2021/11/23

リアリズムの田中角栄

 ■リアリズムの田中角栄

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/9/7(土) 11:30ー


 早野透著「田中角栄」を読んで、改めて田中政治って何だったのかなと考えています。

 毀誉褒貶のチャンピオン。金権政治、官僚操縦、数々の議員立法を通した政策マン。評価はさまざまですが、一つの型というか、システムを作られました。

 それは、イデオロギーよりもリアリズム、理念より実利を求める政治の型であり、その手段としての集金・分配と数のメカニズムであり、それを代表する「党人」という立場だった、と思います。

 イデオロギーや理念先行型の政治は、官僚出身者に多かった。吉田(外務)、岸(農商務)、池田(大蔵)、佐藤(運輸)、福田(大蔵)、大平(大蔵)、中曽根(内務)、宮沢(大蔵)。官僚出身の総理は、やりたいことが先にぷんぷん漂っていました。

 これに対し、田中は、日本列島改造論や日中国交正常化など、総理になるころに打ち出した政策は理念的に見えますが、基本は、ドブ板の選挙と集金・分配を通じて、地域が求めるものをゴリゴリと実行していった政治家だと思います。理念的にやりたいことよりも、民衆から求められることをやった。

 議員立法を重ねたことから、理知的な法律家という評価もありますが、基本はその党人的な手腕と魅力で官僚システムをこき使い、民衆から求められる制度や予算をしつらえていったのが実態ではないかと見ます。

 ぼくは、これが自民党政治の幹であり、迫力の源だったと思います。イデオロギーよりも民衆のリアリズムに立脚し、ひたすらそれを実現する。足腰と耳の政治です。

 72年、田中は毛沢東国家主席、周恩来首相と談判し、日中国交正常化にこぎつけます。同年の沖縄返還に次いで、戦後処理を仕上げました。オイルショック後はエネルギー政策も転換しました。それがアメリカの不興を買い、後の失脚につながったとする説もあります。これらも確固とした理念というより、リアリズムに従った政治だったのだとぼくは思います。

 その後、国運をかけた政治判断はありませんよね。湾岸にしろイラクにしろ、戦争参加の判断とはいえ、よそごとでしたし、バブル処理も国鉄電電郵政民営化も国運をかけたわけじゃありませんしね。TPPの判断に手間取ったのもしかたありませんわね。

 ぼくが田中角栄を評価するのは、史上最大のコンテンツ政策を遂行したからです。テレビ局の一斉開設です。1957年。岸内閣で39歳で郵政大臣に就任した田中が民放34社に一斉免許を与えました。これがテレビ産業の拡大をもたらし、日本コンテンツの大本となる産業を成立させました。

 腰を抜かすほどの電波開放。コンテンツ政策には長く関わっていますが、未だこれを超える政策はありません。89年、通信衛星を放送に使えるようにした制度改正、つまり多くのプロダクションが放送局になる道を開いた政策がこれに次ぐものですが、なんと言っても地上波開放のインパクトが大きかった。

 現在のコンテンツ政策も、それくらいのダイナミックな政治力が求められています。ちかごろコンテンツ政策には政府も肩入れしていますが、粒が小さすぎる。こういうガツンとしたオヤジが欲しいと思います。ぼくは文化政策、通信放送政策、家電・ソフトウェア政策、IT・知財政策を合体した「文化省」を提案しているんですが、田中角栄文化大臣だったら何を企画してくれるだろうという空想に捕らわれます。


2021/11/22

ポップカルチャーの提言

 ■ポップカルチャーの提言

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/8/31(土) 9:03ー


 前回までのような経過で、ネット上のいろんな意見をくみながら、委員のみなさんと議論し、提言を練っていきました。そして4月30日、クールジャパン推進会議が開催されました。稲田担当大臣、寺田副大臣、山際政務官、財務・外務、 農水・国交・文科政務官ら霞ヶ関そろい踏み。委員は秋元康さん、角川歴彦さん、金美齢さん、コシノジュンコさん、佐竹力総さん、千宗室さん、依田巽さん。 ぼくはポップカルチャー分科会の議長として出席し、その席で、ポップカルチャー分科会がとりまとめた提言を報告しました。以下、全文です。

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飛び出せ、日本ポップカルチャー。

 ポップカルチャーが世界に飛び出す「発信力」を強化する。

 このため、「参加」(短期)、「融合」(中期)、「育成」(長期)の三策を講ずる。

 「みんなで」「つながって」「そだてる」。

■みんなで    ・・・「参加」(短期)

  世界中の子どもが知っているアニメもゲームも、海外の若者が憧れるファッションも、支えているのは消費者、ファンの愛情。クリエイター、キャラクター、事 業者、そして何よりそれらを愛する国内と海外のファン。「みんな」の力を活かしたい。インターネットで多言語発信し、内外でイベントを開き、交流できる場 や特区、さらには「聖地」を形作るなど、みんなが「参加」して情報を発信する仕組みを構築しよう。政府主導ではなくて、みんな。

■つながって   ・・・「融合」(中期)

  クールジャパンは、マンガやJ-popだけではない。歴史、風土、精神文化、ものづくりの技術、それら全てが「融合」した総合力。そしてカワいいキャラク ターやカッコいいヒーローは、政治体制の壁も乗り越えて世界に受け容れられる。ポップカルチャーには海外への先導役をお願いしつつ、食、観光はじめ多くの 産業や伝統芸術、精神文化とも「つながって」、日本の総合力を発揮してもらおう。

■そだてる    ・・・「育成」(長期)

  ポップカルチャーを生むのは人。楽しむのも人。内外の人財を「育成」しよう。時間をかけて、トップを引き上げ、ボトムを厚くしたい。一流のクリエイターや プロデューサを育てる。彼らが意気に感じ、意欲をもって仕事に取り組むことができる環境を与えたい。海外のファンに正しい知識を与え、日本への視線を熱く する。子どものポップな創造力と表現力を育み、誰もがアニメを作れて作曲ができるようにする。このための制作環境や教育基盤を整えよう。

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 分科会委員のみなさんやネットでの意見も取り入れ、この三点にしました。特に、「政府主導ではなく、みんなで」を強調。

  クールジャパン推進会議では、この方向性を示した上で、この下に具体的なアクションを打つことが大事だと述べ、配信サイトやファンサイトに外国語翻訳をつけていくこと、海外向けテレビチャンネルとネット配信を整備すること、食・観光などと組み合わせた特区を作ること、内外の大学にポップ講座を設けること、 子ども向けワークショップやデジタル教材を開発すること等を例示しました。

 一方、これもぼくが会長を務める知財本部コンテンツ専門調査会でも、著作権制度や海賊版対策などに力を入れており、それらも合わせて日本のソフトパワーが発揮できるよう、委員や政府関係者にお願いをした次第です。

 ぼくの役目はここまで。

 後は一国民として、これから練られるクールジャパン推進会議や政府のアウトプットを注視すると同時に、ハッパかけたりプレッシャーかけたりしていきます。


2021/11/21

デジタルえほんアワード 2013

 ■デジタルえほんアワード 2013

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/11/9(土) 9:40ー


 

ワークショップコレクション9の会場でデジタルえほんアワードの受賞作品の発表と表彰式が行われました。第2回目の開催です。

 デジタルえほんアワードは、スマートフォンやタブレット、サイネージや電子黒板など、テレビ・PC以外の新しい端末での子ども向けのデジタル表現すべてを 「デジタルえほん」とし、応募作品の中から優秀な作品を表彰するものです。

 われらがNPO「CANVAS」、われらが株式会社「デジタルえほん」の共催です。

 審査委員は以下のかたがた。豪勢でしょ。

・いしかわ こうじ  絵本作家

・角川 歴彦  株式会社角川グループホールディングス取締役会長

・香山 リカ  精神科医・立教大学教授

・きむら ゆういち  絵本作家

・小林 登  東京大学名誉教授・国立小児病院名誉院長

・杉山 知之  デジタルハリウッド大学学長

・水口 哲也  クリエイター・プロデューサー

・茂木 健一郎  脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特任教授

 今年の注目は、作品賞「めがねはちょうちょにあこがれる」。作者は竜海中学校の現役中学生、宇野侑佑くん。部活で作成したというデジタルです。メガネがきれいなチョウチョにあこがれて、いろんな方法で蝶になろうとするお話。いま宇野くんは文化祭に向けて3Dのカーレースゲームを制作中だといいます。機能が豊富なので英語の勉強をかねて英語版のソフトウェアを使っているそうです。たくましいなぁ。

 今回、慶應で表彰式が行われるため、仲間から「慶應大学おめでとう」というメッセージを受け取ったというお話を引率の先生がされていました。冗談じゃなくて、慶應に来てくれるといいな。

 審査委員からコメントをいただきました。まずはデジタルえほんの可能性に着目するメッセージ。

 香山さん「そもそもデジタルえほんなるものを操作できるのか心配だったが、スグにその世界に引き込まれた。」杉山さん「デジタルえほんは、新しい表現メディア。スマホ、タブレットの枠からも飛び出し、子どもから大人まで楽しむものが出てくるだろう。」

 水口さん「親が参加して初めて完成するえほん。新しい仕組みのものが出てきており、多様化している。」角川さん「そしてこれからますます広がっていく。ジョブスもエラいが、この分野を切り開いているみんなもエラい。」

 小林先生からは、さらなる宿題をいただきました。「産声を上げた赤ちゃんはまず周りを見回す。情報を求める存在。情報は脳や心の栄養。受賞者はその仕組みを研究してほしい。日本はアメリカや韓国に教育の情報化が遅れている。日本の将来のためにも「子どもが情報をとらえる力」を考えてほしい。」

 絵本作家のいしかわさん。「デジタルえほんは、絵本をデジタル化したものじゃない。屋外でケータイ使ったフィールドワークものや、ドリル学習えほんなど、それならでは表現メディア。 90年代にマルチメディアが期待されていたころは、結局は定着しなかった。キーボード主体だったからだ。スマホやタブレットは、デジタルだがアナログ的なツールが出てきたことが大きい。中学生の受賞はうれしい。作る喜びをそこに見出すことができる。」

 同じく絵本作家のきむらさん「そのとおり。絵本をデジタル化したものではない。全く違う発見があった。だが、まだまだ可能性がある。3年後は審査員ではなく、受賞者側に回りたい。」

 最後に、茂木さんから、ハッパをかけられました。「”デジタル”という言葉は誤解されている。絵本は紙じゃなきゃダメだという意見には根拠がない。デジタルとはインタラクティブのことだ。考えてみれば、紙芝居はインタラクティブだった。それが進化したものだ見ればいい。しかし、日本はその対応が遅い。20年間眠っている。スピード感が必要だ。動画のYouTubeはアワードなんてなくてもスゲー、という存在になっている。デジタルえほんも、こんなアワードがなくたってスゲーとなるようなものにならなければ。審査員が選ぶというスキームではなく、みんなが選ぶといった手法で広げていきたい。」

 がんばります。がんばりましょう。


2021/11/20

ポップカルチャー政策の根拠

■ポップカルチャー政策の根拠

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/8/17(土) 8:35ー


 コンテンツが一つの政策ジャンルになって20年近く。ここにきて政府は一段と高いギアに入れ、クールジャパンやポップカルチャーを前面に打ち出しました。

 でも、ポップカルチャー政策を話題にすると、中味も聞かず、「そんなの国のやることかよ!」という声が必ず飛び交います。マンガ、アニメ、ゲームの海外人気が認知されたとはいえ、未だサブカル扱いで、政策の俎上に乗せようとすると冷たい視線を浴びます。

 クールジャパンは10年前にダグラス・マッグレイ氏が記した論文「Japan’s Gross National Cool」がキッカケですし、ソフトパワーを提唱したジョゼフ・ナイ ハーバード大教授が日本はポップカルチャーの力を活かすべきと提言するなど、この流れは日本が自己評価して進めたというより、海外からの発見が先行したもの。国内的には及び腰。

 なかなか話がかみあわない。ぼくも政策に関与して20年ほど、じれったさを感じてきました。今回、ポップカルチャー政策の議論に参加してみると、やはりあちこちからタマが飛び、あちこち被弾しました。

 だけど、そもそも、ポップカルチャー政策はなぜ必要か。そのおおもとの整理が必要です。

 まずは経済政策として。アニメにしろ音楽にしろ、人気コンテンツはビジネスになります。それだけなら放っておけばいい。ターゲティングポリシーはとうに卒業したはず。

 ただ、それによって得られた日本に対する好感度や憧れといった波及効果、経済学でいう外部効果はビジネス上はカウントされない。コンテンツ生産量は社会経済的にあり得べき量より過小となる。これを政策的に高める。

 したがって、経済政策的には、コンテンツ産業自体の売り上げを伸ばすというより、コンテンツを触媒として、家電や食品や観光などを含む産業全体が伸びることが狙いとなります。

(これまでもコンテンツ産業の拡大が政策目標にされたことがありましたが、ぼくは反対でした。産業の数値を目標にするならGDPの拡大でしょう。)

 もう一つは、文化外交として。ナイ教授のいうソフトパワー、つまり文化の魅力で他国を引きつける国際関係論です。先ごろ日中関係が揺れていた最中に北京大学の博士課程の学生たち数十名にメディア政策について講義をしてきたのですが、その際、連中からは日本ポップカルチャーの動向に質問が集中しました。スキなのですよ。ナルトやワンピースは、戦争を抑止するほどの力を持っていないとしても、ケンカを止める対話のキッカケぐらいにはなるでしょう。

 なお、この評価指標がまだできていないのが課題。かつてスタンフォード日本センターで、GDPP(ポップパワー指数)を開発するプロジェクトを企画したものの、スポンサーが見つからず、うまく立ち上がりませんでした。やってみたいものです。


2021/11/19

教育情報化八策

 ■教育情報化八策

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/8/3(土) 10:02ー


 デジタル教科書教材協議会(DiTT)は6月、「教育情報化八策」をとりまとめました。政府は1人1台の情報端末とデジタル教科書の整備に動きを見せていますが、その動きを加速的に推進するため提言したものです。[ ]は数値目標です。

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・ 教育情報化タスクフォースの設置  [1]

 文科、総務、経産、厚労、内閣府など関連する省庁横断のタスクフォースを総理大臣直轄として置き、目標の設定、計画の推進、課題の解決に当たる。その一元的な推進機関をタスクフォース直下に置く。産官学連携の協議会(コンソーシアム)を形成し、協力態勢を敷く。

・ 「デジタル教科書法」の策定  [3]

 デジタル教科書を正規化するための3法(学校教育法、教科書発行法、著作権法)の改正を含む「デジタル教科書法」の策定に向けた検討を開始し、2013年度に結論を得て、必要な措置を講ずる。

・教育情報化計画の前倒し [5]

  「教育情報化ビジョン」の目標年度2020年を5年前倒しし、2015年に全ての子どもがデジタル教科書で教育を受けられるようにする。

・ デジタル教育システム標準化 [10]

 情報端末、クラウドネットワーク、デジタル教科書・教材のシステム標準化を図り、10地域のモデル自治体で検証を行う。2015年には標準スペックを決定する。

・ 推進地域の全国配置  [100]

早急に全国47都道府県、政令市を含む100か所に推進拠点地域を設定し、施策を重点投下する。教育センター等による教員研修も重視する。

・ スーパーデジタル教員の支援  [100]

 世界で共有できるデジタル教材の開発を促進するため、各地域の教育情報化の実践で成果を上げている全国の教員100名を「スーパーデジタル教員」に選定・支援する。優良教材については産官学の協議会が全国への普及を支援する。

・ デジタル創造教育の拡充  [1000000]

 ICTによる創造力・表現力を育成するワークショップに年間100万人が参加できるよう支援する。(参考:2013年3月のワークショップコレクションには10万人が参加)

・教育情報化の予算措置 [300000000000]

  教育情報化に使途を限定し、毎年3千億円規模の予算措置を行う。

  使途はハード、ソフト、人的サポートなど必要なものを広範囲に適応できるようにする。

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 3法律の策定、計画の5年前倒し、3千億円の予算措置といった内容は従来の提言を受け継いだものです。ポイントは、全国のリーダーとなる先導100地域・100教員を指定し、具体的な支援策を講ずるという点。

 2014-5年を目途に一人一台を達成しようという自治体が複数登場し、現場の先生方も勢いを増しています。これをとらえ、政府主導の運動よりも、地域や現場主導の運動へ、上からの指示でなく、下からの盛り上がりへ力を入れようということです。

 このため、DiTTでは、全国の自治体や先生方に自薦・他薦で名乗りを上げてもらい、登録する作業を進めています。ウチこそ・ワレこそという方は、事務局までご一報ください。


2021/11/18

北京大学の秀才が見る日本

 ■北京大学の秀才が見る日本

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/4(土) 9:19ー


 尖閣の問題がまだくすぶっているころ、北京大学を訪れました。日本のメディア政策について3連続講義を頼まれまして。相手は博士課程の学生20名。みな北京以外の、いわば田舎から上京した学生だといいます。地方で神童と呼ばれた人たちのようです。超優秀な精鋭。中国の次世代を担われるんでしょう。

 しかし冷え込んだ日中関係のもと、日本に興味はあるのか?ぼくの話を静かに聞いていた連中に、質問しました。

 「日本のコンテンツで知ってるのは?」

 連中が一斉に声を上げ始めました。

 ナルト、ブリーチ、ワンピース、デスノート、コナン、ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ギンタマ、ハガレン・・・なんだいなんだい、おスキなのね。

 もう一問。「一番有名な日本人は?」 めいめい名前を挙げた秀才たちが熱く議論を闘わせました。結果は、こうです。

 1位 蒼井そら  2位 ドラえもん  3位 宮崎駿

 

 ただ、そこは北京大の博士学生。政治的な話には敏感でした。「習近平政権の第一課題は?」と振ると、地域格差、経済格差に並び、党幹部の汚職問題を挙げました。新政権になって摘発が相次いでいるが、尻尾切りだ。ポーズに過ぎない。落ち着いたら元の腐敗に戻るだろう。など厳しい指摘。あけすけなんです。

 今度は向こうから質問が吹き出しました。タジタジでしたが、ぼくの即答も合わせてメモしておきます。彼らの日本を見る視点が少しわかるかと思います。

・政府に情報公開させる手法は?

 情報公開法など、制度で政府を規制し、国民に請求権を渡す手法が基本。ただ、最近のオープンデータ運動のように、政府や自治体と民間が連携して行動を促す方法もある。政府、官僚を督励し、成果を出した部門を高く評価する太陽政策だ。日本ではこちらのほうが効果的と考える。

・NTT民営化・再編の経験は他産業にも波及しているのか?

