ツイートなんてのも登場するでしょう。それはそれで行きすぎと思いません?

 会社の、あるいは従業員の責任限界について、あるいはコストの相場について、民事の事例や判例を待つ必要もありましょう。同時に、何らかのガイドラインを作成する必要もあるかもしれません。

 欧州では「忘れられる権利」が議論されています。ネット上のプライバシー保護を巡る新しい考え方です。日本でもこうした議論を始める時期です。一方、このまま放火や炎上が続き、応仁の乱の都みたいに焼け野原が広がるとなれば、プライバシー侵害罪や、いっそ「炎上罪」の必要性だって台頭しかねません。

 リテラシー教育が大切です。でも、ケータイからスマホへ、ツイッターからLINEへ、という具合に、ツールもメディアも年々変わっていきます。そんな状況で大人が知恵をしぼってもダメで、若いユーザが自分たちでリアリティーのある防衛策や解決策を体得していくしかないんだろうと思います。

 企業や役所のソーシャル利用ガイドラインにいくつか目を通しましたが、「間違いを正す」とか「他者に敬意を」なんてことが書いてある。リアリティーがありませんよね。

「炎上一発、クビ一生」

「炎上一発、一億円」

「炎上一発、即逮捕」

みたいなことを掲げたほうがいいのかもしれません。スキな方法じゃないけど。鎮静剤として。 

 企業にとって、炎上には、防火と消火です。防火のためにリテラシー教育。消火のためには素早いアクション。いずれもぼくらニューメディアリスク協会で対策を練っております。ご質問はぜひこちら事務局まで。

 http://newmediarisk.org/


2021/09/21

知財戦略:基盤整備と海外展開

 ■知財戦略:基盤整備と海外展開

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/3/23(土) 9:41ー


 知財本部のコンテンツ政策論議。2013年の知財計画をどうするか。

 本年の初会合で、デジタル化・ネットワーク化(基盤整備)とソフトパワー(海外展開)の2本柱で進めることが了承されました。

1 デジタル化・ネットワーク化

 デジタル化、ネットワーク化が本格化して20年。新しいビジネスチャンスが広がっています。

 特にこの10年間で、コンテンツが注目を集め、著作権法を改正してデジタル化に対応するなどの政策が採られてきました。しかし、コンテンツの利用や情報の生産は爆発的に増大する一方、コンテンツ産業は拡大するどころか縮小傾向にあります。さらに、この数年、マルチスクリーン、クラウドネットワーク、ソーシャルサービスといったメディアの刷新が起こっていて、デジタルやネットワークは新しい段階に入りました。

 その中で、日本のコンテンツ産業はプラットフォームのグローバル競争にも勝利できていません。教育、行政といった分野でのコンテンツの生産と利用も遅れています。

 世界的なデジタル化・ネットワーク化に対応して新しい産業と文化の発展を続けるためには、権利者と利用者の利害対立、ハードとソフトの対立といった構造を超えた、総合的な制度設計や新分野の創造が必要になっています。

 コンテンツを日本の経済と文化の原動力として推進するための戦略を実行すること。その政策のプライオリティを高めていくことが重要です。

2 ソフトパワー

 日本の現代文化は、クールジャパンとして世界の共感を得ています。その共感は、マンガ、アニメ、ゲームといったコンテンツにとどまらず、ファッション、食、伝統工芸、観光などに広がっています。さらに、工業デザイン、サービス水準、家族経営、生活様式、といった経済・文化全般に注目が集まっています。

 こうしたソフトパワーを経済成長につなげるために、海外市場を取り込むことが政府のミッションです。手法としては、メディアやイベントでの情報発信を強化するというアウトバウンドが第一。さらに、人も技術も取り込んで、日本を本場に、産業文化の増殖炉にするというインバウンドがもう一つ。

 コンテンツやファッションなどの競争力ある産業分野を横断する施策に政府も民間も力を入れるようになりましたが、本格的な成果が上がるのはこれから。成果を見せることが大事です。

 重要なのは、クールジャパンの力をきちんと認識することです。

 力には2つあると考えます。一つは「総合力」。文化の力、コンテンツやデザインを産み出す力と、技術の力、高品質な製品やサービスを作るものづくりの力、この文化力と技術力の双方を持ち合わせる総合力が、古来から培ってきた日本の強み。

 もう一つは、国民の、庶民の、みんなの力。「みんな力」。日本のポップカルチャーは限られた天才というより、みんなが庶民文化として育んできたものであり、いわばソーシャル力。ネットワークでみんながつながる時代は大いなるチャンスです。

 しかし問題は、その力を日本人が認識していないことです。

 Adobeの国際調査によれば、世界で最もクリエイティブな国は日本だという評価が圧倒的第一位だったのに対して、日本人だけが日本のことをクリエイティブだと思っていないという結果でした。そもそもクールジャパンという言葉も海外から入ってきたものです。日本が自らを評価したものではありません。

 自らの力や持ち物を点検し、評価しつつ、外に出て行くことが重要です。


2021/09/20

「みんな」の時代の「ひとり」を生むには

 ■「みんな」の時代の「ひとり」を生むには

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/12/21(土) 9:05ー


 みんなの時代が来ました。

 2006年末、TIME誌はパーソン・オブ・ザ・イヤーを「You」とし、表紙にPCと鏡を掲載しました。鏡に映る読者一人ひとりがデジタルの力で威力を発揮する、だれもが主役になる時代。当時それはWeb2.0などと呼ばれました。

 その後、ソーシャルメディアが爆発的に普及しました。みんながつながって、みんなの声が社会に直接の影響を及ぼすようになりました。米大統領選を左右し、アラブの春をもたらし、ロンドン、NYCなど各都市の暴動を演出しました。

 日本はその「みんな力」「ソーシャル力」の高さを示してもいます。バルス祭りでツイート世界記録を達成して世界を驚かせました。初音ミクという、みんなが作ったり描いたり、演奏してみたり踊ってみたりしながらソーシャルメディア上で育てたスターがロンドン五輪の開幕式を飾る国際アンケートの1位を獲ったりします。シスコが今年2月に発表した調査結果では、日本のモバイルユーザが発信するデータ量は世界平均の5倍で断トツ1位だそうです。

