2021/09/30

テレビとネットの結合、ふたたび。

 ■テレビとネットの結合、ふたたび。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/6/1(土) 9:35ー


 テレビとネット。放送と通信。本格的につながり始めました。

 IT・エレクトロニクスの展示会「CEATEC」。2012年秋は「スマート」一色でした。スマートなテレビがたくさん姿を現していました。地デジでテレビはキレイになるだけでなく、かしこくなる。テレビとネット、テレビとスマホの組み合わせで、面白くて便利になる。もう提案レベルではなく、実サービスの段階です。

 スマートテレビだけでなく、スマート家電、スマートハウス、スマートシティなど、通信、メーカをはじめとする情報関連産業がスマートの名の下に戦略を模索する様子も明らかとなりました。

 家電メーカはネット対応のテレビを展示。SAMSUNGのスマートTVやGoogleTVのように、テレビ画面でネットのコンテンツも見られる姿とは異なり、テレビとスマホ、テレビとタブレットといったマルチスクリーン連動モデルを前面に掲げていました。さらに、冷蔵庫や洗濯機など白物家電もみなつないでスマートハウスを提案してみたり、電力供給と結びつけたスマートシティを唱えてみたりしていました。

 これは涙ぐましい努力である一方、「スマート」なるものの姿が確定しない現時点において、未来の可能性を示すものでもあろう。今回は自動車メーカも参加し、自動車とメディアの結合も数多く提案されていました。スマートテレビの可能性は、従来のテレビの延長線上ではなく、全く新しい姿を伴って提示されることになるのかもしれません。

 ぼくのグループは、放送とネット、テレビとコンピュータをつなぐことに力を入れてきました。

 その一つが、IPDC。アイピー、データキャスト。放送の電波を使って、IPプロトコルという通信技術でデータ配信することです。

 放送と通信の融合。その普及を目指して、「IPDCフォーラム」を立ち上げたのが2009年。1)規格化の検討、2)使い方の検討、3)制度化への要望に取り組んできました。ぼくが代表を務め、放送、通信、メーカ、ソフトウェア、広告など会員は40社を超えます。

  http://www.ipdcforum.org/

 当時、放送の電波に通信技術を乗せ、ハード・ソフト分離、通信・放送サービス混合、有料・無料コンテンツ混合、なんてことは、技術的にはできても制度的には夢のまた夢。このため、ユビキタス特区を作れだの、法体系を抜本改正して融合法制を作れだの、そんなことを叫んでいたので、鬼っこ扱いでした。

 しかし、地デジの全国整備が見えてきて、ブロードバンドの全国化も見えてきて、GoogleやらAppleやらも攻めてきて、事態は急展開しました。特区も法改正も実現しました。3年経ってみたら、IPDCにやおら脚光が当たるようになっていたんです。

 

 CEATEC同様、毎年幕張で開催されている放送展「InterBEE」の昨年版には、IPDCフォーラムとしてブースを出展しました。放送局主導でマルチスクリーンをコントロールする技術の具体像を示しました。特に大阪の放送局を軸に発足した「マルチスクリーン型放送研究会」(マル研)の成果を展示。12テレビ局、15番組が参加しました。

 放送番組とtwitterとを混在させたMBS「災害ニュース」、テレビとタブレットにアニメとマンガを表示させるよみうりテレビ「宇宙兄弟」など、多様なジャンルのコンテンツが日本的なダブルスクリーンモデルを模索していました。

 IPDCは放送の電波1本でテレビもタブレットやスマホなどのダブルスクリーンもカバーする仕組み。放送局が全てをコントロールする方式です。だからネット界より放送局が注目してるんですよね。

 これからの課題は、対応受信機の量産。このためには、日本だけでなく、日本の地デジ方式、ISDB-Tを採用する国々、たとえばブラジルなど南米と連携することがポイントとなります。いきなり国際対応が重要課題になっているんです。実は、ブラジル サンパウロ大学と国際連携策を進めているところです。

 通信と放送の融合を議論し続けて20年。地デジが済んで、スマホやタブレットが現れて、やっと具体像が見えてきた、そんな気がします。今年のCEATECやInterBEEではどこまで進化しているか。楽しみです。


2021/09/28

梅棹忠夫さんの案内する京都

 ■梅棹忠夫さんの案内する京都

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/25(土) 9:10ー


 梅棹忠夫さん。京都・西陣生まれ。京大人文科学研究所教授、国立民族博物館初代館長。2010年没。その大先生が1951年から65年ごろの論稿をまとめた「京都案内」。市川崑の「鍵」や市川雷蔵の「炎上」や川島雄三の「雁の寺」あたりの京都のたたずまい、いうことでんな。