 電電公社や国鉄の民営化は郵政事業はじめ他分野の民営化と競争促進の参考になった。ただし、技術進歩や競争環境によって適用可能性が異なることに注意を要する。原発問題を契機として電力の競争環境整備が課題となっているが、同じアナロジーが適用できるわけではない。

・教育情報化が論理的思考を奪う恐れはないか?

 紙をデジタルに置き換える、ペンをキーボードに置き換える、という考え方であれば、そのような恐れも想定し得る。だが、私たちのアプローチはアナログとデジタルの共存。リプレースではない。アジアでは特に「書く」文化と能力に重きを置くが、これは当面、不変。「書かせる」デバイスや授業も重要。アナログvsデジタルという問題ではなく、授業の内容の問題。

・自動翻訳技術は中国のプレゼンスを高めるか?

 2007年のTechnorati調査では、世界のブログで使われている言語は37%が日本語、36%が英語、そして8%が中国語だった。日本語が世界一だったのは若者のケータイによる情報発信。今回、北京を歩いてとても多くの人がスマホを使っているのを見た。いま計測すれば中国語が相当増えているのではないか。そして中国語で発信された情報が各国語に自動翻訳され流通する。間違いなくプレゼンスを高める。

・大学が新産業育成に果たす役割は?

 スタンフォード、ハーバード、MITのように、数々のIT企業やサービスを大学がプラットフォームになって生み出していったアメリカのような成果を日本は挙げることができていない。従来型の教育と研究だけでなく、社会経済のプラットフォーム、次世代産業の増殖炉として機能することが求められる。ぜひ北京大学のみなさんとも連携して何か生み出しましょう。

・著作権保護の強化は日本人の学習機会を奪っているのでは?

 あなたがたがアニメはじめ色んなコンテンツをフリーで使って学習しているのは知っている。日本はあなたがたより制約がある。だが私から見れば中国の保護は緩すぎる。日本の権利者からみれば問題も多い。コンテンツが国境を越えて流通する量が爆発的に増えるので、国際調整はいよいよ重要。あなたがたのようなリーダーにはしかと考えてもらいたい。

 ひとまず反日暴動は収まり、民衆は平静を取り戻しているものの、王府井の書店では1フロア日本のマンガが占めていた場所が撤去されたままであるなど、経済の関係は落ち込んだままでした。

 中国では新政権が一足先に発足し、日本の安倍新政権の出方を待っている状況でした。習近平政権は2020年までに所得を倍増する計画ですが、エネルギーや環境問題をどう並行してクリアするのか、それまでに一党独裁制がほころびずに済むのか、内なる悩みは深そうです。

 今後も政治的に両国の関係が揺れることはあるでしょう。そんな中でぼくら大学関係者ができることは何でしょう。改めて彼らと論じてみたいと思っています。


2021/11/17

復活するか、マイナンバー

■復活するか、マイナンバー

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/4/20(土) 8:48ー


 税と社会保障の共通番号「マイナンバー」を導入する法案「行政手続きにおける特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」。今国会での成立が見込まれています。2012年に国会提出されたものの、解散を巡る政治的駆け引きのあおりをくらって廃案となっていたのが再提出されたものです。法律が成立しても、マイナンバーの導入は当初計画より1年遅れの2016年となります。

 マイナンバー。何だろう。

 気になって、自分に関する番号を片っ端からチェックしてみました。運転免許証、パスポー ト、年金手帳、税務署からの請求、みな別の番号がついていて、国や公的機関が管理している。大学や企業その他の所属団体の証明証、電話番号、病院の診察券、クレジットカード、キャッシュカード、ポイントカード、アメリカに住んでたころ取得したソーシャルセキュリティナンバー・・、みな番号がついていて、誰かが管理している。一方、これだけ番号がある中で、国民全員が持ち公的機関が管理する番号はなかったわけです。

 この制度は、「国民ID」より「税と社会保障の一体改革を進める」という目的に集中して作られています。所得が把握しやすくなるし、行政コストも減るだろう、ということです。国民に与える番号は、氏名・住所・性別・生年月日の4情報と関連づけた個人番号。これを住民基本台帳で管理・把握しようとする。10年前に住基カード、住基ネットで騒ぎになり、あまり使われてこなかった仕組みをきちんと使おうとするしくみだそうです。

 よくわからなさが手伝って、怖がってる人も多いですね。2011年の政府調査によれば、「番号制度導入により国家によって国民が監視・監督される」46.9%。「偽造やなりすましによって、自分の情報が他人からのぞき見されたり不正利用されたりする」36.7%。「自分に関する情報が漏洩しやすくなる」27%。

 でも、国家監視で言えば、パスポートは外務省、免許証は警察、今でも管理したけりゃできます。逆にパスポート番号を管理してくれてないと外国入れずに困ります。情報漏洩にしても、4情報が漏れて本当に困ることって何でしょう。日々ネットの利便を実感しているぼくは、ぼんやりした不安でメリットを潰すことが正当化できないでいます。

 もちろん、安心できる制度構築は大事。法案でも、目的外の特定個人情報の収集・保管の作成禁止、第三者機関(個人番号情報保護委員会)による監視・監督といった手段が執られようとしていました。まぁ、どこまでコストをかけるかですね。個人情報保護のあおりで見られたような、緊急連絡網が作れないとか、事故で搬送された人のリストを病院が警察に教えないとか、行政が民政委員に情報を渡さずに虐待家庭のフォローができないといった事態は、安心を求めて余計に不安をもたらした事例でしょう。

 便利と安心のバランスは、公開と保護のバランスと言い換えてもいい。マイナンバーはコンピュータ/ITシステムですが、ネットを巡る利便性と恐怖の問題と同様ですね。ぼくはITの利便性をどう拡張するかに心を砕いているので、マイナンバーもいかに安心を確保するかよりも、どうメリットを拡げるのかに関心があります。

 病院・学校・銀行・引越・郵便局・ネット・郵便。公共的な領域に絞っても、いくらでも利用分野があります。金融・固定資産を一括管理する資産運用アドバイス。病院間をつないだ医療データのやりとり。さらに、一度IDを登録すれば他のサイトでも同じIDでログインできる、いわゆるオープンIDに拡げれば、ネット上のさまざまな民間サービスで利用できます。野村総研の試算では、番号制度による電子行政の効果3.8兆円に加え、民間でのID活用により10.5兆円の経済効果があるとしています。

 税と社会保障に限るだけでも不安が高いことを考えれば、そこまで拡げるのは抵抗が大きいでしょう。しかし、だとすれば、税と社会保障だけで巨額のコストをかけてシステムを構築するメリットも説明しづらい。といいますか、要するにぼくがよくわからないのは、メリットの小ささと安心コストの大きさがアンバランスじゃないか、ということです。

 民間利用の範囲で言えば、「自由に認める」と「一切認めない」との間に、「利用者・顧客が同意すればいい」とか「政府の許可制にかからしめる」とか、いろんな幅があるでしょう。道はあるということ。でも、民間利用の可能性は、法施行後3年たってからようやく検討されるそうです。

 ううむ。教育情報化の議論もそうなんですけど、メリットがどうでデメリットがどうで、便利がどうで安全がどうで、って話ばっかりで、結局導入が見送られたり、利用が制限されたりっていうのは、失った20年を通して日本が悩まされている宿痾です。

 やっちゃおうぜ、という雰囲気になる空気が欲しい。いま必要なのは、換気扇ですかね。

 

2021/11/16

本気か?クールジャパン政策

 ■本気か?クールジャパン政策

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/22(水) 7:39ー


 政府・知財本部では、今期政策の審議が大詰めを迎えている。私がコンテンツ専門調査会の会長を務めるようになった4年前から、いわゆるクールジャパンは知財政策の柱となっている。マンガ、アニメ、ゲームに代表される現代流行文化=ポップカルチャーを核としつつ、ファッション、食、伝統工芸、観光など経済・文化全般にわたるソフトパワーを発揮する。特に海外市場を取り込むことがミッションだ。

 しかし、取組は十分ではなかった。海外から評価されているポジションを日本は活かせていない。経済的にはコンテンツは成長産業どころか縮小傾向にあり、アニメの制作現場の悲惨さは笑えないギャグネタだ。政治的にも活用できていない。海外の若い世代にとって日本はソニーやトヨタよりもピカチュウやドラえもんだが、そのソフトパワーを外交に活かせてはいない。

 クールジャパンは10年前にダグラス・マッグレイ氏が記した論文「Japan’s Gross National Cool」がキッカケであるし、ソフトパワーを提唱したジョゼフ・ナイ ハーバード大教授が日本はポップカルチャーの力を活かすべきと提言するなど、この流れは日本が自己評価して進めたというより、海外からの発見が先行したものだ。国内的には及び腰だった。

 

 安倍政権が誕生し、この認識は改まったかに見える。知財本部とは別に「クールジャパン推進会議」が編成され、ソフトパワーを活かす方策を考えることになった。コンテンツが一つの政策ジャンルになって20年近くたって、政府は一段と高いギアに入れることにした。

 しかし、下手をすると、歌舞伎や華道や佐渡おけさを海外に紹介するという懐かしい政策に陥りそう。事実、そうした雰囲気も漂っていた。政府もより日本が強みを発揮できる政策を求め、更に「ポップカルチャー分科会」を置いて海外への発信策を練ることにした。

 私がその議長を務め、4月30日には「飛び出せ、日本ポップカルチャー。」と題する提言をとりまとめた。キーワードは、「みんなで」「つながって」「そだてる」。「参加」(短期)、「融合」(中期)、「育成」(長期)の三策を講ずるというものだ。

 インターネットで多言語発信し、内外でイベントを開き、交流できる場や特区、さらには「聖地」を形作る。一流のクリエイターやプロデューサを育てる。子どものポップな創造力と表現力を育み、誰もがアニメを作れて作曲ができるようにする。といった施策を念頭に置いている。特に、「政府主導ではなくて、みんな」で推進するという視点を強調した。

 これを具体化し、成長戦略につなぐことができるか。政府の本気度が問われている。

 難問である。クールジャパンやコンテンツを話題にすると、「そんなの国のやることかよ!」という声が必ず飛び交う。マンガ、アニメ、ゲームの海外人気が認知されたとはいえ、未だサブカル扱いなのだ。

 そう、国のやることだ。これは特定産業の育成策ではない。コンテンツを支援するのは、外部効果が大きいからだ。コンテンツ産業の売り上げを伸ばすというより、コンテンツを触媒として、家電や食品や観光などを含む産業全体、GDPを伸ばすことが狙い。むろん、ナイ教授のいうソフトパワー、つまり文化の魅力で他国を引きつける政治学的な意味合いもある。

 ただ、カネの使い方は要注意。コンテンツ政策への風当たりは、「予算」に向けられる。間違った業界にカネが流れ、ダメやヤツを温存してしまう。あるいは、かつての「アニメの殿堂」のように、コンテンツやヒトではなくハコに回ってしまう、といった批判だ。

 私も産業保護の補助金には反対だ。それよりも、支援措置として発動するなら、アナウンス(旗振り)、規制緩和(電波開放や著作権特区)、減税。それで民間の自主的行動にインセンティブを与えることではないかと考える。そして、ハコよりヒトだと考える。

 だが、インフラ整備(デジタル環境)や人材育成(教育)にはカネをかけてよかろう。道路予算の1割を文化と教育に回せれば、状況はたちどころに変わる。地方高速道の車線を増やすより、知財の生産力を高める政策に重点投資してもバチは当たるまい。

 しかも、日本の文化予算は他国に比べかなり低い。文化予算/政府予算は、日本が0.13%なのに対し、フランスや韓国は1%近くある。文化政策のプライオリティーを全政策のどのくらいに位置づけるか、を考える機会であろう。

 それは、予算にしろ規制緩和にしろ、どこにどう政策資源を配分するかの「目利き」が国民から信頼されていないせいもあろう。コンテンツのよしあしを政治家や官僚が判断できっこない、という指摘はごもっとも。審議会のような権威の集まりも白眼視されがちだ。

 私はかねてから日本に「文化省」を作るべきだと主張している。文化、知財、ITに関する政策の司令塔を創設して文化立国を明確にする。だが、ことポップカルチャーのような「みんな」が作り上げる文化の施策は、「みんな」が考えるのがいい。参加型の政策が欲しい。できるか。それを含めて、国としての本気度が問われている。

 20年前、政府にコンテンツ政策を打ち立てようと企てた研究会の事務局を務めていた時、ある委員の発言が今も耳に残る。「こういう政策は、本気で100年やり続けるか、何もやらないか、どちらかだ。」私は、「そうだ、政府は本気で100年やり続けろ。」と言いたい。


2021/11/15

国際討論:ネットは何をもたらすのか

 ■国際討論:ネットは何をもたらすのか

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/2/22(土) 8:30ー


 先日、京都でStanford Trans Asian Dialogueが開催されました。青木昌彦先生はじめスタンフォード大学のみなさんと、中国、インド、シンガポール、マレーシアらからの参加を得て、デジタルメディア、 特にインターネットが国際社会に与える影響について議論しました。ぼくもスタンフォード日本センターからのご縁でテーブルに着きました。

  円卓会議や公開シンポで、ぼくも質問を浴びました。お題は「ネットのもたらしたもの」。ビジネス論に傾く東京と異なり、実に京都らしい会議でしたが、英語だったのでヘロヘロ。やりとりをメモします。

○IT政策の変化は?

  30年前に担当した通信自由化以降、IT政策は市場競争や電波配分など「提供」政策が中心だった。通信・放送会社やメーカなど提供側が主要な行政客体だっ た。国内政策が中心だった。だが、デジタル通信・放送網の整備が完成し、「利用」政策にシフトしている。セキュリティ、プライバシー、電子商取引、著作権、教育・医療・行政。しかもそれらはボーダレスな国際問題。根本的に変化している。

○個人番号制度への不安は?

  日本はようやくマイナンバー制度を2016年に開始する。アメリカは社会保障番号を民間活用しており、さらに北欧は個人年収までオープンだが、ド イツは行政の利用さえ厳しく管理するなど、さまざまなモデルがある。日本はドイツに近いモデルから始めると考えるが、長期的にどの線に落ちつくかは不明。 世界標準はないのだが、どこに線を引くかは利用者主導で考えたい。

○ネットは誰の味方か?

 為政者の 味方であり、テロリストの味方でもある。ナイフのようなもので、メスにもなればドスにもなる。グーテンベルクの活版印刷が産業革命・市民革命をもたらすまでに3世紀かかったが、グーテンベルクは自分の発明がもたらす未来を空想はしていなかっただろう。われわれは空想すべきだ。ただ、ITの空想は3世紀は必要あるまい。ただ、落ちつくまでに1世代、30年はかかるだろう。ネット出現から20年なので、どこに落ちつくかを見通すまで、あと10年いただきたい。

○日中韓への影響は?

  尖閣、竹島問題はネットで加熱し、互いに愛国心の増殖炉になった面はある。一方、中国でも韓国でも、日本のアニメ、マンガ、ゲームなどのファンが増加し、それもネットで育っている。尖閣問題に揺れるころ北京大学を訪れ、博士課程の学生たちに、知っている日本人は誰かと聞いたところ、三位宮崎駿、二位ドラえ もん、一位蒼井そら、であった。二位が日本人かどうか釈然としないが、ここに政治家や経済人や学者の名前が登場しないことが問題。ネットの問題ではない。

○メディアがあふれる汚染問題は?

  デジタルサイネージが空間を覆っていく。サイネージの公共空間への設置制限には、日本は中国や韓国より厳しい面があるが、タクシーやデパートなど私設空間 は自由。将来、メディアがあふれることへの規制論はあり得るが、あふれると広告効果も下がる。規制よりも経済が解決するだろう。それよりも、消費者の情報 リテラシーが問題となろう。

○新たな国際問題は?

  著作権にしろ青少年保護にしろプライバシーにしろ、問題は国家間の対立ではなく、国家vsグローバル企業の対立。日本など国家がグーグルやアップルを規制 できず、それを国家間で調整できなければ、新たな調整スキーム作りに汗をかくか、回線をブチ切るか、ということになるのでは。

○新聞とネットの関係は?

  学生が新聞を読まずテレビも持たないというビックリ話はもう飽きた。ぼく自身、メディア接触態度が変わった。10年前は朝起きたら、1.新聞を開き、2.テレビをつけ、3.PCでニュースをチェックした。今は、1.フェイスブックで友 だちを確認し、2.ツイッターで追いかけ、3.ウェブサイト、4.テレビのニュースを見て、5.新聞を読む。全く逆になっている。

 以前は、信頼性の順に見ていたということだろう。今は身近な順、速報性のある順、そして信頼性の逆順で、最後にゆっくり確認する感じ。そう考えれば、どのメディアもぼくには存在価値があるけど、それは紙とかメディアとかの媒体の問題じゃないということだ。


2021/11/14

マルチスクリーン暮らしは?

 ■マルチスクリーン暮らしは?