 みんなの時代は、日本のチャンス、かもしれません。その力を維持し、発展させるべきです。 社会全体の底上げ、を図るべきです。

 一方、テレビが面白くなくなった、といいます。いろんな事情があるでしょう。でも、個がフルスイングする環境でなくなってきたことが大きな原因でしょう。

 先日、日テレの土屋敏男さんが、コンテンツに必要なのは「個の狂気」だと断じていました。コンテンツの魅力が欠けてきたのは、個が、狂気が、薄まっているせいもあるかもしれません。みんな、の中に、個が埋没しているのかもしれません。

 みんなの力では、できない。「ひとり」のもつパワーだけが突破できる、未知の空間。クリエイターは、その魅力に引き寄せられて、創る。

 みんなの底上げは、教育の領域です。でもウルトラな「ひとり」を生むにはどうすればいいんでしょう。ウルトラな「ひとり」がフルスイングできるようにするにはどうすればいいんでしょう。対策はあり得るんでしょうか。

 政府が唱えるように、高度コンテンツ人財を生むために、高等教育を整備する、コンテンツの制作を教える機関を充実することで、個の狂気が充満するか。そうは思えません。作れる「ひとり」は増えるでしょうけど、爆発する「ひとり」は別ルートから生まれそうです。

 ではどうする。わかりません。わかりませんが、新しい表現のジャンルを創り出してしまうほどの「ひとり」が生まれてくるのは、何らかの環境や土壌、何らかの環境の条件があるのではないかという気がします。

 近代絵画での印象派の出現。ファッション界でのココ・シャネル。映画でのゴダール。ポップミュージックでのビートルズやセックスピストルズ。マンガでの手塚治虫、つげ義春、大友克洋。ゲームでの宮本茂。

 そのジャンルの本場で、それまでに出来上がり膠着した表現様式を、ぺろんとひっくり返して新ジャンルを生み出す、つまりパンクですが、そういう「ひとりひとり」が生まれてくる条件ってのが、ありはしまいか。

 ソーシャルメディア時代のパンク、それはまずフェイスブックやツイッターやLINEを生み出したメディアイノベーターたちが当てはまるわけですが、その上での新しい表現を打ち立てる「ひとり」ってのはどういう人が、どこから生まれてくるんですかね。

 「みんな」の時代の「ひとり」を生む算段、それをこれから考えてみたいと思います。


2021/09/19

デジタル教科書、1人1年1万円

 ■デジタル教科書、1人1年1万円

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/12/28(土) 8:27ー


 2010年、デジタル教科書教材協議会(DiTT)を設立した当時、「2015年には一人一台の情報端末とデジタル教科書」を標榜するぼくたちには、絵空事という批判がありました。その後政府が決定した目標も、2020年。5年前倒しを叫ぶぼくたちには、ムチャだというお叱りがありました。

 デジタル教科書を正規教科書にすべく法改正せよという提言を発したときには、身が危ないぞという声も聞こえました。重い発言力をもつかたが「デジタル教育は日本を滅ぼす」という本を書いたり、その後文科大臣になられるかたが「デジタル教科書はいらない」という書を出されたりしました。

 それがこの1年で、転換しました。

 大阪市橋下市長が2015年度に域内の小中学校で一人一台を実現すると宣言。次いで東京都荒川区の西川区長が2015年内に実施する、と若干の前倒し。さらに佐賀県武雄市の樋渡市長が2014年度の実施を宣言しました。

 首長が宣言するというのは、予算措置のめどがつき、地方議会が合意することを意味します。とても大きなことです。しかも、東京・ 大阪と地方都市とが揃いましたので、全国の都市が「ウチはできない」とは言えなくなりました。弾みがつくことを期待します。

 政府では、「知財計画2012」で制度改正を「検討する」と明記されたことが嚆矢となり、IT戦略本部、産業競争力会議などでも一人一台が論議されました。「知財計画2013」では、検討のうえ「必要な措置を講ずる」、つまり法改正を含む実効策に移すという踏み込んだ表現がなされました。

 与党も議員連盟が「教育のICT化に関する決議」として、一人一台タブレットPCの導入等5項目を提言しましたが、この決議作成にはぼくらも協力しました。ゲリラが正規軍になった模様です。

 ぼくらとしては、「デジタル教科書法案概要」を準備したり、先導100地域・100教員を募ったりして、運動を強化しているところです。

 ただ、最大の課題が横たわっています。コストです。教育の情報化にはおカネがかかる。それがいくらで、誰がどう負担するのか。そこはまだこれからなのです。

 これまでも教育情報化にはさまざまな批判や不安が寄せられてきました。学力向上の効果不明、デジタルは紙のよさに勝てない、わかりやすさは思考力と無関係、画一的になる、読まなくなる、目が悪くなる、先生が使えない、教育を産業にすべきでない、といったものです。

 こうした点については、議論を繰り返し、理解も広がってきたと考えています。むしろこのような議論に止まっているのは日本だけで、海外は既に、いつまでにどうする、という実践論に移っています。

 

 さて、そこで近ごろ日本でも、「要するに、いくら?」という問いが増えてきました。一人一台を想定すると、一人いくらなの?という、ごく基本ながら、企業の思惑もあり、なかなか議論のテーブルに乗らなかった話です。

 与党議連の席上でも「メーカは7万円というが、あり得ない」「タイは80ドルだぞ」「せいぜい1万円じゃないか」という、日本メーカが聞くと卒倒しそうな議論がたたかわされるようになりました。

 そこで出された提案が「1人1年1万円」構想。どうでしょう。wifiタブレット+アプリ+サポートのセットを年1万円でレンタルないしリースする。1台1万円で売り切るのと違って、3年レンタルとか5年リースとかなら設計できるのでは。中古品を融通するのだって考えられますよね。

 それで調達できるなら、ウチも一人一台を整備できるんだが、というある市長の申し出があったのです。このサービスモデルがいくつかあれば、いくつもの自治体が乗ってきて、地方の予算措置が進み、面的な整備が広がるのではないか。

 そこでDiTTでは、自治体向け「1人1年1万円」サービスメニューを募っています。既に通信会社等から複数の提案があり、自治体に紹介しています。さらなる魅力的な提案を待っているところです。こうした取組で普及が加速することを期待しています。