 千年の首都でありながら、明治の革命とともに政治・経済力がそがれてもうて、没落する京都。故郷への愛情とシニカルな視線が交錯してるくせに、東京はじめ外部へは意図的に向ける上から目線が、微笑みを誘います。西陣という京のまん中で育った梅棹さん。ぼくも実家が西陣なんで、時代は違えど空気ははんなりわかります。

 本願寺、御所、金閣寺、賀茂川、祇園。そないな観光名所の解説はよろし。それよりも、へえ、そやったんや、そやそや、と京都人にも思わせるお話が転がってます。

 たとえば、"京都にはふしぎな店がある。清水の七味唐辛子、祇園のお香煎(シソの粉)屋など、いずれもそれだけしか売っていない。ひどく専門化したものである。" --そうどす。西陣の呉服屋で和服えらんだとき、ハカマ屋、帯屋、下駄屋、足袋屋、羽織のヒモ屋、関係ないのに和菓子屋もきて、一人の客=ぼくの相手をして、小あきないの専門店が「アテらみな400年続いてますねん」言うたはりました。はいからに言うたら、モジュール経営でんな。

 芸妓・舞妓は京都のブルジョワが金に糸目をつけずに念入りに育て上げた、とあります。徳川時代、お金をもうけても、海外貿易は禁じられ、投資対象は多くなく、"けっきょく、みんな女に投資した"。 --ええこっちゃがな。京都の姉妹都市ボストンに住んでたころ読んだ「Memories of a Geisha」いう本、旦那はん松下幸之助さんやいう噂でしたけど、そういうことでんな。現代、ブルジョワが少のなりました。ブルジョワはんらは、ビジネスに投資するばかりやのうて、文化に盛大お金使てください。

 ベンチャー育成は文化政策や思いますねん。1億円のベンチャー100社つくるんやったら、任天堂はんや京セラはんみたいな大きい会社が100億円積んだらええことですわ。経済としては。それよりベンチャー増やそいうんは、もうけた独裁の創業者が芸事やら骨董やら女やらにお金まかはるいうことでしょ。文化ですねん。やってほしことは。

 "市民はみんな比叡山にのぼったものだ。" 愛宕山は愛宕神社に、鞍馬山は鞍馬寺におまいりするためだが、比叡山は、"ただ、のぼるためにのぼった"。"修学院からまっすぐに急坂をのぼる、元気な子どもたちは、みんなこの道をあがったものだ。" 山のうえでは、"おばけ屋敷などという施設が、まいとしひらかれた。”

 西陣から北白川に移り住まはった梅棹さん。ぼくは実家が西陣やけど、小学校は北白川のもっと北の修学院で、小学校の行事で毎年その修学院から坂のぼって比叡登山させられてました。その小学校の同級生、保育園経営日本一のJPホールディングス山口洋代表も元観光庁長官ヘンタイ溝端宏も、2コ下の前原誠司先生も、そうでした。うんと下のチュートリアルの2人もそうやったと思いますよ。

 友だち同士でケーブルでヒエザン登って、おばけ屋敷行くんは楽しかった。ウラののれんくぐって入ったらタダでんねん。バット持って、出てくるおばけどついたったら、立命か産大のバイトの兄ちゃんのおばけが真顔で「どついたろか」いうて追いかけてくる、ほんま怖いおばけ屋敷やったんです。そんなガキどもばっかりでしたけど、もうつぶれましたかな、あそこ。

 "東京、大阪では、「なんだ、学生か」とあしらわれても、京都へくれば依然として「学生はん」である。" 自由主義の温床。その思想は急進的であり、その行動は矯激である。そう書いたはります。60年安保前の文章ですもんね。でも、なんも変わってへんと思います。こないだ、ホンマ久しぶりに時計台のイベントに呼ばれて大学行ったら、総長の名前書いて、「○○打倒」いう看板が正門に立ってました。ぼくが学生の時は時計台に「竹本処分粉砕」て書いたあって、まだヘルメットとマスクがいたはりましたけど、今の時代でっせ、学長打倒いう看板を正門に置いたあるて、慶應ではえらい問題になりますな。京都では屁エでもおませんな。そのへん、スキです。京大、西部講堂、残しといとくんなはれ。

 御所の周辺にある京菓子店では、「売ってくれ」などといってはしかられるという話。"「チマキのこってましたら、わけていただけまへんか」といわなければならない。御所上納ののこりものを、人民がいただくのである。" --そうなんや~。

 で、皇居を移転して、儀典都市としての京都に、天皇を戻せ、という提案が出て参ります。政府みたいなやっかいなもんはいらんさかい東京に残しといたるけど、帝は戻しとくなはれ。上から目線と慇懃が溶け合った京都らしい提案ですな。首都機能移転より楽しく議論ができるお話やと思います。

 羅城門を再建しろ、いう提案もされてます。映画や小説であこがれたラショウモンを見に来た外国人に、「もう1000年ほどまえになくなりました」というのでは "かっこうがつきません。" なるほどなぁ。京都の先人はこういうことにこだわらはったんどすなぁ。