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/9/14(土) 8:57ー


「マルチスクリーンとソーシャルメディア」に関するトークショー。中村さんのマルチスクリーン暮らしは?と聞かれて、はて、気がつきました。マルチスクリーンって言ったって、イメージが共有されていませんよね。


 ぼくは基本ノマドで、自宅と、3カ所のオフィスの間をぐるぐるしておりまして、そこにはテレビとPCが置いてある。スクリーンはマルチに存在します。でも使うときは1スクリーンです。移動中はてぶらでかまいません。一方、自分の息子たちは、居間でテレビにネットをつなぎ、そのスクリーンの前でノートPCを開きつつ、スマホもいじり、3スクリーン同時利用。同僚には、PCとタブレットとスマホとガラケーをカバンに持ち歩き、電車の中でもマルチスクリーンってのもいます。


 人には人のマルチスクリーン、てことです。


 そこで、いろんなデバイスを使ってコンテンツが展開されるビジネスが紹介されました。家のテレビで見ていたドラマの続きを、電車のスマホで見る。テレビのCMを、街角のデジタルサイネージやオフィスのPCにも届ける。1コンテンツ・マルチスクリーン。この場合のマルチスクリーンは、あちこちにデバイスがあるけど、使うときは1スクリーンのタイプですね。


 でもぼくは、別の方向、息子たちがやってる3スクリーン同時利用に可能性を見出します。テレビのコンテンツと、PCの情報と、スマホのソーシャルサービスが渾然となって1ユーザを取り囲む構図。マルチスクリーンに対し、通信・放送のマルチチャンネルで、マルチなコンテンツを届けるサービス。


 これまで テレビ局は地デジで番組を届け、ネット企業はブロードバンドでウェブサイトを開き、通信会社はモバイルネットでケータイコンテンツを送ってきたのですが、 それじゃダメだということでもあります。一人のユーザを捕まえきれない。マルチなデバイス+チャンネル+コンテンツを、トータルに設計しなければ。


 ユーザに頼りすぎなんですよ。


 親子丼とギョーザとカルボナーラをコンビニで買ってきて食卓に並べて同時に喰っているぼく。楽しいです。でもそれは、ぼくに「コレが喰いたい」という欲求がハッキリしていて、それを編集する力があり、コンビニがそれを可能にしてくれるから。


 でもね、ホントはその渾然メニューを、ぼくが同時に喰いたいメニューを、セットでパックにしつらえてハイって定食にしてほしいわけです、食堂には。ぼくが3スクリーンのばらばらなサービスを自分で編集して楽しまなくても、1パッケージで誰かが構成してくれるといいのに、と思うわけです。


 マルチビジネスのみなさま、よろしくお願いします。


2021/10/28

未来論議@国際公共経済学会

 ■未来論議@国際公共経済学会

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/5/31(土) 8:30ー


 ベルギーに本部を置く国際学会。その日本支部の理事を務めていて、大会の実行委員長を仰せつかったので、慶應義塾大学日吉キャンパスで開催しました。

 テーマは「2025年のICT」。普段は遠くに眺めているアカデミズムの場を自ら設置することにしたのは2つ理由があります。まず、今、ということ。この20年に一度のデジタルの変革期に公共経済学として注目する価値はあるだろうということ。もう一つは、未来展望。それが欠けているだろうという問題提起です。

 かつて、未来の情報社会像に関する空想がたくさんありました。高度情報社会、ニューメディア構想、マルチメディア、ギガビット社会・・妄想がありました。そして、その多くは実現し、むしろ現実が空想を超えてしまいました。

 そのせいか、このところ、未来を展望する気力が失われています。メディアが改めて激動期に入ったところ、未来を再度描くのもアカデミズムの役割ではないでしょうか。

 でも、アカデミズムだけではムリ。技術、ビジネス、政策といった多角的な観点から描こうとすると、それら最前線の方々の知恵をいただく必要があります。そこで、アカデミズムの枠を超えた有識者のかたがたにお越しいただいてセッションを企画しました。アカデミズムがプラットフォームになり、場を提供する。これをやりたかったのです。

 セッションとしては、ビジネス、教育、電子書籍、インフラ、社会といったパネル討論を用意しました。特に私が注目したのは、「2025年のICT社会」です。 

 東洋大学松原聡教授の司会で、武雄市の樋渡啓祐市長、DeNA南場智子さん、参議院議員片山さつきさんらが議論しました。

 南場智子さんは「ウェアラブルとAR」「オープンソースコミュニティへの参加貢献」の2点を重要な方向として指摘しました。10年以上も前に技術として期待されたものが現実のものになってきたということでしょう。

 同時に南場さんは、国よりもアップルやグーグルのレギュレーションが問題と指摘。そう、ぼくも国家とグローバル企業とのガバナンスは最大問題に発展すると考えます。

 片山議員は、2025年を展望することに関して、政府のイマジネーション不足を指摘しました。発言を求められたぼくも、今こそ空想する意味と必要性を申し上げました。

 それに樋渡市長が反論、「空想は不要であり、目の前の課題を解決すべし」と断言しました。うむ、樋渡さんは図書館改革やiPad反転授業を報告していました。いずれも難事業です。目の前に横たわる大きな岩盤を打ち砕き前進しています。

 その目からみれば、空想する呑気さは許されません。ぼくは空想し、樋渡さんは実現する。役割分担、かもしれません。


2021/10/27

デジタルのこれから

 ■デジタルのこれから

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/5/24(土) 8:30ー


 IP2.0プロジェクトでのぼくのプレゼン、前回の続きです。

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 MITネグロポンテ教授が唱道したアトムからビットへの転換、リアルからバーチャルへのシフトは完成します。それを超えた次元で起きることが重要です。そう遠くなく実現することがたくさんありそうです。

 一例を挙げましょう。15年前のMITメディアラボでは、ウェアラブルコンピュータで暮らす研究員が何人もいました。技術はできていました。しかし、グーグルグラスは今になってようやく商品化します。新しい技術が登場して普及するまで、それくらい時間がかかるものだとも言えるのです。

 当時見えていたデジタルでオンラインの世界は、15年で普及しました。その次、15年前にメディアラボが目指していたような世界がようやく来るのかもしれません。

 インテリジェント、ウェアラブル、ユビキタスといった方向性です。言い換えると、「かしこくて、いつも、なんでも」。

1 インテリジェント : かしこい

 メディアが私の代わりに自動的にどんどんコンテンツを生んでいきます。世界中のコンテンツを処理・消化していきます。自分のエージェントが自律的にネットの世界を生きて、表現・発信していきます。

2 ウェアラブル : いつも

 モバイルは「いつでも」でしたが、ウェアラブルはスイッチをオフしません。24時間「いつも」つながっていて、常に見聞きした情報コンテンツを発信しつづけます。触覚情報もニオイもコンテンツとなります。自分の脈拍や脳波もコンテンツとなって発信されます。

3 ユビキタス : なんでも

 ビットが全てのアトムに入ります。町自体がメディアになり、コンテンツを発信します。モノが発信する情報もコンテンツたり得ます。ロボットを遠隔地から操縦して動かすドラマもコンテンツになります。

 さて、そうすると、これまでにない課題も発生してきます。たとえば、自分とバーチャルの権利をどう扱うか。エージェントが自分をどこまで代理できるのか。代理エージェントがしでかした発言や契約にどこまで責任を負うのか。

 ウェアラブルで常時見られ、映され、蓄積される社会のプライバシーはどこまで保護されるのか。自分の情報をどこまでコントロールできるのか。ユビキタスにあふれる情報の洪水を遮断する権利はどうか。

 また、モノの権利と責任をどう扱うか。モノが発生する情報に著作権はあるのか。モノが虚偽を唱えたらどうするのか。ネットで指令されたロボットが施した善行の権利や、しでかした悪行の責任はどうか。

 もっともっといろんなことが起きそうであり、これまでにない政策イシューが発生してくるでしょう。それを空想して、つぶしていくという作業が大事です。


2021/10/26

コンテンツのこれまで

 ■コンテンツのこれまで

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/5/17(土) 8:30ー


 「IP2.0」という知的財産の新政策を考える会合に呼ばれ、コンテンツのこれまで、というお題をいただいたので、軽いプレゼンをしてきました。

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 人類最初の楽器はスロベニアで発見された43000年前のアナグマの大腿骨。まずは音楽から始まりました。アルタミラは18,500年前、ラスコーは15,000年前。当時、人類は映像で考え、映像で表現していたのでしょう。文字の発明は紀元前7千年ごろ。コンテンツは音、映像、文字の順に作られたが、ライブだったり壁面だったりして、その時その場限りのものでした。

 最初に大衆化されたのは、文字表現。1455年、グーテンベルク活版印刷。写真は1826年、ニエプス。音は1877年、エジソンのフォノグラフ。文字、映像、音というコンテンツ登場の逆順。動画は1895年、リュミエール兄弟。

 20世紀はテレコミュニケーションの時代。電話やテレビの普及で、コンテンツやコミュニケーションが場所と時間の制約から開放されました。

 次の変革期は今から30年前。任天堂ファミコンが映像で遊ぶことを可能としました。83-85年、メディアの多様化が進みました。ニューメディアブームと呼ばれ、電話・テレビ以外のメディアの多様化が進められました。アナログの多様化でした。同じく84年、マッキントッシュをジョブスが発表。コンピュータのパーソナル化が始まりました。デスクトップで誰もがコンテンツを作る時代の幕開けです。

 10年後、90年代に入ると、別の運動が起きます。マルチメディアブームです。デバイスとしてPCとケータイが大衆化、インターネットが普及し、デジタルネットワークの上に流れる情報、映画や書籍やテレビ番組や音楽やゲーム、それらをひとまとまりにする「コンテンツ」という概念が登場しました。

 ただ、コンテンツは成長産業と言われながら、期待には反しています。デジタル化が進んだ95年からの10年間に市場規模は5.8%成長でGDPとほぼ同じで、成長産業ではありません。最近むしろ縮小しています。一方、その間、生産された情報量は21倍。爆発的に拡大しています。

 そしてこの数年、メディアは20年ぶりの激動のさなかにあります。1)デバイスはTV、PC、ケータイからスマホ、タブレット、サイネージ、スマートTVなどマルチスクリーンへ。2)ブロードバンドと地デジの全国整備が完成、通信放送の総デジタル化という20年来の目標が達成、クラウド列島が誕生。3)サービスとしてはコンテンツが伸び悩み、ソーシャルメディアが中心に定着。

 メディアを構成する3つが世界一斉に塗り変わっているのです。その中で、知財・コンテンツがどうなるかが目下の課題となっているのですね。  (つづく)


2021/10/25

浜野保樹さんとマルチメディア

 ■浜野保樹さんとマルチメディア

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/5/10(土) 8:30ー


 2014年1月3日、浜野保樹東大名誉教授が亡くなりました。享年62歳、若すぎます。

 初めて浜野さんにお目にかかった92年、私は郵政省でコンテンツ政策を立ち上げる画策をしていました。80年代のニューメディアブームが過ぎ、アナログからデジタルへの移行が話題となっていたころです。映画、テレビ、書籍、音楽、ゲーム、いろんな情報がデジタルに転換し、コンピュータや通信・放送メディアで利用されるようになる。その政策を立ち上げたいと浜野さんに相談しました。

 それが「メディア・ソフト研究会」。コンテンツという言葉がまだなく、造語でした。全家庭が高速回線で結ばれるコンテンツ像を描こうとするものでした。高速といっても当時はせいぜい1.5Mbps専用線。インターネットも登場していません。

 浜野さんは、そのマルチメディア委員長。テレビや電話やワープロに代わり、1台で全てを処理するマルチメディア=PCに集約され、アナログの通信・放送網も1本のデジタル網に統合される。その委員会の報告は、世界初のデジタル(CD-ROM)でした。すると海外からたくさん問い合わせが入って、役所は大騒ぎになりました。予算措置をせず、ぼくらがゲリラでやってたからです。

 浜野さんはインターネット推進や通信・放送融合の急先鋒で、商用化前のブロードバンドを田舎の有線放送電話で仕掛けようとしたり、タブーとされていた地デジの構想をぶちあげてみたり、それらをぼくと政策として仕掛けてはバレて、物議をかもすことも多数でした。浜野さんは師匠であり、戦友です。

 すんなり政策が進んだわけではありません。通信・放送融合は省内でも反対は強くタブー視されていました。ところが研究会の報告をもとに、関西学研都市で光ファイバーを用いた実験予算30億円が認められ、反対していた放送行政局が了解、融合論議ができるようになったのです。

 

 ブロードバンドの推進、デジタル放送の推進にも骨を折られました。時間がたちました。浜野さんが展望したマルチメディアは完成しました。コンピュータもインターネットもデジタル放送も普及しました。そして時代はその次、マルチスクリーンでクラウドでソーシャルへと移行しました。しかし、これからどうなるのか、どうするのかの展望は描けていません。夢多きおじさんは少なくなり、明日のビジネスに汲々としている。

 このあたりで、次の展望を描く挑戦を、若い方々にしていただきたく、その場を作ろうと思います。浜野さんには遠くからそれを見守っていただければ幸いです。


2021/10/24

知財本部の新ラウンド開始

■知財本部の新ラウンド開始

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/5/3(土) 8:30ー


 知財本部「検証・評価・企画委員会」が設置されました。それまでの「コンテンツ強化専門調査会」の改組で、引き続きぼくが座長を務めます。知財本部も設立10年を経て、検証・評価に重きを置くということです。

 メンバーは、KADOKAWA角川歴彦さん、吉本興業大崎洋さん、ドワンゴ川上量生さん、久夛良木健さん、トーセ斎藤茂さん、一橋大学井上由里子さん、弁護士野口祐子さんら引き続き参加される委員に加え、日本レコード協会斉藤正明さん、NHK木田幸紀さん、松竹迫本淳一さん、ニッポン放送重村一さん、竹宮恵子さんといった面々。

 政府全体に動きが出てきました。文化庁はクラウドサービスに関するワーキング設置、著作権の裁定制度の見直しへと動いています。IT本部はビッグデータ利用の制度見直し方針を策定しています。いずれも個別の戦術vs全体の戦略という構図の議論となります。全体戦略が求められているのです。

 例えば著作権裁定制度は、その制度の使い勝手に止まる問題ではありません。孤児著作物、ひいては過去のあらゆる知的資産を国としてどう活用するか、根本的な哲学が問われるものであり、既に欧州や米国とGoogle等のグローバル企業とのせめぎ合いが表面化している問題です。

 クラウドサービスも根本問題。著作権保護を十全にすることにより、日本ではサービスが不自由となり、結局はアメリカのプラットフォーム事業者にビジネスを根こそぎ持って行かれるという状況、つまり局地の解決によって全土が崩壊する状況を改めるグランドデザインの問題です。

 ビッグデータも同様。個人情報保護という部分最適とビッグデータ活用という公共の便益との折り合いをどうつけるかの問題。俯瞰して戦略的にとらえることが大事です。

 一方、コンテンツの海外展開はようやく勢いがついてきました。放送番組も音楽も権利処理の円滑化や正規版ネット配信などに力が入れられています。しかし、映画の輸出実績が2012年には前年比8%減少となるなど、コンテンツ全体でみると、一筋縄ではいかないのです。

 知財本部の資料によれば、コンテンツ市場11.2兆円に対し、コンテンツ関連産業は22.2兆円(ネット関連13.4兆円、広告1.9兆円、メディアハード5.0兆円、キャラクター商品1.9兆円)。倍の規模があります。さらに、これを日本の輸出総額64兆円にいかに波及させるか。コンテンツだけでなく、他の産業も含むヨコ展開が不可欠になっています。この問題も、よりマクロに戦略を立てる必要があります。

 ひとまずこの会議は政府の施策を検証・評価することが任務ですが、まずは失敗も含めて検証し、次のプランを立てる必要があります。同時に、コンテンツに閉じず、分野横断、省庁横断の幅広い戦略を論じなければなりません。ま、戦略の前に、成果を上げないといけないのですが。


2021/10/23

ソーシャルゲーム協会の発足

 ■ソーシャルゲーム協会の発足

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/4/13(土) 8:15ー


 2012年11月、「一般社団法人ソーシャルゲーム協会」を設立しました。Japan Social Game Association、略称:JASGA。ジャスガと読みます。

 ソーシャルゲームの市場は急速に拡大しています。しかし、コンプガチャ問題など、不安や社会的な問題が呈される状況も招きました。そこで、GREE、DeNA、mixi、NHN、サイバーエージェント、ドワンゴのプラットフォーム6社が中心となり、自主規制で健全化をすることにしたのです。

 協会の理事には6社とコンピュータエンターテインメント協会(CESA)、日本オンラインゲーム協会(JOGA)の代表が就き、代表理事・共同会長には、グリーの田中良和社長とDeNAの守安功社長が就任。さらに、ソーシャルゲーム提供会社や通信会社など現在69社の会員が参加しています。ぼくが事務局長を務めます。

 1.ソーシャルゲームに対する自主規制、2.青少年等に対する啓発活動、3.カスタマーサポート(CS)品質の向上のための活動、の3点に重点を置いて活動します。

 ぼくはそれまでこの動きと強いつながりはなかったのですが、コンプガチャを巡る業界の対応にも、政府の動きにも、危惧を抱いていました。確かに業界は危機に対応して、連携する動きを見せていました。しかし、踏み込みが甘く、遅くはないか。かつて成長産業に政府が介入してきた歴史からみて、のろのろしていると、成長産業の芽を摘むような仕打ちが来てもおかしくない。

 案の定、消費者庁は2012年5月、規制に動きました。これに対し、消費者庁と、経産省、総務省らのスタンスの違いも見えました。健全化への要請と、成長産業への期待との対立です。この問題に関心を持つ国会議員からも意見が聞こえてきました。

 私も政府関係者と話をすることになりました。政官界と業界の双方に、産業界は自主規制に力を入れ、政府の介入は最小限にすべきことを訴えました。

 業界として団体を作る議論が始まり、行きがかり上、私も参加することになりました。さまざまな調整を経て、業界団体としての社団法人を形成し、その中に第三者機関的な評議委員会を作ることに落ち着きました。業界の代表が責任を持って問題に当たることを前面に出すと同時に、中立的な対策を取る組織とするわけです。

 熾烈なライバル関係にある関係企業が一つのテーブルにつく構図を構成できるかどうかが課題でした。それは何とかなった。残る課題は「中立性」。業界の内輪によるお手盛りの対応にしてはいけません。

 そのため、堀部政男先生をヘッドに、パワフルで独立した評議機関を置くことにしました。問題は事務局機構で、当初は理事会社からの出向で発足するとしても、中立性を保つクサビが必要。とうとう、私が引き受けざるを得なくなった次第です。

 リスクが高い仕事です。ソーシャルゲームに対する世間の怒りや不安を浴びる先頭ですから。ただ、ここで間違うと、ソーシャルゲームという、ひょっとすると今後の日本を引っ張ってくれる産業をしぼませることにもなりかねない。政策屋としては、割に合わないが取らなければならないリスクと判断しました。

 課題は多い。うまくいく保証はありません。でも、まずはこぎ出すことが大事。そして、大きく成長するための運動に乗り出したい。80~90年代、任天堂もセガも、ゲームが子どもの未来を拓く国際研究に巨費を投じるなどして、産業と社会の折り合いを求めてきました。ソーシャルゲームも最早そうした責任を負っています。

 ソーシャルゲームはコミュニケーション力を高める。ソーシャルゲームは豊かなコミュニティを育む。そんな新しい文化、新しい産業を形成してくれることを願いつつ、この新組織の業務をスタートさせたところです。


2021/10/22

オープンデータのご報告

 ■オープンデータのご報告

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/10/19(土) 4:57ー


 オープンデータ流通推進コンソーシアム。117社の企業会員とともに、政府・自治体その他さまざまな情報のオープン化を進めています。いわゆるビッグデータをビッガーにほじくり出し、共有し、活用して、価値を生んでいく運動です。ぼくは理事・普及委員長として関わっています。

 まずは総務省が推進した実証実験が成果をあげています。いくつか紹介しましょう。

 交通分野では、鉄道やバスの運行情報、駅や停留所の施設情報を共通のデータ規格でオープン化し、都市部の交通状況を可視化。JR東日本、東京都交通局、東京地下鉄と横須賀リサーチパークが連携。電車やバスの位置・遅延情報を地図上で可視化し、都営バスの到着予想時間と列車運行情報を音声通知。