2021/09/18

世界最大、ワークショップコレクション

 ■世界最大、ワークショップコレクション

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/11/2(土) 8:31ー

 ワークショップコレクション9。

 


 3月9日、10日の2日間、100以上のものコンテンツ創作やものづくりや実験が体験できるワークショップが慶應義塾大学日吉キャンパスで集結して開催されました。

 2日間の参加者数、10万人。

 9年前の第一回は500人からスタートし、毎年、倍々に成長し、10万人到達です。

 世界最大規模の子ども創作イベントです。

 4階建ての校舎2棟と中庭を占有し、教室ごとにさまざまなワークショップや体験コーナーが展開されました。

 今年で9年目。日吉での開催も4回目。混雑するのは来場者もよく知っていて、事前にホームページなどで内容を調べて目当ての会場に向かっていく人も多数。テーマパークのように待ち行列をこなす親子も見受けられました。

 ワークショップはみな「創作」系。作ってみよう、表してみよう。ねんど細工、毛玉工作、空間演出、音楽づくり、芝居で自分表現。

 デジタル系の活動も豊富です。CGアニメ作り、ゲーム作り、ロボット作り。いろいろあります。面白いのは、グリー株式会社(みんなで学ぼう!遊ぼう!インターネット)と株式会社ディー・エヌ・エー(目指せ、かいとうキッズ!)が仲良く同室でブースを出していること。訴訟を起こすほど火花散らすライバルですが、ここは次世代のユーザたちにクリエイティブな場を提供しています。

 ぼくが事務局長を務める一般社団法人ソーシャルゲーム協会も「子ども海賊隊~キーワードを探し、ネット通信で親分を救え!」で初参加。ソーシャルゲームが子どもの未来を開拓する、という姿勢をここで初めてお見せしました。

 

 ワークショップ全てを紹介したいところですが、ひとまず、スペシャル枠で提供してもらったものを挙げておきます。

 


■よしもとキッズ CANVAS×吉本興業 PaPaPark

「有名パパ芸人といっしょに「でんとうを感じる」ワークショップを体験しよう!」

 われらがCANVASと吉本興業「PaPaPark!」が展開する「おもしろかし子」プロジェクトのプロデュースによるスペシャルワークショップです。

 人気パパ芸人といっしょにこどもたちが日本の「でんとう」を感じる3種のワークショップツアーに出かけます。

 茶道の「遠州流」、かまぼこの「鈴廣」、伝統を次世代につなぐ「和える」の3ワークショップをめぐります。

■tap*rapへんしん コマドリアニメーション  季里

「大人気のデジタルえほんアプリにちなんだアニメーションをつくろう!」

 こちらもわれらがデジタルえほん社とDNPの企画。

 2012年度グッドデザイン賞&キッズデザイン賞ダブル受賞、デジタルえほん「tap*rapへんしん」を楽しむアニメ制作ワークショップです。

■アニメーション映画 美術監督 山本二三

「巨匠といっしょにチャレンジ!あなたはどんな雲をえがく?」

 「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」「時をかける少女」等の美術監督として背景画を手がけた山本二三さんによるワークショップです。

 う~ん、ぜいたく。 保護者がキンチョーしてます。

■えほん作家 きむらゆういち

「あなたのステキなアイデアで「しかけえほん」をつくろう!」

 「あらしのよるに」「あかちゃんのあそびえほん」など500冊以上の有名絵本を生み出した、絵本作家きむらゆういちさんによるワークショップです。

 う~ん、ぜいたく。 ぼくが受けたいよ。

 さて、このワークショップコレクション、ぼくらが11年前に創設したNPO「CANVAS」がKMDとの共催で開いているものなのですが、そのCANVASはこのたび、Googleとともに「プログラミング学習」を本格展開することとなりました。

 10月29日、Googleのエリック・シュミット会長が来日し、共同会見したところです。この件はこれからのデジタル教育に強烈なインパクトをもたらすと考えていますんで、また改めて報告します。

 ひとまず、あちこちで報じられた記事を並べておきますね。

 

Google、10代向けに「ゼロからプログラミング」ワークショップ Raspberry Piで初歩学ぶ

 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1310/29/news105.html

Google、日本の小中高校生に「Raspberry Pi」でプログラミング実習を開始

 http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20131029_621377.html

Googleが日本のIT教育支援、5000台のRaspberry Piを提供へ、Schmidt会長も“授業”

 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20131029/514542/

グーグルが学校でIT育成授業

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131029/k10015650771000.html

Raspberry Piを活用--グーグルなど、子ども向けプログラミング講座開始

 http://japan.cnet.com/news/service/35039138/

グーグル:日本でコンピューター科学教育を支援 シュミット会長

 http://mainichi.jp/feature/news/20131029mog00m040016000c.html

名刺サイズのPCでプログラミング学習、GoogleとCANVASが共同企画を発表

 http://resemom.jp/article/2013/10/29/15781.html

Raspberry Piを活用--グーグルなど、子ども向けプログラミング講座開始

 http://www.asahi.com/tech_science/cnet/CNT201310290044.html

プロセスと結果、Googleシュミット会長が重んじるのは? 日本の高校生と対話

 


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1310/29/news108.html


2021/09/17

デジタル教科書にサンセイのハンタイなのだ

 ■デジタル教科書にサンセイのハンタイなのだ

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/1/11(土) 8:30ー


 デジタル教科書を推進する運動を始めて3年半。ここにきて改めて反対論を目にするようになりました。恐らく、推進モードが加速し、現実に広がりつつある現状に、それまであまり感心のなかった層も議論に参加し始めたということかと思います。

  ただ、議論はずいぶん錯綜しています。ぼくの現状認識は以下のとおりです。

1) 韓国シンガポール始め各国が今年から来年に一人一台環境を整えるのに対し日本は7人に1台が現状。政府目標は2020年。ぼくらが急げと言ってるのはここで、「教材」もそれにつれて拡充していく。