 ぼくもこの際、何か提案してみよかな。

 う~ん、「京大入試はスマホ持ち込みアリにしろ」でどやろ。


2021/09/27

オープンデータ、がんばります。

 ■オープンデータ、がんばります。

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/18(土) 11:12ー


 ビッグデータの持つ可能性を広げたい。ビッグデータで、社会を安全で便利にしたい。ビッグデータで、経済を刺激したい。

 そこで、オープンデータ。政府・自治体はじめパブリックなデータを公開し、民間が活用し、情報サービスを生んでいく運動です。

 昨年設立された「オープンデータ流通推進コンソーシアム」に私は理事として参画しています。霞ヶ関も情報公開に対し前のめりなのです。コンソーシアムが東大で開催したイベントで、総務省の阪本泰男政策統括官は「産官学連携で国際協調も進める」決意を示しました。内閣官房の奈良俊哉IT担当参事官は「政府自ら二次利用可能な形式で公開していく」ことを明言しました。

 経産省の岡田武情報プロジェクト室長は、かつて仲が悪かった経産省・総務省が手を組むと言いました。内閣、総務、文科、厚労、農水、経産、国交、財務といった仲の悪そうな省庁が一つのテーブルについて公開策を練り始めているといいます。

 私はコンソーシアムの利活用・普及委員長でもあり、多くの省庁のかたがた、自治体のリーダー、企業や研究機関のみなさんにご参加いただき、情報発信や事例開発を進めています。委員会はオープンで、毎度ネット中継しています。

 オープンデータ。注目され始めたとはいえ、まだまだ専門家の話であり、重要な課題であることを国民全体に認識してもらうには、かなりの普及活動が必要です。まず事例や成果を挙げて、積み重ねて、みんなで共有すること。イベントを開催したり、汗をかいてる人を勝手表彰したり、とにかくどんどんやります。

 ただ、企業はじめ多くの関係者を巻き込み、長期的に続け、自律させるためには、ビジネスが育っていくことがポイント。ドシドシもうけてもらいたい。私が関わっているデジタル教科書やデジタルサイネージでも、オープンなデータは教材にもなるしサイネージコンテンツにもなります。でも、いま想像・想定できない利用法やビジネスが広がるはず。これを広げ、具体化させたい。

 この1-2年でメディア環境は大きく変化しました。スマホなどのマルチスクリーン、クラウドネットワーク、そしてソーシャルサービスが普及し、膨大な情報が生産され、共有されることが認識されています。

 オープンデータはその次の次元です。これまでのコミュニケーションはP2P、人と人、1億人×1億人だったが、これからは、ぼくの周りの全てのモノ、100個ぐらいのモノがみな情報を発信する、M2M(マシン・トゥ・マシン)、モノとモノ、だから100億×100億、情報量としてはン万倍になります。新しい産業が生まれます。

 そこでコンソーシアムがすべきことは3点。

 プラスを伸ばすこと。まずはビジネスモデルを作ること。情報提供・共有のインセンティブは、今は善意に頼っています。企業として収益を上げられる道筋を作りたい。

 次に、マイナスを減らすこと。安心感を醸成することです。データがオープンになればなるほど、デジタル化に対する不安や抵抗が必ず出てきます。プライバシー保護などの運用をちゃんとしてるよ、という情報を発信したい。

 3点目は、産学官のタッグを組み続けること。政府には、最大のデータ保持者として データを出すだけでなく、カネも出してほしい。民間が立ち上がるまでの間、資金の出し手としてプレイしてくれることを期待します。業界支援策ではなく、新産業開拓策・インフラ整備策として。

  井上由里子一橋大学教授が、「政府保有データの著作権をフリーにして使わせるべきだ」と提案しています。とても重要な課題です。これは早急に実現すべく動きたい。法律の問題なのか、行政運用の問題なのか、政策論的には整理を要しますが、早く具体的な成果を得たいと思います。


2021/09/26

ビッグデータの可能性

 ■ビッグデータの可能性

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/5/11(土) 9:41ー


 ビッグデータ。スマホやセンサーから毎秒毎秒ガンガン出てくる膨大な情報を分析することで、ビジネス、医療、防犯、都市設計など社会経済のいろんな局面で新しい価値を生む。気象、地理、道路交通などのデータのほか、人々が発信するソーシャルメディアの情報や防犯カメラの映像など、爆発的に増大するデータが宝の山として注目を集めているのです。

 バズワードでもあり、可能性の広がるキーワードでもあります。しかし、明確な定義はまだありません。現時点では、可能性を狭めないためにも「大量の情報の集積」ぐらいの緩いとらえ方をしておけばいいと思います。