 また、地盤情報に関し、国や自治体が持つボーリングの地盤データを活用して、防災に資する精緻なハザードマップを提供。

 災害情報についても、ITSジャパン、NTTらが連携。東日本大震災時に、トヨタ、ホンダらのカーナビ情報を活用して通行情報をGoogle Mapsで配信。

 さらに、被災地の自治体が持つ通行止め情報を国土地理院でデータ統合、それらも可視化。

 ぼくは普及啓発を担当していますが、コンソーシアムには、技術委員会とデータガバナンス委員会の2委員会が置かれています。技術委員会はオープンデータを流通させるための技術仕様を検討しています。データガバナンス委員会では、公共データの知財問題に取り組んでいます。

 国の保有するデータを活用しやすくするためには、著作権の利用の自由度を高める必要があります。国が保有する公共データには著作権が発生しないよう著作権法を改正する、国がその権利を自ら放棄する、クリエイティブコモンズなど二次利用促進のためのライセンスを採用する、などのアプローチが考えられます。

 これに対し、一部省庁も前向きです。しかし、全省庁・全国の自治体に拡げるには相当な大仕事となります。IT本部や知財本部でも問題提起していきたいと思います。もし道が開かれれば、大変な成果となります。

 さて、オープンデータの運動は、公共データをオープンにさせる、カナテコで開くことが当初の眼目だったのですが、やり始めたとたん、そんなことは些末なことだということが明らかになってきました。それよりも、個々人や企業のもつ超大量のデータを公共データとともに共有すること。「みんなのデータ」が公共性を持つことがハッキリしてきました。

 頭が下がります。オープンデータは直接の見返りがない運動であるにもかかわらず、政府も自治体も企業も個人もみな、嬉々として参加し、前のめりに動いてるんですよね。

 こういうのは、ホメるしかない。そこで、この春には優れた取り組みを見せる関係者をコンソーシアムとして勝手に表彰するという無謀なイベントをやってみました。

 最優秀賞は福井県鯖江市「データシティ鯖江」。様々なデータをXML等の形式で公開しています。優秀賞にはOpen Knowledge Foundation、株式会社カーリル、税金はどこへ行った?チーム、気象庁、青森県、LODチャレンジ実行委員会、CKAN日本語化コミュニティが連なりました。

 ノミネート活動を眺めて、さまざまな活動が展開されていることに、心を打たれました。新しい活動は、お金がもうかるか、やれという命令があってやるか、が相場です。ところがオープンデータは、みなさんの純粋な公共心と熱意でスタートしていることに感動する次第です。

 さらに、より心強く感じたのは、受賞されたかたがたの多様性。中央官庁もあれば、首都圏の大都市もある。地方の県もあれば、市も町もある。企業も、非営利団体も。国立の研究所も、学生もある。地方も中央も、大組織も個人も、同じく熱意を持って取り組む主役がいる。大きな可能性を感じます。


2021/10/21

ウェアラブルに慣れるのは、まだこれから

 ■ウェアラブルに慣れるのは、まだこれから

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/12/14(土) 9:54ー

  



これは十数年前の写真です。ぼくがMIT メディアラボにいたころのものです。いま話題のグーグルグラスではありません。当時、24時間ウェアラブル・コンピュータを着用している研究員が何人もいました。

 だけど、人が慣れるのには時間がかかります。この研究員も、ネットでアクセスされると肩に装着した超小型サーバが温まってくるのが一番の快感というヘンな人だったのです。いくら奇人集団メディアラボといえど、ヘンなひと扱いだったのです。全ての人がそうなるには時間がかかります。

 ただ、ここに来てようやくグーグルグラスが注目されるのをみると、えっ、まだだったの?という感じ。確かに、まだですよね。ここにぼくが99年4月に書いた文章があります。ニューメディア誌に連載していたコラム「ウェアラブルをブームにする気?」の巻から抜粋します。

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 ウェアラブルというのは文字どおり、身につけることができるということで、服、帽子、靴、メガネ、アクセサリ、といったものをコンピュータにしましょうという動きです。ずいぶん小型になったモバイルコンピュータをさらに分解して、ディスプレイや入力装置を衣服や肉体にくっつけてしまうという感じですね。

 これは私のいるMITメディアラボあたりが中心になって、2年ほど前からにぎやかなテーマになってきたんですが、日本でも98年、日本IBMや東芝などが試作品を発表したり、新聞社がシンポジウムを開催したりして、実用化段階に突入と いうことでやおら注目を集めるようになりました。サイバーパンク上陸というわけです。

 ウェアラブル・コンピュータを身につけた人を観察してみましょう。メガネ型のディスプレイやヘッドホンが表示装置になっています。かつてバーチャル・リアリティで話題になったゴーグル型のヘッドマウント・ディスプレイをつけている人もいます。入力装置には、音声入力、手のひらにあるボタン式装置、衣服に縫い込んだキーパッド、といったものがあります。

 使い方も、普通のパソコンとは違います。パソコンは、使う時、さあ使うぞとエリを ただして正面に座り、スイッチをオンして、OSがぐもぐもと立ち上がるのをかしこまってお待ちするわけです。が、ウェアラブルのスイッチはいつもオン。歩きながら、作業しながら、考えながら、その時々の活動や思考を補助するという使い方だからです。パソコンを使う時はそれが活動の全てであり、「ながら族」になるのはむつかしい。だけどウェアラブルは、「ながら」のために生まれてきたわけですね。

 当面は特殊用途のためのものになるでしょう。工場や倉庫での作業だとか、高齢者の 健康管理だとか。ただアプリケーションはいくらでも広がります。技術的には。難しいのは、コンピュータがこっちに溶け込んでくるという大変な事態に、人はいつごろ慣れるのかということでしょう。メディアラボにはもう何年も身 につけているというサイバーパンクな兄ちゃんがいますけど、みんながそれをヘンなヤツと思わなくなるまでにはかなり学習期間が要ります。

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 どうですか、全く今の状況のまんまで、進歩していませんよね。やっとブロードバンド、といってもADSLが解禁となり、iModeが登場したころです。デスクトップからようやくラップトップに転換されはじめたころ。ぼくがMITにVAIOを持って行ったらスゲーって人だかりができた、ニッポン最後のいい時代。

 それから、モバイルが「いつでも」デジタルを実現しました。デバイスは小型化し、スマホが現れました。ブロードバンドが普及して、クラウドが現れ、オンラインで全ての仕事がこなせるようになりました。

 15年たって、今度やっと24時間「いつも」デジタルが始まります。しかし、慣れる、つまりそんなぼくらがぼくらの姿をヘンだと思わなくなるのはまだこれから。まだ時間がかかりますよね。カッコいいウェアラブル。15年たっても、それがポイントです。




2021/10/20

クールジャパンで日本を売り込め!

 ■クールジャパンで日本を売り込め!

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/1/4(土) 8:30ー


 NHKラジオで、クールジャパンについて答えろ!という番組がありました。ぼくが回答役。こんな感じでした。

Q:政府は「クールジャパン」の推進に力を入れ始めた。実際のビジネスの現状は?

 コンテンツ産業は13兆円。世界160兆円の1/10で、2位を占めます。マンガ・アニメ・ゲームなどのコンテンツ産業がもともとの中心ですが、実は日本の市場は縮小傾向にあります。

 日本のコンテンツの輸出比率は約5%で、アメリカの17%に比べずいぶん小さい。輸出力あるのはアニメ、ゲームですが、海外に出る潜在力はもっとあると思います。

 ただ、コンテンツ産業はもともとGDPの3%程度で、国の経済の支柱になるほどではない。コンテンツ産業自体を大きくしていくのではなく、コンテンツ産業を通して、周辺産業を拡大しながら海外に展開していくことが大事です。アニメでPRして、ファッションやクルマや和食を売る、ということ。

Q:「クールジャパン戦略」に、政府が力を入れるのはなぜ?

 日本の経済停滞の中で、ポップカルチャーが台頭して、世界に進出したのですが、実はこの流れは海外から入ったものです。

 「クール・ジャパン」という言葉は、10年前にアメリカのジャーナリスト、ダグラス・マッグレイ氏が書いた論文「Japan’s Gross National Cool(国民総クール)」がきっかけでした。外交における「ソフトパワー」論を提唱したハーバード大学のジョゼフ・ナイ教授も日本はポップカルチャーを活かすべきと 提言しました。それで日本での議論が盛り上がった。つまり、日本自らプロデュースしたものではなくて、海外から発見されて入ってきたブームなのです。

 政府としては、日本経済や産業構造の変化、少子高齢化で自動車や家電などの基幹産業が苦しい中で、新しい産業として日本独自の文化を世界に展開していくことに力を入れています。

 コンテンツ政策は20年ほど前から始まったのですが、今回の安倍政権ではかつてない高まりを見せています。経済政策として、コンテンツ産業をブランド力やイメージを高める触媒として、家電や食品、観光など産業全体を成長させるのが狙いです。

Q:世界での日本文化の発信力の現状をどうみる?

  マンガ・アニメ・ゲームは、すっかり日本の顔です。ピカチュウ、ワンピース、ナルトを知らない子はいません。確実に世界に広がっています。日本文化を総合 的に紹介するパリのジャパンエキスポは、特にマンガ、アニメが人気で、2000年に3000人の来場者で始まったものが、2012年は4日で20万人規模 になりました。

 欧米の本は横書きで左とじですが、右手で開く右とじの日本のマンガが浸透しています。西洋文化始まって以来、逆にとじられた本が書店に並んでいる。アジアでもアニメ、マンガ、音楽を通した日本イメージが定着しています。

Q:K-POPや韓流ドラマのヒットなど、韓国は成功例として挙げられるが?

 韓国では、1998年の金大中政権からコンテンツ予算を拡大しています。特徴は3点あります。

 まず「集中」。映画、音楽などポップカルチャーにジャンルを集中して海外展開しています。

 次に「連携」。家電、クルマなどの産業とタイアップして、ソフト+ハードのセットで売り込んでいます。

 そして「政府」。本気で後押ししています。

 これに対し、日本の海外進出は、集中ではなく多ジャンル総花的。連携ではなく業種タテ割り。そして政府の後押し少なかった。韓国のコンテンツ予算はこの10年で倍増しているんですが、日本は減少しています。

 で、今回、政府は韓国を意識したスタンスで、ポップカルチャーに、食やファッションなどを総合的にプロデュースして海外展開を進める政策に本腰を入れるようになった、というわけです。


2021/10/19

V-Lowマルチメディア放送、始まるのね!?

 ■V-Lowマルチメディア放送、始まるのね!?

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/3/1(土) 8:30ー


 「本当に始まるのね?V-Lowマルチメディア放送開始!!」という意味ありげなパンフがCEATEC2013の場で配られていました。

 V-Lowマルチメディア放送というのは、地デジが整備されてテレビ局が引っ越したアナログ周波数の跡地のうち、1-3チャンネルで使っていた90MHz~108MHzの電波、つまりVHFの低い(Low)ほうを使って新しい放送サービスを展開するものです。

 同じアナログ跡地でも、既にV-High(207.5MHz~222MHz)はNOTTVがスマホ向けに有料テレビ放送をスタートしています。フジテレ ビなどテレビ局各社とNTTドコモのジョイントです。通信会社とテレビ局とが組んで、スマホ向けエンタテイメントを提供しています。

 これに対し、V-Lowの方は、方針がハッキリしませんでした。ラジオのデジタル化に活用する、地域の新しい防災メディアとする、さまざまな議論と調整が重ねられました。結果、FMラジオ局を中心に、これまでにないメディアを創り出す方向に舵が切られ、制度作りが進められることになったというのです。「本当に始まるのね?」というのは、業界の自虐ネタです。

 政府の計画によれば、地方ブロックを7つに分け、マルチメディア放送を行わせる。マルチメディア放送というのは、テレビやワンセグケータイだけでなく、スマホ、タブレット、カーナビ、デジタルサイネージなどにも、いや、どちらかというとそういう新しいマルチスクリーンを主軸にしたサービス。広告つき無料 サービスも、課金型の有料サービスもOK。

 参入見込みの事業者は、ぼくが団体の代表を務める「IPDC」を採用します。放送の電波にIP(インターネットプロトコル)という通信技術を重畳し、通信も放送も横断してマルチスクリーンに情報を流す手法です。テレビやラジオというより、ネットです。放送チャネルというより、アプリです。

 これまでIPDCフォーラムでは、放送の電波を使って街角やバスのサイネージに情報を伝えたり、新聞や雑誌の紙面をテレビやタブレットに送ったりする実験を繰り返してきました。放送局が通信業を行うための規制緩和も求め、ユビキタス特区や通信・放送融合法制の提言などもしてきました。制度的にも技術的にもそれらはケリがつき、地デジも整備されて電波の都合もつき、ようやく動き始めたのです。

 

 CEATEC会場でシンポジウムが開催され、総務省南俊行官房審議官、FM東京藤勝之取締役らによるトークの司会をしました。全国7ブロック を6社で請け負い、それぞれ9セグメントの放送を行う。電波を発射するハード事業と、コンテンツを編成するソフト事業とを分離するハード・ソフト分離型。

 中心的な役割を担う予定のFM東京は、ネットワーク整備のため400億円を調達。総務省は急ピッチで制度を整え、早ければ2014年夏にはサービスインの見込み、ということが明らかになりました。

 制度やネットワークのことはわかりました。問題は、端末じゃないですか?対応する受信機が少ないと立ち上がりが大変ですよね。これに対し、FM東京藤さんから衝撃的な話がありました。wifiチューナーを5年で100万台、無償配布するというのです。100万台!30億円になります。「社長にも黙って言っちゃった。」ってことで、会場にいた東京FM社の役員陣ものけぞっていましたが、言っちゃったものはしょうがない。

 チューナー+wifiルータの機能があれば、その周囲はV-Low放送をwifi受信できる環境になります。スマホでもサイネージでも、チューナーなしでV-Lowが見られる。さらに対応デジタルサイネージも2万4千台を全国配備するそうです。

 総務省南さんも呼応し、全国2万4千の郵便局を活用する案を提示しました。東京五輪に向け、4K8Kでのパブリックビューイングを津々浦々に整備していく。そこにV-Lowも乗せ、安全・安心サイネージの機能を持たせる。おお、総務省が郵便局にかけあってくれるなら、サイネージ業界としても歓迎です。

 V-Low周波数帯の利用には、wifiなど通信利用に開放する提案もあり、紆余曲折を経た結果、現在のプランに落ち着きつつあります。この結論でよかったのかどうか。それは、いよいよスタートする新サービスがまずは答えを示すことになります。


2021/10/18

「マル研」が示すスマートテレビ像

 ■「マル研」が示すスマートテレビ像

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/2/15(土) 8:30ー


 「マルチスクリーン型放送研究会」、通称マル研。在阪のテレビ局が中心となったコンソーシアムで、スマートテレビの実証実験を試みています。ぼくは顧問を務めています。地デジの電波に通信技術であるIP(インターネットプロトコル)を乗せて、テレビ画面やタブレット、スマホなどマルチの画面を同時に管理する日本型の放送・通信融合モデル、日本型のスマートテレビモデルを大阪発で作ろうというものです。

 2013年、デジタルサイネージジャパン(DSJ)と併催した放送・通信融合展IMCでは、IPDCでテレビ画面とスマホの両方を操作するアプリが提示されていました。以前は、テレビ画面からタブレットに情報を連動する方法がクローズアップされていましたが、今回はスマホでの操作が焦点となっていました。スマホが生活に定着してきたということも背景にあるのでしょう。

 スマホで番組自体を保存したり、共感=イイね!ボタンでソーシャル視聴したり。見ているテレビ番組のCMがスマホに勝手にどんどん溜まっていったり。スマホに蓄積されたCMからゲームやクーポンに飛んだり。

 CMを溜めたり見たりするインセンティブが仕込まれているわけです。テレビを見ると自然にポイントが貯まる。見てたらトクをする。さすが、大阪的なしかけでんな。

 スマホがリモコンになるアプリも提示されていました。リモコンを立ち上げると同時にマル研アプリも立ち上がるというもの。ユーザをアプリにどう誘導するか、がスマホ関係者の悩みの種ですが、リモコンなら身近。そこからマル研に引き寄せるのですね。

こうしてスマートテレビの実像がほんのり見えてきました。同時に、DSJやIMCの会場では、超高精細4Kテレビの展示が目立ちました。総務省が4Kテレビ、そしてさらに高精細の8Kに力を入れていることもあり、双方に期待が高まるとともに、同時並行であることへの混乱もあります。

 80年代のニューメディアは、ハイビジョンによる高精細化とCATV・衛星の多チャンネル化がテーマでした。90年代のマルチメディアは、PCとケータイ、インターネットと地デジによるデジタル化がテーマでした。

 その次の動きとして、マルチスクリーンとクラウドネットワークとソーシャルメディアがやって来ました。デジタルサイネージも、スマートテレビも、その一味です。特に日本のデジタルサイネージは電子看板から参加型のネットワークメディアに進化していて、タブレット向け情報配信やスマートテレビとオーバーラップ しつつあります。ようやく、新しいステージが見えました。

 しかし、そこに4K・8Kが登場したのです。日本は世界に先駆けてその放送が始まります。マルチスクリーン、が見えたところで、もう次のステージが始まるのでしょうか。

 DSJ会場にて、総務省の南俊行官房審議官にぶつけてみたところ、「4K8Kとスマートテレビは、バラバラではなく一体として政策対応する」とのこと。スマートテレビによるビジネスモデル作りと、4K8Kのマーケット開拓を両にらみで考える。舵取りは難しいと思いますが、放送は通信と違って政策対応が市場を左右するので、しかと頼みます。

 「4K8Kの市場は放送よりサイネージのような業務用が先かもしれないね」。

 そうだと思います。80年代、放送メディアとして期待されていたハイビジョンも、当初は博物館や美術館などのスタンドアロン利用で広がっていきました。当時は放送=郵政省、施設=通産省の戦争があったのですが、今はそんなことはないので、うまいことやっていただきたいものです。


2021/10/17

コンテンツと国家戦略

■コンテンツと国家戦略

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/4/26(土) 8:30ー


 「コンテンツと国家戦略」なる本を角川EPUB選書から上梓しました。コンテンツ政策やソフトパワー論について、知財本部で議論していることを中心にまとめたものです。

 2013年、政府は「知的財産政策に関する基本方針」を閣議決定するとともに、「知的財産政策ビジョン」を決定しました。知財戦略の総本山として内閣官房に知財本部を設置して10年。その10年を総括し、今後10年の戦略を立てるものです。

 ぼくは座長として、知財戦略を担当する山本一太大臣ら政府代表らに対し、こう追加しました。

 「コンテンツやITの政策を結合して「文化省」を作るのがよいと思います。荒唐無稽な意見かも知れないが、韓国は新政権で IT政策や科学技術を統括する「未来創造科学省」を置くことにしました。国民を何で食べさせるかを端的に示しています。日本にもそのような腹づもりが求められます。」