2) 「教科書」はまだ開発・実証段階だが、本格導入するにはデジタルを正規版扱いするよう3法の改正が必要で、もう少し時間がかかる。

3) 情報化の実証は各国で進んでおり、日本では文科省・総務省、海外事例はApple、マイクロソフトらの報告をチェックすればよい。

4) ただし紙・鉛筆をデジタルに置き換えよというものではなく、紙・鉛筆+デジタル。紙がよい効果のある学習はそれを続ければよく、デジタルが威力を発揮する学習はデジタルで。しかし反デジタルの方々は対立項に持ち込もうとする。

5) 従来、実証の成果を待って進めるというのが国(というか財務省)のスタンスだったが、実証を「進めつつ」推進という政策転換が昨年行われた。実証と推進の同時並行。これはアナログの教育が今も実証と推進を同時並行しているのと同じ。

6) 実証は必要だが、実証の成果を「待って」いたら100年たっても導入はできない。社会全般も、子どもの暮らしも、海外の教育もみなITを利用する中で、導入に反対するかたには「導入しないメリット」を実証する責任が生じていると思う。

 これに対し、反対派との議論になるのですが、根本的な情勢認識の違いがあり、うまくかみ合いません。

  反対派は、デジタル教育の進展に社会的なコンセンサスがなく、だから社会の了解を得るために賛成派は実証や検証をする義務があると考えているのですが、 (賛成派全体ではなく)ぼくは、国際社会や日本政府・自治体はもうコンセンサスに基づいて決定を下しており、逆に反対派が実証や検証で不当性を示さないと いけなくなっていると考えているのです。

 デジタル教育推進はぼくらの横暴という声がありますが、政府決定にまで至っているのは、世界の先生、研究者、保護者、企業、官僚、政治家らの努力が積み上がったものだと考えます。ぼくはハネ上がりのスピーカに過ぎません。

  各国が推進し日本も政府決定した中で、このままでは実証+実現に向かいます。だから反対派は、その理由をデータで科学的に実証して止めるべき状況なのです。が、その努力はみられません。かつての子どもケータイ禁止論にあったように出会い系など警察の実害データが示したような実証がいるのではないでしょうか。

 反対論でも、田原総一朗さんの「画一的になる」という意見、田中真紀子さんの「読まなくなる」という意見には明確に反論しました。誤認ですので。でも多くの反対派による「懸念」には反論してきませんでした。それはただの「不安」だから。不安は反証しても解消しません。

 デジタル教育を向上させる研究は必要です。紙と鉛筆のアナログ授業を向上させる研究が今なお世界中で行われているように、デジタルの研究もあと100年以上必要でしょう。

 でも、デジタルを導入するかどうかの判断は別。それは「政治決断」の問題。まずは徐々に使わせて、時間をかけて改善していく、それでよいのではないでしょうか。


2021/09/16

チャントリのような組織を作りたい

 ■チャントリのような組織を作りたい

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/3/9(土) 8:25ー


「女子高生に“尊敬するひと”って聞いたら、櫻井翔くんと答えられて困ったよ」と同僚が話していました。翔くんの父親はぼくの役人時代の先輩で、同じ官舎の上に住んでいました。幼稚園のころ、いつも礼儀正しく挨拶する彼に、もうすぐ小学校だねと話しかけたら、「慶應に行くんです」と答えたので、さすが幼稚舎、しっかり選んでるなと思った記憶があります。まさかうんと後になってぼくも慶應の門をくぐるとは思いませんでした。翔くん尊敬してていいじゃないですか。

「男子高生に聞くと、AKBのメンバーを挙げたりするよ」。なるほど、昔タイプの尊敬するひと像が失われて、アイドルを尊敬するひとリストのトップに上げてしまう彼らの視野の狭さに困惑しているのですね。それが彼らの評価軸なのでしょうが、確かに危ういことかもしれない。彼らの問題というより、尊敬するひと像を提供できていない大人社会の問題です。現在の総理大臣から何代も遡って、尊敬するひとリストにランクインしそうな方がいるでしょうか。

 

 で、ぼくはどうだろう。う~ん、為政者にはいないなあ。役人のころの上司や、2001年に亡くなった大川功セガ会長や、MITニコラス・ネグロポンテ教授や・・・と巡らせていたら、思い出しました。週刊アスキーの創刊ゼロ号で「憧れるのはチャンバラトリオ」というぼくのインタビューが掲載されていたことを。

  チャンバラトリオ。吉本興業の芸人です。今はもうメンバーの形が変わっていますが、ぼくが指す全盛期のチャントリは、カシラ:故・南方英二、リーダー:山根伸介、結城哲也、伊吹太郎の4名。4人でトリオというところからもうひざカックンのカッコよさ。カシラとリーダーがいるガバナンス不明もステキ。

 ぼくが憧れたのは「実力ある自在性」です。まず、伝統と破壊。チャントリは、彼らの出身母体である東映時代劇の「型」が定まったチャンバラが基本の芸。舞台での立ち回りだけで拍手がわく力量を持っています。それをグダグダのコントで一気にバラす。伝統芸を壊して自由形で表現する。つまり、正統パンクです。

 同時に、構成やセリフのしっかりした「芝居」を「即興」のボケやツッコミで崩しても行きます。険しい表情と所作で時代劇を展開しているところに、急にカシラがカン高い叫び声をあげ、しゃーないしゃーないとみんなで芝居を降りてハリセンを始める、毎度お約束のパターンも、故・桂枝雀師匠の「緊張と緩和」をチャントリにしかできない落差で崩すというモデル。

 4人のキャラがどっしりとそびえているのは当然なれど、それぞれがボケ+ツッコミを併せ持つ実力。そして個々人の力量があるため、それぞれピンでも舞台を回せるうえ、各モジュールが自在にユニットを組める点。4人で殺陣をすることもあれば、ABC、ABD、ACD、BCDの組み合わせでトリオのコントも、AB/AC/AD/BC/BD/CDで漫才を行うこともできる。自在です。バンドでもビジネスでも、こういうユニットが組めれば最高でしょう。作ってみたいなぁ、そんな組織。

 北野武「ソナチネ」はその真骨頂を世界に伝えました。カシラが演じる無言の殺し屋は、アジアの男のカッコよさを表しました。もっとスゴいのがビートたけし「みんな~やってるか!」。チャントリの面々をこの上なくうまく使っています。でも残念ながら、チャントリのすごさは、正当に評価されてはいません。