 霞ヶ関に省庁再編を促すのは、やりすぎです。

 知財本部の議論と並行し、「クールジャパン推進会議」が設けられ、対外戦術を別枠で練ることになりました。ぼくはその下に置かれた「ポップカルチャー分科会」の議長も仰せつかりました。その提言には「みんなが『参加』して情報を発信する仕組みを構築しよう。政府主導ではなくて、みんな。」と書き込みました。

 政府に頼まれた会議で政府主導を否定するのも、やり過ぎです。

 でも、はっきりさせないと戦略を間違えます。

 提言を繰り返してきました。残っている問題が2つあります。一つは「実行力」。プランは豊かなのだが、それを実行に移し、産業や文化を潤わせ、具体的な成果を示す。これがまだ弱い。そのためには強力な政治リーダーシップが欠かせません。霞ヶ関、外国政府、利害関係者に対する指導力や調整力が必要です。

 もう一つは「覚悟」。コンテンツや知財というジャンルが日本を引っ張るという理解。日本が海外からこれで尊敬を受けているという認識。これで100年メシを食っていくという気合い。つまり、他の分野よりも政策の優先順位を上げて、知財立国するのだという腹づもりがまだできていないのです。

 しかし、事態は悪くありません。この4年間に起きた最大の変化は、政府部内にコンテンツ政策の重要性が共有され、多くのプレイヤーが積極参加し始めたことでしょう。

 われわれの会議でも、8省庁の代表が集い、それぞれが政策カードをテーブルに並べ、プランを立てるようになりました。以前ならどこが引き受けるのか譲り合いを見せていた案件も、今は取り合いの様相。

 この熱気が「続く」ことを期待します。


2021/10/16

広がるプログラミング教育

■広がるプログラミング教育

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/4/19(土) 9:30ー

 2013年10月末、東京・広尾の広尾学園中学校・高等学校にGoogleのエリック・シュミット会長が姿を見せました。われらがNPO「CANVAS」と協力して、日本のコンピューター科学教育を支援する「コンピューターに親しもう」プログラムを開始することを表明したのです。

 このプログラムは、6~15歳の子どもがプログラミングの基礎を学ぶ取組。手のひらサイズの安価なコンピューター「Raspberry Pi」と子ども向けプログラミング言語「Scratch」を使うものです。5000台のRaspberry Piを提供し、2万5000人以上の児童・生徒にプログラミング体験を届けることを目指すとしています。

 プログラミング言語「Scratch」は、ぼくがMITメディアラボにいたころ、共に子ども研究機関「大川センター」の設立に奔走したミッチェル・レズニック教授が開発したもの。現理事長の石戸さんらと2002年にCANVASを設立して以来、ぼくたちは30万人の子どもにプログラミングなど各種のワークショップを提供してきました。今度はGoogleの協力を得て本格展開することになります。 

 石戸理事長は言います。「情報化社会を生きる子どもたちにとって必要な力は創造力とコミュニケーション力。そのためにプログラミング教育が役に立つ。こういう活動をしているとよく『プログラマーを育てたいのですか』と聞かれるが、そうではない。プログラミングを通じて論理的に考えて問題を解決する力や、他者と協力して新しい価値を作り出す力などを養ってほしい。知識を教える「教育」の場ではなく、自分たちで学んでいく「学習」の場を提供していきたい。」

 これは、プログラミング「を」教えるものではありません。プログラミング「で」つくりだすことを目的にしています。プログラミングでアニメをつくる。ゲームをつくる。ロボットをつくる。自分のアイデアを形にする。生み出すための手段であり、道具なのです。そしてそれは、よみかきそろばんと並ぶ、基礎的な能力となります。

 スティーブ・ジョブスは「アメリカ人は全員コンピューターのプログラミングを学ぶべきだと思う」と語っています。誰もが身につけるべき基本だということです。日本政府も成長戦略の中で、「義務教育段階からのプログラミング教育など、IT教育を推進する」と記載しています。

 そして、驚くことに、プログラミング学習を必修とする高校が登場します。「コードアカデミー高等学校」という通信制の普通高校で、2014年4月の開校。ぼくが顧問を務めるキャスタリア社が推進しています。コンピューターを自らいじれないと卒業できない。そういう時代が、もうそこに来ています。

 http://www.code.ac.jp/


2021/10/15

インターネットとできること

■インターネットとできること

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/4/12(土) 8:30ー

 われらがCANVASと、Googleが「インターネットとできること」というサイトを開設しました。ネットと子どものいい話が集まっています。日米英仏独中台韓越豪伯イスラエルタイマレーシアパキスタン南ア。さまざまな国の若者が発言しています。

 http://withnet.co/

 児童ポルノ。自殺サイト。出会い系。ネットいじめ。ケータイ依存症。ネットやケータイの負の側面が盛んにとりざたされ、2008年には「青少年インターネット環境整備法」が成立しました。関係者による取り組みを連携させるため、2009年にはぼくが世話人になって「安心ネットづくり促進協議会」を設立しました。

 ネットは百利あって一害あり。利益のほうが多い。だから、陰をなくす運動も大事ですが、その百倍、光をみつめ、光を伸ばす運動が大事。危ない、怖いのその前に、楽しい、おもしろい、べんり、役立つ、を発信すべきです。

 私たちはNPO CANVASを軸に、創造力・表現力を高める活動に注力し続けてきました。その一つの形が今回のサイトです。詳しくはサイトをご覧いただくとして、ここでは日本の若者の事例を紹介しましょう。

 

○17歳 直井綾音さん

 インターネットを使った通信制高校、ルネサンス高等学校に通う、いや通わない直井さん。この高校は、年5日の登校日を除き、全てオンラインでの学習です。全員にスマホやタブレットが配られています。芸人志望の直井さんは、学業と芸人生活の両立に挑んでいます。「スマートフォンやパソコンを通じて課題をどこでも提出できるので、時間ができてお笑い芸人の練習との両立がしやすい。」「もっとこういう場が一般的になったら、さまざまなこどもたちの居場所にもなるし、全日制の学校でも、例えば宿題や自習の時にインターネットでの学習を導入してみたらいいのにと思います。」

○11歳 間宮優介さん

 間宮さんは、インターネットを使って映像制作の手法であるコマ撮り動画を研究しています。YouTubeにアップされているコマ撮り動画をみて撮影技術の工夫を研究し、試行錯誤を重ねながらオリジナルの映像を制作。全校児童による作品の展覧会で間宮さんが仲間と作ったコマ撮りアニメを発表すると、先生も児童も大絶賛。間宮さんも「作品を褒められたときが一番嬉しい!」と強い自信になったそうです。

○16歳 矢倉大夢さん

 Androidセキュリティのエキスパートである矢倉さんは13歳のとき、中学校のパソコン研究部に入り、インターネットが好きになりました。専門スキルのおかげで、今では日本中の大学や技術学会から多数の講演の依頼を受けています。「自分ひとりで解決しようとせず、Eメール、Facebook、Twitterといったツールを使って、助けてくれる人を探してください。みんなお互い助け合っていますし、世界中の人が手を貸してくれます。ソースコードは世界共通言語ですから。」

 たくましいですよね。


2021/10/14

議員のみなさま、教育情報化をよろしく。

■議員のみなさま、教育情報化をよろしく。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/4/5(土) 8:30ー

 「教育における情報通信の利活用促進をめざす超党派国会議員政策勉強会」。自民、公明、民主、維新、みんな各党の国会議員の集まりです。出席してアジってきました。

 教育情報化にはカネがかかるという声があります。かけましょうよ。日本はGDPに占める公教育のコストはOECDの最下位で、カネをかけていません。仮に1000万人に1万円かかるとして1000億円。かつての道路予算の1/100。未来への投資として高いかどうか。その判断は政治にしかできない問題です。

 21世紀に必要な力は、OECDでもEUでも文科省でも、情報活用能力やデジタル能力が最重要ということで一致を見ています。もう議論の段階は過ぎ、実行の時期。政治の決断と実行の時期です。

 情報化のメリットやデメリットの議論を続けているのはもう日本だけ。韓国は小中学校でデジタル教育を全面的に導入しつつあります。端末は何でもよいと決めたため、教材はクラウドが前提で、標準化も進んでいるといいます。しかも、授業、宿題、保護者の連絡にソーシャルメディアを活用。日本ではまだ利用は皆無に等しい。日本の3歩ほど先を行っています。

 デジタル化による効果、成果も問われ続けているが、成果はもう出ています。総務省の調査では、ITだと楽しく学習できるのが95%、コンピュータを使うとわかりやすい90%という結果が出ており、文科省の調査では、ITの利用あり・なしで理解度テストをすると6ポイント程度の差がみられるといいます。

 こんな成果は求めようと思えば永遠に求められます。もちろん、授業を向上させる研究は必要。紙と鉛筆の授業の研究は今も行われています。デジタルの授業の研究も100年は必要でしょう。だが、導入するかどうか、のための成果はもういい。それは政治判断の問題です。

 政治的・制度的にデジタル教科書は高いハードルがあります。法律上、教科書は「図書」つまり紙とされていて、デジタルは教科書になれないという問題です。政府・知財計画では、その位置づけや検定との関係を検討して、必要な措置を取る、と明記されました。だが、まだ検討もスタートしていません。

 私たちは今、1)この分野を先導する100人の先生を選んで応援すること、2)100人の首長に名乗りをあげてもらうこと、3)1人1年1万円程度の安価なサービスメニューを用意して自治体に提示すること、の3点に力を入れています。民間は民間としてできることを推進します。

 政治リーダーのみなさんには、1)予算の拡充、2)制度の整備、3)そして教育情報化は重要というメッセージの発信、この3つをお願いしたい。教育情報化がまたも仕分けの対象になっていますが、これは財務省がどう考えるか以上に、政治がどう判断するか、の問題。ぜひ強く推進していただきたい。


2021/10/13

クールジャパン・フロム京都

■ クールジャパン・フロム京都

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/3/29(土) 8:30ー

 地方版クールジャパン推進会議。第一回会合は京都。会場は嵐山、天龍寺の境内にある宝厳院です。稲田朋美クールジャパン担当大臣をヘッドに開催されました。竹宮恵子さん、東映の高橋剣さん、菊乃井の村田吉弘さん、西陣の渡文・渡邉博司さんと細尾・細尾真孝さん、ベントーブームを仕掛けたフランス人・ベルトラン・トマさん、京都府の山下晃正副知事など。ぼくが司会。

 千年前の平安の女性は女流文学で世界をリードして、当時からクールジャパンでした。千年たって、平成の京都も改めてクールを発信してみよう、ということでしょう。

 京都をどう発信すればいいのでしょう。1200年の伝統と歴史があります。同時に、高度な技術もベンチャー気質もあります。ハイテク企業だけでも、京セラ、任天堂、島津、村田、堀場、オムロン、ローム、ありすぎます。こういう強みをどうアピールするの?

 東映・高橋さんは京都を舞台にお祭りやイベントを仕掛けます。竹宮さんやベルトランさんは海外から学生を引き寄せて教育します。京都という魅力でのインバウンド戦略です。他方、山下副知事は海外メディアのチャンネルが少ないことが致命的と指摘します。それは京都というより日本全体の問題です。

 西陣の渡邉さんは、こっちが打ち出したいものと海外がほしいものとがズレていることを指摘します。それはクールジャパン全体が抱える問題。どうやって海外からの視線ベースとなるか。大事なポイントです。

 これについて同じく西陣の細尾さんは、大仰にクールジャパンと旗を打ち立てて行くんのではなく、京都らしくしんなりと、相手の懐に「しのびこむ」やり方がよいと示唆しました。気がつけば京都、ですね。

 人材について、村田さんはプロデューサとディレクターの不足を心配します。コンテンツと課題が共通しています。竹宮恵子さんは京都精華大学の学長になられるので、そこも力を入れてもらいましょう。

 他方、渡邉さんは、西陣は分業が極端なので、企業規模が小さすぎて人が続かないと。西陣は呉服屋、袴屋、帯屋、足袋屋、下駄屋、紐屋、みな分業ですからね。紐屋が紐屋だけで優秀な人材を獲得するのはしんどい。産業構造問題。知恵が要ります。

 伝統とポップをいかに組み合わせるか。細尾さんは、伝統産業をクリエイティブ産業に転換したいといいます。有形無形の技術と素材が京都にはあると。武智さんも、伝統と革新が足下に転がっているといいます。チャンスはあります。

 アクションが重要です。地域は地域ですべきことはたくさんあって、できることもたくさんあります。やりましょう。


2021/10/12

メディア折衷のやっかいな時代

■メディア折衷のやっかいな時代

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/3/22(土) 8:30ー

 「ウルトラQ」のDVD全集を買ってしまいました。漫才バトルやら往年のドラマシリーズやら、他にも家にはたくさんあります。テレビでタダで放映されたものを、わざわざおカネかけて買うなんて。しかも置き場に困る。家族からは不評です。

 ごもっとも。簡単に手に入るものは買って場所を取らなくていい。本ならば図書館があるし、電子書籍も充実してきました。音楽もオンラインでだいたい手に入ります。映画もDVDが出そろっているから買おうと思えば買える安心感があるし、オンデマンドでいろんな作品が見られるようになりました。 

 テレビ番組はそうはいきません。録画の機会を逃すと、あの特集、あのシリーズと思っても、よほど商品価値のあるものでないと、そうそう市場に出回っているものではありません。放送番組は9割が1度オンエアしておしまいで、DVDやネットなどで再利用する割合は1割にすぎません。

 番組が保存され、再利用されるのが少ないのは、そのための著作権処理が大変という面もあります。でも、デジタル時代が到来、テレビ番組という宝の山を活かさない手はありません。40年以上も前の番組の全集に飛びつくオヤジだっているのです。

 もちろん放送局は汗をかいています。1991年に「放送番組センター」が番組の収集、保存事業を始めて以降、努力が積み重ねられてきました。そして 2008年12月、「NHKオンデマンド」がスタート。高速ネットで番組ライブラリを提供し始めました。民放もネット配信を強化しています。

 実は日本は録画大国。家庭で番組を録画する人がとても多いのが特徴です。とすれば、みんながおうちに隠し持っているお宝映像をつないで寄せ合えば、豊かなデジタル映像列島ができあがります。ま、拙宅の場合は、それならムダに持っているビデオを早く処分しろと迫られるのですが。

 「4K」テレビが売れているそうです。画素数がハイビジョンの4倍ある、つまり、4倍キレイなのだといいます。地デジで十分キレイになったと思いましたが、欲は尽きないんですね。

 もっとキレイで大きな画像が欲しい。壁いちめんを美しいテレビにしてしまいたい。4Kテレビ向けの放送はサッカーW杯まで始まらないというのに。じゃあ何を見るの?ネットの映像だそうです。テレビというより、大きなパソコンですね。

 しかも、もうその次の、ハイビジョンの16倍キレイな「8K」というテレビも登場しています。家の壁よりも大きなサイズで見てみたい。家で見るより、巨大街頭テレビでみんなで騒ぎたい。テレビというより、映画ですよね。

 いや、しかし近頃どちらかというと、画面は小さいですよ。茶の間のテレビにはチャンネル権がなくて、オヤジはワンセグであります。トイレやふとんで秘やかに愉しむのです。女子高生も、タブレットのことを大画面と呼びます。そう、画面の大きさはケータイが基本になっているんです。50インチのテレビなんて、チョー巨大なのです。

 これをケータイやスマホ、パソコン、テレビや映画、と呼び分けるのは意味がなくなりました。どの画面も放送の電波を受け、ネットにもつながります。どの画面もテレビであり、コンピュータであります。

 んなこたあ、言われなくても、視聴者はわかってます。テレビで番組を観ながら、パソコンで検索し、スマホのソーシャルメディアでつぶやく。いくつものスクリーンを自在に使い分け、放送も通信もごちゃ混ぜにして、コミュニケーションをむさぼる。ウチの息子のことですが。

 こいつは大変だ。テレビ局は放送の電波でテレビに番組を送っていました。ネット会社は通信回線でパソコン向けのサイトを届けていました。通信会社はケータイ無線でモバイル情報を流していました。ところが受け取る個人は、その全部を同時に受け止め、自分で編集して楽しんでいます。メディア折衷の、やっかいな時代になりました。


2021/10/11

テレビとネットの公共性

■テレビとネットの公共性

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/3/15(土) 8:30ー

 テレビでやらせが発覚したりするたび、公共性が問題になります。

 実は、日本の番組規制は海外に比べてとってもユルいんです。アメリカやフランスでは、当局がテレビ局を処分したり番組を打ち切ったりすることがあるけど、日本は放送局や業界の自主性に委ねています。それでも、というか、だからこそ、やらせ番組などがあると「けしからん」という騒ぎになる。政治からも公共性を保つよう何とかしろという声が上がったりするわけです。

 一方、インターネットは無法地帯。テレビ番組のような映像も無数にあって、世界中の役立つ 情報が行き交う一方、デマもエロも危険思想もごちゃまぜです。でも放送ではなくて通信だから、麻薬売買や著作権侵害など法に触れる情報を除き、そこは自由 が保障されています。憲法が保障する「通信の秘密」、ネット空間の自由を守ることで社会全体の公共性を保つということでしょう。

 衛星には200 を超えるテレビチャンネルがあり、ネットのように多様な情報が流れます。ネットでは選挙前に党首討論会が開かれるなど、テレビのように公益的な番組が組まれます。テレビは公共の電波を使うというが、ケータイのネットだって電波をたくさん使います。とても似ています。しかし制度上は、テレビは規制、ネットは自由。正反対です。

 放送と通信の距離が狭まり、「公共性」なるぼんやりした言葉の意味が改めて問われます。放送法は、「公共」放送局であるNHKに対し、豊かで良い番組が全国で受信できるようにすることを求めています。それはわかります。きちんと基本を守ってくれということです。

 同時に、放送の「進歩」に必要な業務や「国際」放送も求めています。うむ、新しい世界を切り開くのも公共なのですね。それなら、ネットにもネットなりの公共性があるということです。公共は放送の独占物じゃない。

 いい番組を増やすこと、イヤな情報を減らすこと、新しい技術を開発すること、海外に日本を発信すること。

 いいじゃないですか。この際、「公共性」を広く取って、放送にも通信にも、それをどんどん広げていってもらったらいいですよね。

 

 テレビが「一億総白痴化」をもたらすと言われたのは56年も前のこと。半世紀以上たって、ぼくらはバカになったのでしょうか。多少、そうかもしれません。でも、そうばかりでもないんじゃないかな?昔は、ぼくらの周りは、もっと下品で乱暴じゃなかったですか?

 かつて小説は、不良の読むものでした。かつて映画は、不良の観るものでした。かつてギターは、不良の持ち物でした。ぼくは後ろ指を指されつつギターを弾いていました。今どき街頭でギターをむさぼり弾く青年は、目的意識がある学生の鑑であります。

  数年前、ある首相は「青少年がケータイを持つのは百害あって一利なし」とうそぶきました。百利あって一害あり、とすべきところ、言い損ねたのでしょう。大人は判ってくれない。子どもたちは安全で楽しくなりたいと思ってデジタル技術を使っているのですが、大人はデジタルで子どもが危険でダメになると思っていました。

 結局それから数年もたたず、全ての小中学生がデジタル端末、つまりケータイ的なもので勉強するよう学校を情報化することを政府が決定しました。逆に、もっと使わないと、バカになると思うようになったわけですな。

 韓国でCMを見て驚きました。このスマホを使うと頭がよくなる。このテレビを買うと成績が上がる。教育のためにスマホや新型テレビを、というのです。そうだよね。コンテンツを作る側には、それくらいの自信をもって作ってもらいたいものです。


2021/10/10

国際的なマンガ人材を育てるには

■ 国際的なマンガ人材を育てるには

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/3/8(土) 8:30ー

 2回目となる海外マンガフェスタ。東京ビッグサイトで開催しました。ぼくは実行委員会の顧問を務め、事務局をぼくが代表を務める融合研究所が引き受けています。

 http://kaigaimangafesta.com/

 世界のマンガ教育についてパネルを開きました。国際的な人材育成をどうするか、がテーマです。在日フランス大使館文化部参事官ベルトラン・フォールさん、トロント・コミック・アート・フェスティヴァル代表ペーター・バークモーさん、日本工学院専門学校クリエイターズカレッジカレッジ長佐藤充さんにご登壇いただきました。フランスからは政府、カナダはフェス代表、日本は学校という、3カ国の違う立場のかたがた。

 冒頭、ぼくが話したことをメモしておきます。

 日本はマンガ大国です。出版物の64%、売上高の20%がマンガ。ドイツは1.6%、フランスは0.4%というから、20%という日本は異常です。だからこそ海外から高い評価 を得ているわけで。先行して海外で人気を得たアニメの多くはマンガがベースです。マンガは日本文化の中心であり、増殖炉でもあります。

 クールジャパンという言葉が生まれたのは10年前のこと。それは日本が言い出したことではなくて、海外からそう言われて気がついたものです。日本は自国のマンガをどう捉えるのかが改めて問われています。

 マンガは国内で大切にされていたわけではありません。教育に良くないといって長く社会問題になっていました。しかし10年ほど前から、海外の評価も受けて、とても大切な文化であるとの認識が広がり、政府もメディア芸術として後押しするようになりました。

 10年前に政府は内閣官房に知財本部を置き、私はそのコンテンツ調査会長を務めています。そこでもマンガは中心的な位置づけとなっています。また、今年 は政府にポップカルチャー分科会が設けられ、その議長も務めたんですが、そこでもマンガ原作者が委員となって、振興策を議論しました。いずれも、人材をどう育成するのかが中心的なテーマとされています。 そして、文科省は人材養成の事業を実施しており、今日こうしてシンポジウムの開催に至っています。とはいえ文科省はじめ日本政府は、こうしたポップカルチャーの分野は政府主導ではなく民間主導で進めるべきという姿勢も明確にしています。われわれが自ら考えなければ。

 一方、アメリカのコミックスやカナダのマンガはもちろん、仏のバンドデシネや、アジアでも自国のマンガは大切な文化として認知されています。マンガという表現様式が、各国の文化に立脚して、多様で、深みのあるものに進化しているのは素晴らしいこと。各国のマンガ関係者が連携して、地球のマンガ文化を発展 させたいところです。

 パネラーへ質問。

 こういう海外マンガフェスタのような場は意味があるでしょうか。

 仏:フォールさん「マンガのグローバル化は著しい。交流も盛んになってきて、互いに影響し合う面が増えています。さらに分野を広げ、フィギュアや映画など、他分野との交流も重要になります。作家同士が世界観をたたかわせる場も大切です。」

 加:バークモーさん「カナダのマンガ産業は日本ほどの規模はありませんが、フェスの雰囲気は似ています。作家や読者が参加して、互いに発見を重ねていくことが大切。しかし、こういう取組に日本もフランスも政府が支援しようとしているのはうらやましい。」

 日:佐藤さん「ファンが集まるという点が重要。クリエイターが刺激を受ける場を大切にしたいです。」

 もう一問。ぼくはマンガ家になりたかったけど、なれませんでした。どうしたらいいかさえわからなかった。マンガ家を育てるには、あるいは、マンガ家が育つには、何がポイントでしょうか。

 仏:フォールさん「パッション! 情熱です。」

 加:バークモーさん「ノートを常に持ち、描け、ということでしょう。」

 日:佐藤さん「小さいころから絵を描かせることが大事です。ただ、それだけではダメ。マンガ産業を拡大させ、メシが食えるにならなければいけません。その両方が重要です。」

 ですね。描かせて、ホメて、パッション!を維持すること。そして、産業基盤を形成し、才能ある若い人たちがこの分野に身を投じようとすること。この両輪ですね。


2021/10/09

ネパールの小学校にて 

 ■ネパールの小学校にて 

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/4/6(土) 8:46ー

  



メインの通りなのに、アスファルトは穴だらけ。車が揺れるというより、跳ねる。父と母に子どもが挟まって、3人乗りのバイク。パパーン、プゥ、パラパラ。クラクション、クラクション、クラクション。路地だってぶっ飛ばして逆走してくる。たまに見かける信号は、全く灯りがついていない。

 若い男女は闊歩しながらケータイ。不作法だ。でも、ドンキングのようなイノシシの頭を置く肉屋には、作法がある。電柱に牛がつながれている。その頭上では電線が25重ぐらいに巻かれている。ペンキ屋。金物屋。チューブ屋。工具屋。基本、DiYなんだな。あちこちへこんだ乗り合いの三輪車はギュウギュウを通り越し、外にあふれた人が車体にしがみついている。日本語でそれハコノリって言うんだよ。パパーン、プゥ、パラパラ。

 標高1330m、500万人都市。ネパールの首都、カトマンズです。

 最初はグー。と同じアクセントでカトマンズ-。と言うと、現地の呼び方に近い。

 人より神の方が多い町。イスラムに押されてインドから流れてきたヒンドゥーが8割、ヒマラヤの向こう、チベットからの仏教が1割。土着信仰も混じり、独特のネワール文化を築いています。36のジャート(民族というか、コミュニティ)が同居しています。

 あんた日本人じゃね?とおぼしき人もいれば、日焼けサロンに通い詰めたギリシャ人のようなのもいます。ぼくが着物で歩いていても、腰に布を巻いた似たような男はたくさんいるので、日本にいる時より目立ちません。

 町がモヤってるのは、排気ガスか、砂埃か。道路に座って靴磨き客を待つ男3人。たぶん、来ないね。しゃがんで、何もしていない男5人。潔く、日暮れを待っているのね。道の脇はレンガがうず高い。壊しているんだろうか。作っているんだろうか。赤と黄と緑の布をまとう女2人。勢いよく歩く。道に出てきて洗濯物を干す女2人。かいがいしい。

 脇の太い木には枝にロープをくくりつけ、ブランコにしている。おい坊主、そんなに高くこぐと、間違ったら死ぬぞ。路地を全速力で走り回る子どもたち。おまえら裸足じゃないか。走れ、走れ。同じく走る、野良犬の群れ。こんな雑踏に。噛まれたら泡ふいて死ぬぞ。茶色のヤギと白黒の子ヤギ。並んで歩くが、親子か。野良か?この、道をふさいでいる牛も、野良かなぁ。道を外れると土煙が立ち上っている。壊しているんだろうか。作っているんだろうか。

 GDPは鳥取県より小さく、一人当たりだと$650、後発開発途上国。しばしば停電となります。海外にグルカ兵を派遣し、傭兵を産業としている点では、昔のスイスのようですね。大国に囲まれ、世界の屋根たる山脈を持つのも似ていますが、「第三の男」の台詞、”スイスの同胞愛、500年の平和と民主主義は何をもたらした? 鳩時計さ。” てな のどかさはありません。

 19世紀初め、英国とのグルカ戦争に敗れたものの独立を維持、しかし政治は混沌。2008年に王制が廃止されたばかりですが、第一党の共産党マオイスト(毛沢東主義者)と、連立与党22党と、国軍、そして大統領と首相とがせめぎ合っています。日本の政治がまともに見えてしまうじゃありませんか。

 しかし、なのに押し寄せる熱気。ぼくがこよなく愛するこの雑踏の猥雑さは、イスタンブールやハノイ、カサブランカや西安、それらとも似た、大阪よりもでかい人口を持つ都市のみから沸き上がる発酵エネルギーなのでしょう。

 

 


公立校Shree Rudrayanee Secondary Schoolを訪れました。眼下に壮大な棚田が広がり、母親たちが収穫に体を動かし続けている、その向こうにはヒマラヤの白い山頂が連なっています。村を歩き、4歳から16歳まで、260人の子どもたちが熱狂的に迎えてくれる門をくぐると、建物は崩れ落ちそうで、設備も乏しい。でも、子どもたちは英国風の立派な制服をまとい、レジメンタルのタイを結び、黒の革靴をはいている。みな英語を話します。ネパールの公立校はこんな感じだそうです。ハコよりヒトにかけていますね。


 屈託なく、まっすぐにぼくの目を見抜いてくる。見たこともない格好をしてコンピュータを手にした不思議なぼくの目を透過して、もっと遠くの、これからの何かを見つめている。一緒に遊んでくれたみんな、ありがとう。名刺を渡したら、食べちゃった2歳のSanjey、ありがとう。またいつか、地上で、会おう。

 


2021/10/08

自動翻訳電話を立ち上げたおはなし

 ■自動翻訳電話を立ち上げたおはなし

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/10/26(土) 8:36ー


 NTTドコモが英語・中国語・韓国語・ドイツ語・フランス語など10カ国語に対応した会話翻訳アプリを提供しはじめました。クラウドのサービス。対面や電話で利用することができるといいます。

 日本語の認識精度が90%、英語が80%程度といいます。おそらくこれはビッグデータを使ったデータベースの増強により、急速に向上していくでしょう。ネット上ではエキサイト翻訳やグーグル翻訳が活躍してきましたけど、いよいよ会話の本格実用です。

 感動しています。ぼくは世界で初めて、自動翻訳電話に関わったからです。たまにはちょっと自慢話をしてみます。

 昭和60年、1985年、「自動翻訳電話システム開発マスタープラン」が政府・郵政省から発表されました。ぼくが取りまとめ役でした。社会人になって初めての仕事でした。

 前年、役所に入ったぼくは、通信自由化、郵政・通産戦争、対米交渉の最前線、データ通信課に配属されました。電電公社民営化で入るNTT株2兆円のぶんどり合戦が政府部内で起きており、巨額の研究開発費を要するプロジェクトを用意しようとしたわけです。でも人手がなく、新人が担当になったわけ。

 音声入力、機械翻訳、音声合成の三要素を組み合わせて一つのシステムを作る。巨大なデータベースの構築が必要になる。世界に例はない。学界や関係業界による大型プロジェクトを作るための研究会を設け、京都大学長尾先生に座長になってもらい、プランを作っていました。

 それが政治抗争に発展し、推進体制を決める年末はすさまじい日々で、一週間で10時間しか眠りませんでした。でも人間、何とかなると知りました。社会人一年生でそれを経験させてもらったのが人生最大の収入です。ボスの課長は内海善雄さん、その後国連機関ITUの事務総長に上られました。当時42歳。若い。昔の役人は、若いころに仕事をしていたんですね。42歳と22歳の新人がやってたんですから。

 結局、投融資機関として基盤技術研究促進センターが設立されて、そこから京阪奈学研都市にATR(国際電気通信基礎技術研究所)が設けられることになりました。ATRは世界的に著名なメディア研究機関に成長しました。ぼくは生みの親の一人です。そう主張する人はたくさんいるはずですが、ぼくも主張します。

 あれから30年近く。自動翻訳電話が実現しました。もう一つ、感動的なことは、当時想像していた姿とは全く違っていたことです。ぼくらが思い描いていたのは、1)黒電話で話す中身が 2)回線交換を通じ海外の人に翻訳される姿。3)当時、日米の電話代は3分1530円でした。企業ユーザがどれくらい使うかね、というイメージ。だから、4)研究の中心は、国際通信を法的独占していたKDDの研究所でした。

 ところが、実現してみたら、それは1)スマートフォンというモバイル端末を使って、2)インターネットという通信網で翻訳される。3)ほぼタダ。しかも、海外の人とつながるというより、目の前にいる対話相手に対し、ネット経由で通訳してもらうという使用法。それを開発したのがKDDじゃなくて4)電電公社の末裔。ぜんぜん違うわけです。自慢になりませんね。おもしろいです。メディアは。


2021/10/07

勤め上げるのは大変な能力が要ります。

■勤め上げるのは大変な能力が要ります。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/1/25(土) 8:30ー


 銀行員が起業したり、メーカから大学院に進んだり、インフラ会社からNPOを起こしたり、役人から出馬したり、周りにはそんな知人が多いけど、結果うまく行ってる例は多くありません。

 ぼくは郵政省という日本一デカい組織のど真ん中の部署を辞めて、(ほぼ)自由人になりました。でも、勘定がプラスというわけではありません。組織を出て得た自由と、不安定さとでプラマイぼちぼちってとこです。

 ぼくが15年勤めた組織を出たのは、才能があったからじゃなくて、断じてなくて、勤め上げる能力がなかったためだと考えます。

 社会人になったころ、いや、辞める1年前までは、ぼくはてっきり役所内で出世を重ねて、勤め上げるもんだと思っていたのです。それが、コロっと辞めちゃったのですよ。それはさしたる計算の結果ではなく、なんというか、勤める寿命がつきたという感覚に近い。

 役所を出て今度は4~5年おきに職場を変えています。コロコロしています。勤め上げる力は依然ついていません。

 同年代や年長のかたでキチンと勤めている人をみるたび、勤め上げる力を持ってるよなぁと感嘆します。もちろん、ダラダラ禄をはむというのではなく、重厚かつ超長期に成果を上げ続けているのです。

 リスクは自覚していました。正否はその後の成果でのみ評価されています。これだけはアドバイスできます。組織を飛び出す人は、そのリスクを自覚すべきだし、周りは出たことだけでホメそやすべきではないと思います。

 ぼくはベンチャー企業の役員や顧問を5社ほど務めており、起業やベンチャーの環境を整えたいと思いますが、だからといって起業を推奨するわけではありません。割に合わないから。

 サラリーマン暮らしを断念し、「屋台でも引くか」というのが昭和のステップダウンの典型でした。カッコいいベンチャー起業というより、多少の悲哀がありました。屋台引くより勤務を続けていたほうが割に合ったことにスグ気づく。たいてい。今の起業も同じじゃなかろうか。

 ところで、政策としてベンチャーを増やすのは、基本的にはいいことだと思います。元気が出るから。でもそれは産業政策としてではありません。文化政策としてです。

 経済的には1億円のベンチャーが100社できるのも、大企業が100億円のビジネスを1発立ち上げるのも同じ、というか後者のほうが打率がよかったりします。

 文化政策としては、ベンチャー企業が増えることで、たくさんの金持ちが生まれて、パトロンが量産されることを期待するのです。

 旦那衆がカネをばらまくこと。歌、踊り、芝居、絵画、美食、ファッション。番頭の渋い顔をよそに、そういうことをしてくれるオーナー経営者を増やすこと。

 株式公開で金持ちになった社長がくだらないことにカネを使うことを税制で支援したい。クールジャパン。

 アマゾンのジェフ・ベゾス氏がワシントンポスト紙を買収する件に対し、短期利益を求める企業が株を持つよりも長期保有が可能な富豪に持ってもらうほうが安定的とする指摘を散見しました。新聞という大きな文化さえ、ベンチャーの成功者が支えなければならない。

 文化保護策は、個人パトロンが守るアメリカ型か、国が守るフランス型しかないのかもしれません。

 

 話がそれました。勤め上げる力って大切だと思うんです。サステナブルに働いて、組織として大きな仕事をなしとげる人のボリュームが国としても大事だと思うんです。

 では、勤め上げる力はどうやって育むことができるんでしょうね。ぼくには語る資格がありません。


2021/10/06

テレビはスマートの宿題を済ませろ

 ■テレビはスマートの宿題を済ませろ

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/7/20(土) 9:40ー


 高画質テレビ規格「4K」(フルハイビジョン)と「8K」(スーパーハイビジョン)が注目を集めています。昨秋のCEATECやInterBEEでも高画質モデルが展示されていて、スマートテレビと双璧をなしていました。1月には総務省が来年夏に衛星で放送する方針を示しました。

 ぼくはIPDCなどスマートテレビに力を入れています。4K、8Kがキレイに見せる技術であるのに対し、スマートテレビはべんりに楽しむ技術。日本ではNHKハイブリッドキャストやマルチスクリーン型放送研究会などの動きがあります。最近はテレビをAndroid端末にする装置が盛んに宣伝されていますね。

 キレイか、べんりか。両立させられるといいのですが、資源には制約があります。放送、通信、メーカ、ソフトウェア、コンテンツ・・・どのセクターがどういう資源をどう配分するか、そのスピード感はどうか、が大事です。

 地デジはキレイでべんりなテレビを実現するものです。ハイビジョンと、テレビのコンピュータ化を同時に達成するものです。それが整備されて現れた問い、「4Kかスマートか」。さて、どうでしょう。4Kは苦境にある日本のメーカーが再生する切り札だと唱える人もいます。総務省も期待しているのでしょう。これに対し、ぼくはスマートが先だと考えます。

 地デジでとりあえずテレビはキレイになりました。多くの家庭がテレビ受像器を買い換えました。そこですぐもっとキレイな4Kと言われても、というのが実態でしょう。さらにケーブル配信業者に聞くと、高精細HDの伝送は25%に過ぎず、以前のSD画像がまだたくさんあるといいます。さらなる高精細のニーズは本当にあるんでしょうか。高精細にしても広告が増えないことは経験済みで、ハイビジョンの頃と違って銀行もメーカーも弱ってる中で、どう資金を投下するかも課題です。

 これに対し、地デジでべんりになったかというと、それがまだ達成できていません。デジタルならではの面白いサービスが開発されていません。その部分は、スマホやタブレットが単騎でニーズをくみ取っています。テレビとスマホを組み合わせて豊かなサービスを作り、テレビ広告以外の新ビジネスを組み立てる。こちらは次の市場とニーズが見えます。テレビにはまずはその宿題を済ませてもらいたい。

 一方、デジタルサイネージやオープンデータの推進役としては、4K、8Kに期待しています。ビジネスはこの業務用から立ち上がるでしょうし、有望だと思います。スマートテレビ放送より業務4Kのほうが早いかもしれません。サイネージが超高精細を欲しがっているのは当然ですし、その表示技術も伝送技術もできてきました。課題だったコンテンツも、この数年でずいぶん充実しています。

 より切実なニーズがあるとすれば、映像のビッグデータ活用じゃないでしょうか。監視カメラに写るデータを、目視ではなく機械システムとして抽出、処理、分析できるほどの精細な映像を得ることができれば、利用は面的に広がります。8Kのような超高精細の映像は、人間より機械のほうがより強く欲しているのではないか、と感じます。


2021/10/05

改めて、デジタル教育反対派に問う

 ■改めて、デジタル教育反対派に問う

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/7/27(土) 8:52ー


 オモチャのタブレット端末が売り出されています。3歳児がネットで遊び、学ぶ。その子たちが学校に上がるころにはデジタルのベテラン。学校でデジタルに触れさせるか否か、なんて議論はもうバカってかんじ。

 でも、なおデジタル教育に対する批判はあります。デジタルのメリットとデメリットの議論、やるかやらないかの議論を続けているのは日本だけだという揶揄を海外から受けておりますが、そうは言ってもまだ残ってる。

 これまでぼくらは、そのデメリットについて、そのリスクやコストについて、説明とか検証とか成果とかを求められ、質問を浴びてきました。でも、もうそういう段階ではない。やらないことのリスクや、やらないことのコストのほうが目立ってきています。これからは、反対派に対し、そのリスクやコストについての説明責任を問いたいと思います。こちらから質問をしていくことにします。

 そこで、デジタル教育批判に関して、かつて10の問いを並べてみたのですが、まだ有益な回答はありません。改めて要約しますので、反対派のみなさん、お答えください。

1 デジタルによる学力向上の効果について、非デジタル学習のほうが学力向上効果が高いという成果、評価を示してもらえませんか?