 クールジャパンは、自らが気づかなかった日本の価値を海外に評価されたものです。ぼくらの周りには、まだ自己評価の低い宝物がたくさんあるはず。自分がスキだと思うものにはうんと光を当てて、尊敬する!と言い切りたい。自分なりの評価軸を持ちたいと思います。


2021/09/15

ガキの記憶を紡いでみたい

 ■ガキの記憶を紡いでみたい

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/2/9(土) 9:36ー


 仰げば比叡山。もう40年近くも来なかった母校、京都市立修学院小学校。幼いころ静岡にいたことは以前話しましたが、2年生からはこの学校です。校庭も、鉄棒も、登り棒も、プールも、変わってへんが、こんな小さかったか。講堂前の築山にある銅像は、こんな大きかったかいな。

 銅像、「小林正直君」と彫られています。大正時代に講堂を寄贈した方らしいです。そのひとが自分のじいさんのじいさんに当たるということをむかしオカンが言うとったが、そんな資産家と、貧しい自分ちとはリアリティーが感じられないので、またまた~、オカン見栄はってどないすんねん、と思っていました。

 しかし最近どうやらそれは本当で、じいさんの代に戦後のゴタゴタがあって、ぼくら子孫が割り食ってたということを知りました。そうとは知らず、小学生時代、いろいろ銅像にイタズラしてすみませんでしたアレはぼくでした。

 2年下に、前原誠司というひとがいました。ぼくらが作った鉄道クラブに入ってきました。そのひとは、中学も高校も大学もずっと同じ2年下で、高校ではぼくらが作った野球部に入ってきました。大学でてから政治家になられたそうです。ぼくはまだ一度も話をしたことがありません。そのうんと下に、チュートリアルの二人がいます。チュートリアルはOBの誇りです。

 ぼくはそんな立派なひとたちと違い、下の方でブラブラしていました。

  特段、勉強ができるわけでもなく、運動に秀でているわけでもなく、お金もなく、時間ばかりもてあまして、京大の紛争で学生や機動隊が火だるまになるのを観に行ったり、吉本新喜劇のギャグを全て真似できるようになったり、自転車に銀玉鉄砲をくくりつけて戦争ごっこをしたりしていました。

 よそのクルマに泥をぬりつけてるところをつかまったり、歯医者の邸宅に集団で花火を投げ入れて警察を呼ばれたり、空手道場の後輩の家に遠くから石投げたら窓ごと家の中にガシャーンと落ちてけが人が出たり、ほかにも書けないことだったり。

 いつもヤマグチヒロミという親友とつるんでの所業であるから、学校からも目を付けられていて、何かまずいタレコミがあると、またあいつらかい、の二人でした。そのたび先生も、グーでボコボコ殴りました。そのヒロミとは以来、音信不通。死んだか、ろくな人生は歩んどらへんと思ってました。

 ある日、その男と再会しました。驚きました。「JPホールディングス」という上場企業、保育園経営で最大手の代表になっていました。ぼくの全財産を一年で稼ぎ、政府からも頼られる人になっていました。「お前が役人になって、今や教授とは」「貴様が教育産業の社長とは」わはは。愉快やね。

 もう一名、同級生にミゾハタヒロシという名のヤンチャがいました。勉強はよくできたが暴れん坊で、ぼくもその暴れっぷりには一目置いていました。そやつはJリーグ大分トリニータの社長を経て、観光庁長官に抜擢され、レディーガガとチューするなど、40年たってもいかんなくヘンタイぶりを発揮しています。

 

 もう大昔となったガキの記憶はとぎれとぎれで、日々薄くなっていきますが、ヒロミやヒロシと飲むたび、それらがつながって鮮やかな像を形造ります。あったあったそんなこと。親友であれ、デジタルであれ、そんな具合に記憶を紡いでくれるのは、年をとるほどありがたいことです。

 つながっていなかったり、とぎれていたりすることが、後になってデジタルでプチプチとくっついて、愉快なストーリーになることがあります。今もたまに旧友からFacebookやmixiで発見され、急に映像がよみがえることがあります。

 そんなことは、若いうちはわかりません。だから、あらかじめ、小さい頃から、組み込んでおけばよい。自分の映像や周りの音を片っ端からデータベースにしておく。タイムカプセルをリアルタイムに造っていく。小さな画面でビデオを作れば70年分で10テラバイト。じゃあ生まれて死ぬまで起きている間70年ずっとビデオを撮り続けてハードディスクに貯めておきましょう。10テラならそのうち5万円ぐらいでハードディスクは買えます。国民全員が一生のストレージ空間を持って、記憶を紡ぐ。記憶を交換する。

 想像もしない愉快なストーリーがたくさん生まれると思いません?


2021/09/14

文化省という念仏

■文化省という念仏

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/1/19(土) 9:27ー

 民主党から再び自民党に政権が移行するに際し、日銀の独立性が議論となりました。政府からの独立性を維持すべきか、政府・政権に従属させるべきか。ぼくは金融行政に提言できるほどの知見はありませんが、結局これは、政治と専門家(日銀)のどっちに信頼を置くかの判断になります。

 似たような話がIT政策にもあります。通信・放送委員会、すなわち「日本版FCC」論議です。IT行政を独立させよという話。90年代終盤、橋本行革にて構想が浮上し、実はぼくはそれに反対したあおりで役所を辞めることになったのです。民主党政権になった後もそれが提唱され、ぼくはやめてくれ~、とまた反旗を翻しました。

 日本版FCCは、官僚主導、規制強化、タテ割り行政の弊害をさらに加速させると思うんです。

 まず、官僚主導。独立委員会というのは、文字通り政治から「独立」した存在です。言い換えれば、官僚が好き勝手にできるということ。公明正大な委員を据えたところで、実際に規制を担うのは官僚。政治コントロールが効かず暴走する恐れがあります。

 独立委員会には米FCCや仏CSA(視聴覚高等評議会)がありますが、いずれも放送局に恣意的で不透明な介入をしています。規制が強い。英OFCOM(情報通信庁)も同様。そういう国のメディア行政が成功したかどうかを見ればいい。