2 紙には紙のよさがあり、鉛筆には鉛筆のよさがある一方、世界と瞬時につながり、映像も音楽も利用・生産できるなど、デジタルにしかできない効用があると思うが、アナログはその機能をカバーできますか?

3 デジタルがもたらすゲーム的なわかりやすさは思考力などと無関係ではという指摘について、では勉強へのインセンティブを高める点で何が問題なのか、インセンティブを高めることに関するアナログの優位性は何なのかを教えてもらえませんか?

4 デジタルを導入すると画一的な○×学習になるという指摘について、ネット授業は世界中の多様な考えの人たちと一つではない答えを教え合い学び合うことができるが、それに比べ紙のドリル学習のほうが画一的でないとする理由を教えてもらえませんか?

5 デジタルを導入すると読まなくなる・書かなくなるという指摘について、アナログ授業でも書かせなければかかないし、デジタル授業でも書かせれば書くし、つまり、問題はデジタルかアナログではなく、授業の内容だと思いますがいかがですか?

6 目が悪くなり姿勢が悪くなるという指摘について、本を暗いところで読んでいたぼくは目が悪くなりましたけど、じゃあ本を禁止しますか?

7 先生方が使えないから問題だという指摘について、2歳児でもタブレットをすいすい使いますが、本当に先生が使えないと言っちゃって大丈夫ですか?韓国ではほぼ全ての先生が問題なく使ってますけど、日本の先生は能力が低いと言っちゃって大丈夫ですか?

8 コストがかかるという指摘について、確かにコストはかかりますが、日本の公教育/GDPは先進国中ほぼ最下位で、教育にもっとお金をかけていいという気がするのですが、例えば小中学生1000万人に1万円のタブレットを配ると1000億円、それは年間の道路予算10兆円の100分の1だから、365日のうち3-4日、道路工事を休んだらできちゃう規模で、工事4日休んで全ての子どもにタブレットを!程度の話なんですけど、そのコストは国家として投資すべきではありませんか?

9 やる必要のあるところだけ実行すればよいという指摘について、隣の学校では使ってるのにうちは使えないのは不公平という格差問題のほうが大きくなると思うが、それにはどう答えますか?

10 教育を産業にすべきでないという指摘について、産業領域としてボリュームがないと投資が行われず技術も進まないので、それでよいなら日本はアメリカや韓国の機械や教材を導入することになりますが、そのほうがよいですか? アメリカではPCを教育のためにと消費者に勧めており、韓国ではスマートテレビやタブレットを教育のためにと広告しているが、その姿勢が弱い日本が正しいのですか? 教育に多くの投資が集まり、GDPのうちの多くが消費され、教員を含む関係者の収入が上がり、教育産業輸出国家になることの何が悪いのでしょうか?


2021/10/04

霞ヶ関の辺境から

 ■霞ヶ関の辺境から

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/3/30(土) 10:27ー


 民主党政権は政治主導を看板に掲げ、官僚排除で運営を試みたものの、すぐに挫折して、官僚の力を復活させました。財務省が政権を牛耳りました。自民党政権では原発でショボンとしていた経産省出身者が要所を固め、復権が取りざたされています。いずれにしろ、霞ヶ関です。

 一口に霞が関といっても、それぞれカラーがあります。財務省の前身、大蔵省は全省庁の予算に是非を下す究極の許認可官庁。ニコニコと人の話に耳を傾けつつ冷酷に首を切る力量が求められる。一方、通産省 (現経済産業省)は権限のない分野を開く狩猟族。ベンチャー志向おう盛な人種です。

 ぼくは郵政省(現総務省)の出身です。だから、霞ヶ関のことについてコメントを求められたりすることもあります。でも、ぼくにはほとんど答えられません。

 ぼくは80~90年代の郵政・通産戦争の最前線にいました。90年代初頭には郵政省の対通産担当に就き、直接交渉を任されました。通産省のカウンターパートたちは超エリートの切れ者ぞろいで、今も政官産学界の各方面で活躍中。ケンカしたくない相手ばかりでした。

 他方、郵政省は10円切手を頭下げて売り歩く前垂れ精神。上半身(頭脳)より下半身(足腰)がモノをいう。のっそり津々浦々を歩く。肌に合っていました。ただ、ぼくはコミュニケーションや表現にしか興味がなかったので、通信・放送・コンテンツってとこに就職しようとし、企業は落ちて郵政省だけ受かったから門をくぐったんです。公務員志望というわけではなく、大蔵にも通産にも興味がなかったのです。

 なんてカッコつけてみました。大蔵も通産も私のような不良を相手にするワケがない。ステージ衣装の黄色いスーツで面接に行くような田舎者を郵政省はよくもまぁ採用してくれたもんだと今さらながら思います。自分が人事担当ならそんなバカ必ず落とすもんね。

 なのに通信・放送の融合とか、ハイビジョンやISDNの否定とか、コンテンツ政策の確立とか、ぼくは役所内で反主流の旗ばかり掲げて、またオマエかと叱られ続けていました。それでも筆頭補佐にまで登ったのは、恐らく他の役所ではあり得ません。おおらかでした。そういうDNAは、今も残っていると思います。

 だから霞が関でくくられるのには違和感があります。特殊な役所出身だからというせいもあります。パンク出身だからエリートという感覚がないせいもあります。一般の霞が関論とぼくの感覚はズレています。

 例えば経産省を辞めた古賀茂明さんの著書に、彼が課長のころ所管財団をつぶしたとき、局長が「省益に反する」と非難したという逸話があります。しかし90年代中盤に郵政省が規制緩和をグイグイ断行したのはまったく逆で、権限を離すのが省益となったから進んだのです。

 通信・放送分野は、権限を手放すことで業界が活性化し、メディアも産業界も支持しました。それで担当者の評価が高まり、人事にもプラスとなりました。で、規制緩和のドライブが掛かったわけです。当時ぼくは規制緩和担当で、省内の規制当局に「緩和策を出せ」と迫る側だったのに、もういいよ!って止めなきゃいけないぐらいの勢いでした。

 誤解されることが多いのですが、規制緩和というのは、既得権の破壊でもあるので、役所としては規制強化する以上に仕事としては大変になることも多いんです。いったん緩和したら再強化はできませんし。腹をくくる仕事の連続でした。

 そんなに特殊なムラでも人種でもないと思うんです。評価メカニズムが大事なんです。今も役所たたきが続いていますが、権限を手放さない役所をたたくより、手放したやつを大々的に持ち上げてやればいい。実名でホメてあげて、出世させてやる。たたいてもたたいても、いい答えは出てきません。

 TPPにしろ東電処理にしろ電波競売にしろ、断行することで担当が出世するように組み立てれば政策は進みます。そうじゃなくて、役所をたたいても、殻にこもるだけ。霞が関もしょせん人の集まりで、フツーにくすぐってあげればいいんです。

 気になるのは、役所を飛び出して役所批判に明け暮れる元官僚。たいていは現役で政策が実現できなかった人たちの恨み言で、まぁそれは仕方のないこととしても、それを必要以上に取り上げるメディアの姿勢は、政策を歪めます。われわれ読み手側のリテラシー問題であることは承知しておりますが、メディアのみなさんもそのへん取り扱いよろしくお願いします。


2021/10/03

和田中に田原総一朗さんと行ってきた

 ■和田中に田原総一朗さんと行ってきた

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/7/13(土) 9:24ー


 東京都杉並区立和田中学校。かつて民間出身の藤原和博さんが校長を務め、地域に開かれた授業「よのなか科」で一躍有名になった学校です。その代田校長先生に呼ばれ、田原総一朗さんとともにデジタル教育の是非について討論する授業をやってきました。

 今日はディベート。賛成派と反対派に分かれましょう。デジタル教育について、和田中の生徒たちと、賛成派中村と、反対派田原総一朗さんの討論。生徒からの質問とぼくの答えをメモします。

・カネがかかるだろ?

 カネをかけようよ。日本の公教育コスト負担/GDPは先進国ほぼ最下位。教育にお金を使っていない。小中学生1000万人全員にタブレットを配るには1千億円かかるが、道路予算10兆円の1/100。年365日のうち3-4日道路工事休めばできちゃうということ。安いよ!

・法律がネックでは?

 お、勉強してるね。そのとおり。デジタルを正規教科書にするには、3法の改正が必要。新聞によれば昨日、田原さんは官邸で安倍総理に会ってる。次に会うときにそれを頼んでもらおうぜ!

・出版や鉛筆業界の失業が増える?

 かもしれん。他方、新ビジネスが立ち上がる。4兆円産業になるだろう。でも、同時に国際競争が激しくなる。世界の教育産業を見据えなければいけない。

・デジタルだと目が悪くなるんじゃ?

 これは研究中。デジタルだから目が悪くなるという研究結果はまだない。他方、テレビを見る赤ちゃんのほうが見ないより目がいいという研究もある。本だって目が悪くなる。読み方や姿勢は大事な問題。授業や家で普段どう読むか、どう使うかによる。それはデジタルだからアナログだからというのとは違う。

 ここで田原さんのコメント。「君たちバランスが取れすぎてるよ。」「ぼくは中学時代は教員をいじめるのが楽しみだったんだ。」あちゃ~。こういうのどう引き取るんだろう。するとある生徒が「ぼくもこれから先生と闘います」と表明。おう、頼もしいね。どんどん手が上がる。頼もしいね。

 田原さん「デジタルよりディスカッションだ。」「答えは一つじゃない。」デジタル教育を巡り、生徒たちは討論を重ねました。それぞれの意見をiPadで共有し、比較しました。その結果、授業の終わりに賛成・反対を尋ねたら、7:3という結果。まだ反対が3割残ったかぁ、くやしい。でも、ディスカッションしたよね、答えは一つじゃなくてバラバラだったよね、iPadというデジタルで共有したよね。

 これだ。こういう授業。デジタルはしょせん道具。こういう授業が広がれば、アナログかデジタルかなんていう不毛な議論は吹っ飛んで、子どもたちが頼もしく学んでいってくれるでしょう。


2021/10/02

インドの巨人の星

 ■インドの巨人の星

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/6/22(土) 14:55ー


 巨人の星19巻を電子書籍で一気読みしました。連載当時もむさぼり読んでいましたが、45年たって、花形が子どものころエリザベス女王に会っていたことを知りました。

 ところで、正月はインド・コルカタでした。宿のテレビをつけたら、「SURAJ」(スーラジ)が始まりました。インド版「巨人の星」。新しいクールジャパンのモデルです。アニメ「を」売る、から、アニメ「で」売る。スポンサーはスズキ、ANA、ダイキン、日清食品。クルマや旅行、クーラーやインスタント食品。昭和40年代にぼくらが憧れた暮らしを、アニメを通じてインドにも届けます。

 SURAJは野球ではなく、クリケットの物語。重いコンダラも、オロナミンCのCMも出てきません。でも父親は食卓をひっくり返してくれるし、いきなり養成ギブスも出てくるし、長髪のライバルは高級車(スズキ)に乗ってるし、だとすればいずれ魔球も登場し、オーロラ三人娘も現れるかしら。

 しかし、簡単ではありません。今週、SURAJを仕掛けた講談社の野間社長がぼくの授業にお越しになり、ローカライズの苦労を語ってくれました。食べ物を粗末にできないから、ひっくり返す食卓には水しかない。バネのギブスは児童虐待になるのでゴム製にした。高級車は自分で運転するのではなく運転手つきにした。てな具合。

 45年の間に日本はアズナンバーワンに成長し、弾け、20年を失い、衰退と言われるまで浮き沈んでいます。インドはどうでしょう。バンガロールのITベンチャーのように、45年前の日本を凌ぐ世界最先端の輝きをもつ分野があります。2030年には12億人と世界一の人口をもち、国際社会への発言力が増すことも予測されています。

 一方、この町では、今もすさまじい格差があります。終戦直後のヤミ市でもここまではと思わせる壮絶な雑踏。腕のない物乞いの老女。足を切り落としたと思われる物乞いの子ども。すわり小便をする男。うろつく犬、犬、犬。路上に生まれ、路上に暮らし、路上に死んでいく人が数百万人と言われるコルカタ。インドの中でも最も雑然としたエネルギーを発散しています。

 公園では、おびただしい数の人たちがクリケットに興じています。大人に混じり、多くの少年たちが瞳を輝かせています。SURAJを見て、プロ選手を夢見て、魔球を編み出そうとする、45年前のぼくらのような連中。飛雄馬の長屋が現実だったぼくらのように、今を生きる連中。君たちは、開かれた高揚感を共有しているでしょうか。

 しかし、TIMES of India紙の元日号では、一面で「21世紀生まれがティーンズ入りしてフェイスブックに参加、社会に軋轢が起きるだろう」と論じています。デジタルはここにも急速に浸透します。巨人の星が45年かかったのと対称的に、ITは瞬時にして、インドも日本も同時に若い世代を塗り込めます。

 インドは巨人の星を消化し、成長を謳歌するでしょうか。デジタル化が近代化を促すでしょうか。あるいは、グローバル化や民主化の圧力が混乱と社会不安を増長するでしょうか。ぼくにはわかりません。ただ、45年後、インドの子どもたちにとって、日本がなおも星のように輝いていることを祈ります。


2021/10/01

いとおしいコルカタの光

 ■いとおしいコルカタの光

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/6/29(土) 8:44ー


 コルカタ。かつてのカルカッタ。1911年にデリーに遷都されるまで、長くインドの都でした。インドで最も雑然とし、得体の知れないエネルギーを発散する街。

 薄暗い市場に迷い込んだ。肉の臭い。内蔵の臭い。獣の皮の臭い。足下は鮮血が川のように流れている。白や黒のヤギが何頭もつながれている。たくさんのニワトリが網の中で声をたてている。男たちが、無言で、それらを裁いている。この場で殺し、この場で処理し、それを商品にして、この場で売っている。屠殺、解体、精肉、そして小売りの兼業。「フレッシュ、フレッシュ。」肉塊を押しつけてくる。確かに、新鮮であろう。

 駅前の群がりは、これもどうやら市のようなのだが、路上の暮らしと一体化していて、商売なのか、消費なのか、生活なのかが余所者には判然とせぬ。うずくまるように横になっているが目だけギラギラとこちらに向けている男。下半身ハダカの子。裸足だ。脇を通り抜ける犬、犬、犬。カレーのようなものを火にくべている女。もうもうと湯気が立ちこめる。そこに手を突っ込んで喰っている子。姉妹だろうか、しゃがんで互いのシラミとりをしている。ぼくに手を伸ばし物乞いをする老女。

 「ハッ。」かけ声とともに、頭が落ちる。毎朝20頭のヤギがいけにえとして捧げられる。押すな押すなのヒンズー信者がありがたく見守る。脇には、それまでに斬られた黒い子ヤギの頭が5つ転がっている。体はきちんといただくらしい。このカーリー寺院には、沐浴のための池があり、その縁にシヴァ神の像がたたずむ。寺院の担当者が手招きする。なんでしょう。「お前は何人家族か」4人ですが。「では4000ルピー出しなさい ナマステー」なんでやねん。

 巨大な拡声器を積んだクルマと、怖ろしい形相の女たち。それを取り巻く野次馬たち。道路を占領し、クラクションが一段と激しい。デリーで集団レイプがあったとかで、抗議行動が市街地を占拠している。マザーテレサはこの街のスラムから活動を始めた。情熱が似合う街だ。だが、一歩、喧噪を離れると、泥沼があり、その縁では男どもがうずくまっている。休んでいるのではなく、動くことの消耗を避けているのだろう。静、が日々の大半と思われる。じっとしている、が人生の大半と思われる。いや、動く人影も数名。粗末な道具で釣りをしている。周りの静たちが、じっと、見ている。

 夜中。天空にはぽっこりと黄色い満月。窓の下が騒がしい。黄色とピンクのサリーをまとった女性がとっくみあいをしている。全く気にとめず、人力車引きがヘトヘトに座り込んでいる。タクシーに仕事を奪われ、やるせない。明日の露天を開く商売道具か、骨と皮だけの男が、体よりも大きな袋を頭のてっぺんに担いで歩いている。脇を通り抜ける犬、犬、犬。それよりもけたたましく人をかき分けるバイクと自転車。日中、レバーをぐるぐる回してトウキビを潰し、ジュースをふるまっていたおやじが店じまいだ。この夜更けに何が始まるんだろう、激しいリズムで太鼓をかき鳴らす隊列がやってきた。いつまでも騒然としていて、眠れない。

 ぼくの知る日本の街は、どこも清潔で平穏になりました。物乞いも疫病も失せ、怒声や乱闘は減り、悪臭は去り、クラクションだってそう聞きません。コルカタも、そうなるんでしょうか。そうかもしれません。でも、この街を上回るカオスはもう地上にないんじゃないかと感じます。500万人もの人がいて、古くからの文明があって、すさまじい貧困と、成長への希望がどくどくと渦巻いています。このぎらつきが、清潔で平穏で、笑顔に変わっていくことは、コルカタにとって、インドにとって、いや、インドにエネルギー源になってもらいたい日本にとっても、うるわしいことでありましょう。

 でも、ぼくにはこのぎらつきが、この異界が、声には出せないけど、かけがえのない、いとおしい光に映ります。二度と来たくなくなるか、何度も来たいと思うか、どちらかになる、と言われる都市。ぼくが何度も来るとすれば、それは闇を抱える蛾の見出した光という憧れが、まもなく消えゆくはかなさを訴えているからでしょう。


2021/09/30

テレビとネットの結合、ふたたび。

 ■テレビとネットの結合、ふたたび。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/6/1(土) 9:35ー


 テレビとネット。放送と通信。本格的につながり始めました。

 IT・エレクトロニクスの展示会「CEATEC」。2012年秋は「スマート」一色でした。スマートなテレビがたくさん姿を現していました。地デジでテレビはキレイになるだけでなく、かしこくなる。テレビとネット、テレビとスマホの組み合わせで、面白くて便利になる。もう提案レベルではなく、実サービスの段階です。

 スマートテレビだけでなく、スマート家電、スマートハウス、スマートシティなど、通信、メーカをはじめとする情報関連産業がスマートの名の下に戦略を模索する様子も明らかとなりました。

 家電メーカはネット対応のテレビを展示。SAMSUNGのスマートTVやGoogleTVのように、テレビ画面でネットのコンテンツも見られる姿とは異なり、テレビとスマホ、テレビとタブレットといったマルチスクリーン連動モデルを前面に掲げていました。さらに、冷蔵庫や洗濯機など白物家電もみなつないでスマートハウスを提案してみたり、電力供給と結びつけたスマートシティを唱えてみたりしていました。

 これは涙ぐましい努力である一方、「スマート」なるものの姿が確定しない現時点において、未来の可能性を示すものでもあろう。今回は自動車メーカも参加し、自動車とメディアの結合も数多く提案されていました。スマートテレビの可能性は、従来のテレビの延長線上ではなく、全く新しい姿を伴って提示されることになるのかもしれません。

 ぼくのグループは、放送とネット、テレビとコンピュータをつなぐことに力を入れてきました。

 その一つが、IPDC。アイピー、データキャスト。放送の電波を使って、IPプロトコルという通信技術でデータ配信することです。

 放送と通信の融合。その普及を目指して、「IPDCフォーラム」を立ち上げたのが2009年。1)規格化の検討、2)使い方の検討、3)制度化への要望に取り組んできました。ぼくが代表を務め、放送、通信、メーカ、ソフトウェア、広告など会員は40社を超えます。

  http://www.ipdcforum.org/

 当時、放送の電波に通信技術を乗せ、ハード・ソフト分離、通信・放送サービス混合、有料・無料コンテンツ混合、なんてことは、技術的にはできても制度的には夢のまた夢。このため、ユビキタス特区を作れだの、法体系を抜本改正して融合法制を作れだの、そんなことを叫んでいたので、鬼っこ扱いでした。

 しかし、地デジの全国整備が見えてきて、ブロードバンドの全国化も見えてきて、GoogleやらAppleやらも攻めてきて、事態は急展開しました。特区も法改正も実現しました。3年経ってみたら、IPDCにやおら脚光が当たるようになっていたんです。

 

 CEATEC同様、毎年幕張で開催されている放送展「InterBEE」の昨年版には、IPDCフォーラムとしてブースを出展しました。放送局主導でマルチスクリーンをコントロールする技術の具体像を示しました。特に大阪の放送局を軸に発足した「マルチスクリーン型放送研究会」(マル研)の成果を展示。12テレビ局、15番組が参加しました。

 放送番組とtwitterとを混在させたMBS「災害ニュース」、テレビとタブレットにアニメとマンガを表示させるよみうりテレビ「宇宙兄弟」など、多様なジャンルのコンテンツが日本的なダブルスクリーンモデルを模索していました。

 IPDCは放送の電波1本でテレビもタブレットやスマホなどのダブルスクリーンもカバーする仕組み。放送局が全てをコントロールする方式です。だからネット界より放送局が注目してるんですよね。

 これからの課題は、対応受信機の量産。このためには、日本だけでなく、日本の地デジ方式、ISDB-Tを採用する国々、たとえばブラジルなど南米と連携することがポイントとなります。いきなり国際対応が重要課題になっているんです。実は、ブラジル サンパウロ大学と国際連携策を進めているところです。

 通信と放送の融合を議論し続けて20年。地デジが済んで、スマホやタブレットが現れて、やっと具体像が見えてきた、そんな気がします。今年のCEATECやInterBEEではどこまで進化しているか。楽しみです。


2021/09/28

梅棹忠夫さんの案内する京都

 ■梅棹忠夫さんの案内する京都

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/25(土) 9:10ー


 梅棹忠夫さん。京都・西陣生まれ。京大人文科学研究所教授、国立民族博物館初代館長。2010年没。その大先生が1951年から65年ごろの論稿をまとめた「京都案内」。市川崑の「鍵」や市川雷蔵の「炎上」や川島雄三の「雁の寺」あたりの京都のたたずまい、いうことでんな。

 千年の首都でありながら、明治の革命とともに政治・経済力がそがれてもうて、没落する京都。故郷への愛情とシニカルな視線が交錯してるくせに、東京はじめ外部へは意図的に向ける上から目線が、微笑みを誘います。西陣という京のまん中で育った梅棹さん。ぼくも実家が西陣なんで、時代は違えど空気ははんなりわかります。

 本願寺、御所、金閣寺、賀茂川、祇園。そないな観光名所の解説はよろし。それよりも、へえ、そやったんや、そやそや、と京都人にも思わせるお話が転がってます。

 たとえば、"京都にはふしぎな店がある。清水の七味唐辛子、祇園のお香煎(シソの粉)屋など、いずれもそれだけしか売っていない。ひどく専門化したものである。" --そうどす。西陣の呉服屋で和服えらんだとき、ハカマ屋、帯屋、下駄屋、足袋屋、羽織のヒモ屋、関係ないのに和菓子屋もきて、一人の客=ぼくの相手をして、小あきないの専門店が「アテらみな400年続いてますねん」言うたはりました。はいからに言うたら、モジュール経営でんな。

 芸妓・舞妓は京都のブルジョワが金に糸目をつけずに念入りに育て上げた、とあります。徳川時代、お金をもうけても、海外貿易は禁じられ、投資対象は多くなく、"けっきょく、みんな女に投資した"。 --ええこっちゃがな。京都の姉妹都市ボストンに住んでたころ読んだ「Memories of a Geisha」いう本、旦那はん松下幸之助さんやいう噂でしたけど、そういうことでんな。現代、ブルジョワが少のなりました。ブルジョワはんらは、ビジネスに投資するばかりやのうて、文化に盛大お金使てください。

 ベンチャー育成は文化政策や思いますねん。1億円のベンチャー100社つくるんやったら、任天堂はんや京セラはんみたいな大きい会社が100億円積んだらええことですわ。経済としては。それよりベンチャー増やそいうんは、もうけた独裁の創業者が芸事やら骨董やら女やらにお金まかはるいうことでしょ。文化ですねん。やってほしことは。

 "市民はみんな比叡山にのぼったものだ。" 愛宕山は愛宕神社に、鞍馬山は鞍馬寺におまいりするためだが、比叡山は、"ただ、のぼるためにのぼった"。"修学院からまっすぐに急坂をのぼる、元気な子どもたちは、みんなこの道をあがったものだ。" 山のうえでは、"おばけ屋敷などという施設が、まいとしひらかれた。”

 西陣から北白川に移り住まはった梅棹さん。ぼくは実家が西陣やけど、小学校は北白川のもっと北の修学院で、小学校の行事で毎年その修学院から坂のぼって比叡登山させられてました。その小学校の同級生、保育園経営日本一のJPホールディングス山口洋代表も元観光庁長官ヘンタイ溝端宏も、2コ下の前原誠司先生も、そうでした。うんと下のチュートリアルの2人もそうやったと思いますよ。

 友だち同士でケーブルでヒエザン登って、おばけ屋敷行くんは楽しかった。ウラののれんくぐって入ったらタダでんねん。バット持って、出てくるおばけどついたったら、立命か産大のバイトの兄ちゃんのおばけが真顔で「どついたろか」いうて追いかけてくる、ほんま怖いおばけ屋敷やったんです。そんなガキどもばっかりでしたけど、もうつぶれましたかな、あそこ。

 "東京、大阪では、「なんだ、学生か」とあしらわれても、京都へくれば依然として「学生はん」である。" 自由主義の温床。その思想は急進的であり、その行動は矯激である。そう書いたはります。60年安保前の文章ですもんね。でも、なんも変わってへんと思います。こないだ、ホンマ久しぶりに時計台のイベントに呼ばれて大学行ったら、総長の名前書いて、「○○打倒」いう看板が正門に立ってました。ぼくが学生の時は時計台に「竹本処分粉砕」て書いたあって、まだヘルメットとマスクがいたはりましたけど、今の時代でっせ、学長打倒いう看板を正門に置いたあるて、慶應ではえらい問題になりますな。京都では屁エでもおませんな。そのへん、スキです。京大、西部講堂、残しといとくんなはれ。

 御所の周辺にある京菓子店では、「売ってくれ」などといってはしかられるという話。"「チマキのこってましたら、わけていただけまへんか」といわなければならない。御所上納ののこりものを、人民がいただくのである。" --そうなんや~。

 で、皇居を移転して、儀典都市としての京都に、天皇を戻せ、という提案が出て参ります。政府みたいなやっかいなもんはいらんさかい東京に残しといたるけど、帝は戻しとくなはれ。上から目線と慇懃が溶け合った京都らしい提案ですな。首都機能移転より楽しく議論ができるお話やと思います。

 羅城門を再建しろ、いう提案もされてます。映画や小説であこがれたラショウモンを見に来た外国人に、「もう1000年ほどまえになくなりました」というのでは "かっこうがつきません。" なるほどなぁ。京都の先人はこういうことにこだわらはったんどすなぁ。

 ぼくもこの際、何か提案してみよかな。

 う~ん、「京大入試はスマホ持ち込みアリにしろ」でどやろ。


2021/09/27

オープンデータ、がんばります。

 ■オープンデータ、がんばります。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/18(土) 11:12ー


 ビッグデータの持つ可能性を広げたい。ビッグデータで、社会を安全で便利にしたい。ビッグデータで、経済を刺激したい。

 そこで、オープンデータ。政府・自治体はじめパブリックなデータを公開し、民間が活用し、情報サービスを生んでいく運動です。

 昨年設立された「オープンデータ流通推進コンソーシアム」に私は理事として参画しています。霞ヶ関も情報公開に対し前のめりなのです。コンソーシアムが東大で開催したイベントで、総務省の阪本泰男政策統括官は「産官学連携で国際協調も進める」決意を示しました。内閣官房の奈良俊哉IT担当参事官は「政府自ら二次利用可能な形式で公開していく」ことを明言しました。

 経産省の岡田武情報プロジェクト室長は、かつて仲が悪かった経産省・総務省が手を組むと言いました。内閣、総務、文科、厚労、農水、経産、国交、財務といった仲の悪そうな省庁が一つのテーブルについて公開策を練り始めているといいます。

 私はコンソーシアムの利活用・普及委員長でもあり、多くの省庁のかたがた、自治体のリーダー、企業や研究機関のみなさんにご参加いただき、情報発信や事例開発を進めています。委員会はオープンで、毎度ネット中継しています。

 オープンデータ。注目され始めたとはいえ、まだまだ専門家の話であり、重要な課題であることを国民全体に認識してもらうには、かなりの普及活動が必要です。まず事例や成果を挙げて、積み重ねて、みんなで共有すること。イベントを開催したり、汗をかいてる人を勝手表彰したり、とにかくどんどんやります。

 ただ、企業はじめ多くの関係者を巻き込み、長期的に続け、自律させるためには、ビジネスが育っていくことがポイント。ドシドシもうけてもらいたい。私が関わっているデジタル教科書やデジタルサイネージでも、オープンなデータは教材にもなるしサイネージコンテンツにもなります。でも、いま想像・想定できない利用法やビジネスが広がるはず。これを広げ、具体化させたい。

 この1-2年でメディア環境は大きく変化しました。スマホなどのマルチスクリーン、クラウドネットワーク、そしてソーシャルサービスが普及し、膨大な情報が生産され、共有されることが認識されています。

 オープンデータはその次の次元です。これまでのコミュニケーションはP2P、人と人、1億人×1億人だったが、これからは、ぼくの周りの全てのモノ、100個ぐらいのモノがみな情報を発信する、M2M(マシン・トゥ・マシン)、モノとモノ、だから100億×100億、情報量としてはン万倍になります。新しい産業が生まれます。

 そこでコンソーシアムがすべきことは3点。

 プラスを伸ばすこと。まずはビジネスモデルを作ること。情報提供・共有のインセンティブは、今は善意に頼っています。企業として収益を上げられる道筋を作りたい。

 次に、マイナスを減らすこと。安心感を醸成することです。データがオープンになればなるほど、デジタル化に対する不安や抵抗が必ず出てきます。プライバシー保護などの運用をちゃんとしてるよ、という情報を発信したい。

 3点目は、産学官のタッグを組み続けること。政府には、最大のデータ保持者として データを出すだけでなく、カネも出してほしい。民間が立ち上がるまでの間、資金の出し手としてプレイしてくれることを期待します。業界支援策ではなく、新産業開拓策・インフラ整備策として。

  井上由里子一橋大学教授が、「政府保有データの著作権をフリーにして使わせるべきだ」と提案しています。とても重要な課題です。これは早急に実現すべく動きたい。法律の問題なのか、行政運用の問題なのか、政策論的には整理を要しますが、早く具体的な成果を得たいと思います。


2021/09/26

ビッグデータの可能性

 ■ビッグデータの可能性

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/11(土) 9:41ー


 ビッグデータ。スマホやセンサーから毎秒毎秒ガンガン出てくる膨大な情報を分析することで、ビジネス、医療、防犯、都市設計など社会経済のいろんな局面で新しい価値を生む。気象、地理、道路交通などのデータのほか、人々が発信するソーシャルメディアの情報や防犯カメラの映像など、爆発的に増大するデータが宝の山として注目を集めているのです。

 バズワードでもあり、可能性の広がるキーワードでもあります。しかし、明確な定義はまだありません。現時点では、可能性を狭めないためにも「大量の情報の集積」ぐらいの緩いとらえ方をしておけばいいと思います。

 ビッグデータは社会を豊かにすることに加え、ビジネスを広げることが期待されています。それは宣伝書などに譲るとして、ぼくは「インフラ」と「個人」の2つの可能性に注目しています。

 まず、インフラとしてのビッグデータ。

 携帯電話の利用データで地域・時間ごとの人口分布を推計できるため、防災・都市計画に役立ちます。ビッグデータ自体が社会基盤として利用されるのです。

 「アメリカが核戦争に備えてインターネットを作ったように、大震災を経験し、原発で世界に迷惑をかけた日本は、災害に耐える次世代のインフラを作る責務があるのではないか。」

 「前の震災ではネットが途切れずに活躍したが、次に来る大震災に立ち向かう研究開発は日本がリードしなければならないのではないか。」

 などという漠然とした青臭い思いを2年来抱いているのですが、それは新しい通信網を設計するというより、ビッグデータを活かした都市設計という上位レイヤが求められるということかもしれません。

 スマートシティは、さまざまなセンサーからの情報をM2M(マシン・トゥ・マシン)で共有して、都市全体でビッグデータを活用する構想です。この取組は日本は遅れていますが、これこそ日本が先んじて取り組まなければならないことでしょう。

 総務省の先輩、稲田修一さん著「ビッグデータがビジネスを変える」によれば、日本は世界の1/4のセンサーを利用する「センサー大国」なのだそうです。さすが八百万の神々が棲むユビキタス社会。至るところにセンサーが潜んでいるのに、それを面的に、戦略的に使えていない、という状況なのですね。

 でも、であれば、チャンスはあるということです。

 第二に、個人。ビジネスや地域だけでなく、個人も集合知を活用できる可能性です。

 クックパッド、カカクコム、ウェザーニュースなど、利用者の集合知によるコンテンツの集積を活用するサービスも普及しています。ビッグデータはWeb2.0が大量の無記名レベルに拡大した、いわばWeb3.0ということでしょうか。

 私の計算では、デジタル化が進み始めた95年から2005年の10年間で情報量は21倍に増え、さらに加速していますが、それをビッグデータの一部とみるわけです。コンテンツ=人と人(P2P)と、モノ・モノ(M2M)とを統合する見方です。

 ところで、「ビッグデータがビジネスを変える」は、教育、医療、行政といった公共分野でビッグデータを利用することが重要だと説きます。まず教育。ビッグデータで教育ビジネスは高度化します。さまざまな人が教材を作成、集積し、各生徒に最適なものを提供できます。集合知です。ビッグデータを活用した実証実験が必要です。デジタル教科書・教材運動でもビッグデータを新テーマにしたいと思います。

 ビッグデータは医療・健康ビジネスにも重要となります。しかし、病院間でカルテのデータ形式が異なる、検査データが連結できない等の根本問題があります。欧米では数千万件の医療情報を集積しているが、日本は不十分という指摘もあります。この分野は教育の情報化よりうんと壁が厚いですねぇ。行政のビッグデータ活用には国民IDが必須ですが、先進国で日本だけが未導入、という指摘もある。マイナンバーもまだですもんね。

 その書物に、とてもショッキングなデータが3つ掲げられています。

 まず、情報通信投資の対GDP比率は米英韓が5%で2003年から増加傾向、日本は3%で2001年から減少という一橋大学深尾教授のデータです。一般ユーザの利用度は高いのですが、企業の利用度が低いということです。

 2009年情報通信白書によれば、先進7カ国の情報通信利活用の偏差値で、日本は交通・物流で1位だが企業経営分野は最下位だといいます。ショック。日本は経営・管理レベルのITリテラシーが低いことが大問題なのです。

 2010年に蓄積された情報量は、北米3500ペタバイト、欧州2000ペタバイト、日本400ペタバイト、というマッキンゼーの驚くべきデータもあります。蓄積量にして日本は北米の11%。産官ともに日本は情報の重要性に気づいていないということです。

 最大の問題は、データや情報の重要性をどう認識するか、というわれわれの内側に存在するのでしょう。これは実に重い課題です。


リアリズムの田中角栄

 ■リアリズムの田中角栄 ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/9/7(土) 11:30ー  早野透著「田中角栄」を読んで、改めて田中政治って何だったのかなと考えています。  毀誉褒貶のチャンピオン。金権政治、官僚操縦、数々の議員立法を通した政策マン。評価はさ...