 そしてタテ割り行政。独立組織を作れば、新たなタテ割りが発生します。さらに、組織設計も困難。FCC論者は規制・振興分離をうたうのですが、ナンセンスです。例えば、青少年のネット安全問題。総務省の消費者行政課がフィルタリング措置(規制)を進めるとともに、リテラシー教育拡充(振興)も担当している。これを分ける意味もメリットもありません。むりやり分けると、振興:規制=総務省:日本版FCCの人員構成は、420人:280人。6対4の縄張り争い。二重行政は必至です。

 ただでさえコンピュータや知財等のタテ割り行政の弊害が指摘されている中にあって、日本版FCCの設立はさらなるタテ割り構造を生む。民間には迷惑な話です。逆なんです。すべきことは、融合です。タテ割りの排除です。 

 そこでぼくは日本版FCCに対抗し、新組織の設立を提案しました。「文化省」構想です。

 総務省の通信・放送行政、経産省の機器・ソフト・コンテンツ行政、文化庁の著作権・文化遺産行政、そして内閣官房のIT本部と知財本部を束ねる官庁を作る。その上で、国土交通省のフィルムコミッション政策、外務省のソフトパワー政策など各省庁の情報関連政策との連携を強化していく。

 この組織を貫く軸は「文化」です。21世紀の日本は知財や産業文化力で生きていくことになります。国民の創造力や表現力を高め、文化産業を育み、その基盤となるネットワークを整備していくことを担う。このため、組織名は、かつて取りざたされたこともある「情報通信省」ではなく「文化省」がふさわしい。

 文化大臣は民間から起用します。民間大臣の起用は、放送に対する政治からの中立を求める声にも配慮するかたちになります。オノ・ヨーコさん、宮本茂さん、村上春樹さん、世界に名をとどろかせた人がいい。候補はいくらでもいます。

 この提案はちょっとだけマジメに検討いただいた反面、結構ボコられもしました。ま、当然です。結局、民主党政権では、日本版FCCの話は立ち消えとなりました。また、その後、官庁の動きも活発化しました。

 電子書籍をめぐっては、総務省、文科省、経産省が連携して施策を講じています。教育情報化では、総務省と文科省が仲良く実証研究を推進。オープンデータでは、内閣府、総務、経産、国交省らが連携。知財本部コンテンツ専門調査会では、計9省庁の代表が同じ方角を向いて政策競争を繰り広げるようになりました。

 文化省を提唱した狙いは達成されつつあります。でも、その逆方向の動き、日本版FCCのような話は何度もゾンビのようによみがえります。だから今日もぼくは、霞が関からボコられつつ、「文化省を作ろう」という念仏を繰り返すのです。

一昨日開催された知財本部で山本一太大臣が「安倍首相に文化総理宣言を出してもらう」と言っていました。いいね!国の代表が文化で日本を再興すると表明する。まずはそこからでしょう。


2021/09/13

転換するコンテンツ政策

 ■転換するコンテンツ政策

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/3/16(土) 8:07ー


 知財本部コンテンツ専門調査会。政府のコンテンツ政策を束ね、アクションプラン「知財計画」作りをするのがミッション。その2013年審議が本格化しています。ぼくが会長に就いて4年目の知財計画作りとなります。

 民主党から自民党に政権が移りましたが、知財本部が発足したのは10年前の自民党政権なので、この分野を強化する方針は不変、といいますか、一層力を入れてくれることを期待します。ただ、10年たったので、まずはこれまでの10年の政策を踏まえて次に進むべきです。

 会議では、じゃあそもそも10年間で知財はどれだけ増えたのか、ビジネスはどれだけ拡大したのか、という問いかけもありました。厳しい問いです。フローでみると、世界のコンテンツ市場が年6%で拡大する一方、日本市場は縮小傾向にあります。他方、私の計算では、過去10年間で、日本の情報発信量は30倍に増大しています。M2M(マシン・トゥ・マシン)やビッグデータの活発化で、よりハイペースで増大するでしょう。

 しかし、マッキンゼーによれば、この10年に「蓄積」された情報は、日本は北米の11%にすぎないといいます。情報は生まれるが、知財として蓄積されていないのです。これではビッグデータも活かせません。従来は産業規模の拡大を国の目標に据えていたのですが、情報量や情報行動などに目を向けることが重要になっています。

 10年前にはスマホもタブレットもありませんでした。地デジもブロードバンドも整備中でした。今やデバイスも、ネットワークも、サービスも様変わり。しかもビジネスが全てボーダレスに移行しました。コンテンツ政策はこの数年で変化はしてきましたが、もはや断層的な転換が必要となっています。10年前、コンテンツ分野には成長産業という期待もありましたが、今や悲壮感をもって立ち向かう必要があります。

 コンテンツ政策はこの3年で変換しました。

1 著作権制度で守るスタンス以上に、プロジェクトを開発して攻めるスタンスに移行しました。

2 エンタメより基盤整備:インフラや人材育成に力を入れるようになりました。

3 国内だけでなく海外展開に注力するようになりました。

 方向としてはよいと思います。

 このタイミングでメンバーも少し入れ替えがありました。吉本興業大崎社長、ドワンゴ川上会長、プレイステーションの久夛良木健さん、AVEXの谷口さん、デジハリ杉山学長、俳優の別所哲也さんら従来メンバーに、講談社野間社長、フェイス平澤社長、東映岡田社長らが加わりました。角川グループ角川会長、漫画家の里中満智子さん、中山信弘東大名誉教授らも会議に参加されています。このかたがたの意見を集約しろっていうのは、拷問に近い。

 ただし、これまでの10年で、知恵はもう出尽くしています。頭をひねって新プランを出すことが大事なのではありますまい。さまざまな政策にどう優先順位をつけ、どう踏み込むかの決断が重要な段階なのです。実行なのです。その点、コンテンツ政策では韓国がよくモデルとして例に出されます。韓国と日本との違いは「国の気合い」。これを民間サイドから政府に強く求める。それが役割だと考えています。

 重点は3つ。

1. 海外展開の強化

 海外のメディア枠を買う、輸入規制を撤廃してもらう、そうした思い切った手が必要です。

2. 国内の基盤整備

 長期的な底上げを図ること。デジタル教科書の完全普及、オープンデータ:政府保有情報のオープン化と利用フリーなど骨太の施策が必要です。

3. 政府の一体化

 この数年で、文科、総務、経産など8省庁が一つのテーブルについて、前向きに施策をぶつけ合うようになりました。これが10年間の最大の成果かもしれません。これを前進させたい。特に、コンテンツ政策とIT政策の複合がポイントとなります。これも政治力が必要です。   

 とりまとめに気合いを込めたいと思います。


2021/09/12

韓国の教育情報化、その衝撃

 ■韓国の教育情報化、その衝撃

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/2/2(土) 8:05ー


 デジタル教科書。政府は2020年に一人一台環境を整備することを目標に掲げ、総務省と文科省とが連携して20の小中学校で実証研究を進めています。日本は本気です。ところが、韓国はもっとすごい。デジタル教科書の計画は日本より6年早くて、デジタルネイティブを想定した教育環境が設計されているんです。

 その背景には、「教育とITで生きる」という97年のIMF危機を経た韓国の明確な国民・産業界の意識があります。教育とITに資源を集中投下している実態もあります。「幸せは成績順にやってくる」(!)という言葉が定着しているほど教育熱が高い。子どもたちのデジタル読解力はOECD1位(日本は4位)。先生はIT利用で評価が左右され、教材作りにも熱心。日本の現場から聞こえる「たいへんだ~」という弱々しい声とは異なります。

 そして何より、政治リーダーシップの違い。教育をはじめ国全体のIT化を強力に進める決断と、断固推進する実行力。大統領制がプラスに生きた例でしょう。教科書を国が定めていた韓国が「教科書法」を改訂し、校長が認めればデジタルも教科書として扱われるようになったといいます。日本は法律上「紙」しか認められていません。まして校長が認めれば、など夢のようです。

 韓国の学校現場を歩くと、先生や生徒は日常的にスマホやタブレットを使いこなしていて、研修も訓練もなく授業で活用する実態を目の当たりにします。PCベースからモバイル、タブレットベースに移行しています。ただ、単に進んでいるというより、韓国のアプローチが日本モデルとは異なることに注意を要します。

 教育情報化を推進する韓国の政府機関KERIS (韓国教育学術情報院)は「当面、端末は自前で用意する。既に学生の4割がスマホを持ち、タブレットもいずれ広がる。端末はバラバラでよい。だが、2014年に全小学校でデジタル教科書をスタートさせる。」といいます。

 コンテンツ先行型です。デバイスの種類を問わず、デジタル教科書=アプリやコンテンツが使えるようにクラウドを整える。一人一台=デジタル教科書という日本が抱くハードウェア先行イメージとは異なります。

 このため、「標準化」が重要となります。2015年には、全てのアプリやコンテンツがあらゆる端末で利用できるようにしたいといいます。なるほど、コンテンツとクラウドの利用が先に走って、デバイスフリーという考え方や、そのためのポイントが標準化だとする視点は、依然PC主体で導入の是非を議論している日本の数周先を進んでいると言わざるを得ません。

 さらに驚くのは、SNSが学校現場に導入されている点です。ぼくが訪れた公立校では、韓国製SNS「CLASSTING」の学級サイトに生徒が写真をアップするとともに、EvernoteやGoogleドキュメントを使って、授業の感想やサマリーを共有。先生は家庭との連絡事項をCLASSTINGに投げるとともに、Facebookもtwitterも使っていました。家でもPCやスマホで予習・復習ができるのに加え、親も授業の内容をリアルタイムにチェックできるわけです。

 これにより、授業が効率的になったこと以上に、学校が開かれたという効果のほうが重要だといいます。親にも開くと聞くと、モンスターペアレントは?という質問がちらつきますが、「学校を開いたことで、親たちは信頼してくれるようになり、静かになった。」という反応。

 日本政府も民間も、「デジタル教科書、情報端末、教育クラウド」の3点セットを普及させるべく推進しているんですが、韓国の事例は、「ソーシャルサービスを軸に組み立てていること」「家庭や保護者にもオープンでつながっていること」の2点で、これまた一つ先のモデルと言っていいでしょう。未来があります。

 韓国の先生方にアドバイスを求めると、一様に「”やるかやらないか”の段階ではない。 “どうやるか”だ。」という答えが返ってきます。日本の関係者だけが常に「やるべきか否か」の質問を浴びせるからです。失われた20年。IMF危機とは別種の緩くて重い危機にある日本は、内側から変わるしかない。教育情報化はその典型的な試金石です。


2021/09/11

なつかしい「機械との競争」

 ■なつかしい「機械との競争」

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/10/5(土) 8:25ー


 エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィーの著「機械との競争」を読みました。MITビジネススクール「Sloan」の教授たちによる情報経済論です。

 コンピュータが人間の領域を浸食することで、特に中間層の雇用が減り、雇用は高所得を得られる創造的な仕事と低賃金の肉体労働に二極化すると警告します。

 自動車の運転も翻訳もコンピュータがカバーします。ホワイトカラーの仕事は機械に肩代わりされ、人間が勝るのは音楽、ソフトウェア、スポーツといったクリエイティブな仕事と、肉体労働とに集約されるというのです。

 所得の中央値は過去10年で減少し、1人当たりGDPは増加したといいます。富の増加分の80%以上が上位5%の世界に集中しています。中間レベルの所得が失われ、格差が拡大しているのです。

 なつかしいなぁ、というのが第一の感想です。こういう議論は15年前にありました。

 PCやネットの普及は、そのために進められる。経営者がムダなホワイトカラー、中間管理層を切るために、ネットの普及を浸透させる、というのがアメリカの空気感でした。特にぼくがいた、MITのある東海岸では、それが正当な行為として賞賛されていました。

 そのころ日本でも企業でのネット利用がぼちぼち進んでいましたが、その目的はハッキリせず、ベンダーやソフトハウスやシンクタンクや通信会社の営業に押される形で恐る恐る導入する会社が多くて、投資も本格化しませんでした。

 だんだん「中抜き」論が勃興し、ネットの普及はホワイトカラーの危機感をあおり、普及にドライブがかからないままでした。

 女子高生などの末端ユーザがデジタルをガンガン使いこなし、世界で群を抜いて情報を発信する国になっているにもかかわらず、企業のネット利用という点では、情報通信白書が示すように、経営者のIT利用偏差値が先進国最下位を記録するというありさまです。

 そんな古いテーマを今になって気鋭のビジネススクールの看板教授が持ち出しているのは、ようやく議論できるだけの実証データが揃ってきたということなのでしょう。

 実はエリック・ブリニョルフソン教授は、2000年にeBizセンターをMITに立ち上げた教授でして、当時MITメディアラボに所属していたぼくは、CSK(現SCSK)を口説いてセンターの設立スポンサーとして参加しました。

 ネットバブル崩壊前、アメリカIT分野の鼻息が最も荒いころです。いやぁ、荒かった。それから曲折を経て、東海岸はIT分野で西に引き離され、十数年経って、ITはヤバいよ、という実証を持ち出してきたのですね。

 気持ちはわかる。当時のぼくは、アメリカの鼻持ちならないIT攻勢に辟易としながら、MITによる、デザイン+テクノロジー(メディアラボ)とマネジメント+ポリシー(スローン)のかけ算プロジェクトに、並々ならぬ興味を抱いておりまして、そのモデルを一つの組織=大学院でやってみたい、というのが今ぼくが所属するKMDへの期待となっているのです。

 本書は警告を発するものの、1811年のラッダイト運動を引き合いに出し、古い仕事が失われても新しい仕事が生まれるというのが経済学の教えと説きます。そのとおりです。

 産業革命の第一ステージ=蒸気機関も、第二ステージ=電気も、多くの労働者を生みました。産業革命の第三ステージ=コンピュータとネットも長期にはそうだと説きます。

 基本は楽観的なのです。デジタル技術は人類は豊かにする、というのが基調です。

 なお、コンピュータやネットを第三次の産業革命と見るのは公文俊平先生と同じですね。ぼくはコンピュータやネットは300年単位の産業革命ではなく、1000年単位の文化革命だと見ていて、蒸気機関や電気とはレイヤが違うと思っています。長期の経済からみて楽観なのは同じですけど。


2021/09/10

参加型のポップカルチャー政策を

 ■参加型のポップカルチャー政策を

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/8/24(土) 9:06ー


 ポップカルチャーを支援する政策に対しては、マンガ・アニメ・ゲームはオカミと闘いながら民間だけで成長してきた、ヘタに手を出すな、との強い意見があります。民間だけで成長してきたというのは正しい。

 しかもそれら文化は昨今とつぜん立ち現れたものではなくて、1000年以上の時間の中で、庶民文化として、みんなが創造力を発揮することでできあがってきたもの。社会構造やインフラを含む「総合力」が生み、育てたものです。

 ネットやケータイでも日本はかなりポップで多様なジャンルを築いていますが、それも同様。これからも新しいメディア技術が登場するたびに、その総合力を活かしてポップな文化を生んでくれることを期待したい。

 そこには手を打つべき問題もあると思うんです。

 まず、そんな現状ポジションを日本は活かせていないのではないか。経済的にはコンテンツは成長産業どころか縮小傾向にあり、アニメの制作現場の悲惨さは笑えないギャグネタです。政治的にも活用できていない。海外の若い世代にとって日本はソニーやトヨタよりもピカチュウやドラえもんですが、そのソフトパワーを外交に活かせてはいません。

 そして、現状のポジションがキープできるかどうかもおぼつかない。ポップカルチャーは定義上、流行文化であり、うつろうのが本質。今日のポップが明日のポップである保障はなく、別のポップや外国のポップに置き換えられることを覚悟せねばなりません。では、日本が永続的にポップを生み、育て続けるメカニズムはあるのか。あるとは言えません。政策が第一に考えるべきは、そのメカニズムとなる土壌を豊かにすることだと思います。

(これは今回の短期型のポップカルチャー分科会ではなく、より中長期に関する知財計画の中で考えるべきテーマです。)

 コンテンツ政策への風当たりは、特に「予算」に向けられることが多い。「血税を使うな」と。業界に補助金を与えることで、間違ったところにカネが流れ、ダメなヤツを温存してしまう、といった批判です。ぼくも産業保護には反対で、業界対策の予算にはナーバスです。

 支援措置として発動するなら、アナウンス(旗振り)、規制緩和(電波開放や著作権特区)、減税。それで民間の自主的行動にインセンティブを与えることではないかと。

 でも、インフラ整備(デジタル環境)や人材育成(教育)にはカネかけていい。道路予算(今は減りましたが、少し前まで10兆円ほどありました)の1割を文化と教育に回せれば、たちどころに変わります。地方高速道の車線を増やすより、知財の生産力を高める政策に重点投資してもバチは当たりますまい。

 20年前、IT政策の予算が強化され始めたころ、「道路より通信網」の主張は、ある程度通じました。日本をブロードバンド大国にした一要因です。でも、コンテンツ政策はそうならないんですよね。ポップカルチャー政策を強化しようと言うと、ポップ好きの人たちからバーカと言われる。それじゃ強化されませんよね。

 それは、予算にしろ規制緩和にしろ、どこにどう政策資源を配分するかの「目利き」が国民やファンから信頼されていないせいもあるんでしょう。コンテンツのよしあしを政治家や官僚が判断できっこないだろう。ごもっとも。審議会のような権威の集まりというのも白眼視されがち。「みんな」が作り上げるポップカルチャーは、「みんな」が考えるのがいいんですよね。ネット選挙なのか何なのか、その手段はぼくにはわかりませんけど、参加型の政策が求められているんだと思います。

 

 20年前、政府にコンテンツ政策を打ち立てようと企てた「メディア・ソフト研究会」に招いた三枝成彰委員が発言したことを今も覚えています。「こういう政策は、本気で100年やり続けるか、何もやらないか、どちらかだ。」

 ポップカルチャー?政府は何もするな。そういう声、よく聞きます。常に傾聴しております。でもぼくは、「政府は本気で100年やり続けろ。」と言いたい。みなさん、どっちですか。


リアリズムの田中角栄

 ■リアリズムの田中角栄 ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/9/7(土) 11:30ー  早野透著「田中角栄」を読んで、改めて田中政治って何だったのかなと考えています。  毀誉褒貶のチャンピオン。金権政治、官僚操縦、数々の議員立法を通した政策マン。評価はさ...