 ビッグデータは社会を豊かにすることに加え、ビジネスを広げることが期待されています。それは宣伝書などに譲るとして、ぼくは「インフラ」と「個人」の2つの可能性に注目しています。

 まず、インフラとしてのビッグデータ。

 携帯電話の利用データで地域・時間ごとの人口分布を推計できるため、防災・都市計画に役立ちます。ビッグデータ自体が社会基盤として利用されるのです。

 「アメリカが核戦争に備えてインターネットを作ったように、大震災を経験し、原発で世界に迷惑をかけた日本は、災害に耐える次世代のインフラを作る責務があるのではないか。」

 「前の震災ではネットが途切れずに活躍したが、次に来る大震災に立ち向かう研究開発は日本がリードしなければならないのではないか。」

 などという漠然とした青臭い思いを2年来抱いているのですが、それは新しい通信網を設計するというより、ビッグデータを活かした都市設計という上位レイヤが求められるということかもしれません。

 スマートシティは、さまざまなセンサーからの情報をM2M(マシン・トゥ・マシン)で共有して、都市全体でビッグデータを活用する構想です。この取組は日本は遅れていますが、これこそ日本が先んじて取り組まなければならないことでしょう。

 総務省の先輩、稲田修一さん著「ビッグデータがビジネスを変える」によれば、日本は世界の1/4のセンサーを利用する「センサー大国」なのだそうです。さすが八百万の神々が棲むユビキタス社会。至るところにセンサーが潜んでいるのに、それを面的に、戦略的に使えていない、という状況なのですね。

 でも、であれば、チャンスはあるということです。

 第二に、個人。ビジネスや地域だけでなく、個人も集合知を活用できる可能性です。

 クックパッド、カカクコム、ウェザーニュースなど、利用者の集合知によるコンテンツの集積を活用するサービスも普及しています。ビッグデータはWeb2.0が大量の無記名レベルに拡大した、いわばWeb3.0ということでしょうか。

 私の計算では、デジタル化が進み始めた95年から2005年の10年間で情報量は21倍に増え、さらに加速していますが、それをビッグデータの一部とみるわけです。コンテンツ=人と人(P2P)と、モノ・モノ(M2M)とを統合する見方です。

 ところで、「ビッグデータがビジネスを変える」は、教育、医療、行政といった公共分野でビッグデータを利用することが重要だと説きます。まず教育。ビッグデータで教育ビジネスは高度化します。さまざまな人が教材を作成、集積し、各生徒に最適なものを提供できます。集合知です。ビッグデータを活用した実証実験が必要です。デジタル教科書・教材運動でもビッグデータを新テーマにしたいと思います。

 ビッグデータは医療・健康ビジネスにも重要となります。しかし、病院間でカルテのデータ形式が異なる、検査データが連結できない等の根本問題があります。欧米では数千万件の医療情報を集積しているが、日本は不十分という指摘もあります。この分野は教育の情報化よりうんと壁が厚いですねぇ。行政のビッグデータ活用には国民IDが必須ですが、先進国で日本だけが未導入、という指摘もある。マイナンバーもまだですもんね。

 その書物に、とてもショッキングなデータが3つ掲げられています。

 まず、情報通信投資の対GDP比率は米英韓が5%で2003年から増加傾向、日本は3%で2001年から減少という一橋大学深尾教授のデータです。一般ユーザの利用度は高いのですが、企業の利用度が低いということです。

 2009年情報通信白書によれば、先進7カ国の情報通信利活用の偏差値で、日本は交通・物流で1位だが企業経営分野は最下位だといいます。ショック。日本は経営・管理レベルのITリテラシーが低いことが大問題なのです。

 2010年に蓄積された情報量は、北米3500ペタバイト、欧州2000ペタバイト、日本400ペタバイト、というマッキンゼーの驚くべきデータもあります。蓄積量にして日本は北米の11%。産官ともに日本は情報の重要性に気づいていないということです。

 最大の問題は、データや情報の重要性をどう認識するか、というわれわれの内側に存在するのでしょう。これは実に重い課題です。


2021/09/25

攻めに転ずるテレビ局

 ■攻めに転ずるテレビ局

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/7/6(土) 8:43ー


 ユーチューブがテレビ局化するという記事がありました。ユーチューブがチャンネル編成化し、動画を増やし、広告を強化する、という3つの策を講じているというのです。2005年のサービス開始から8年。PCベースのメディアがテレビに本腰を入れてきたのです。テレビ業界との競合が激しくなると同時に、連携も強まるでしょう。

 必然ですよね。PCベースでスタートし、ここ5年でスマホやタブレットが普及、そしてこの1~2年はテレビのスマート化がホットになってきた。このメディア変化に対応するものです。また、広告最大の領域であるテレビ広告2兆円にもビジネスの焦点が定まる環境になってきた面もあります。

 それ以上に競争の激化があります。アメリカのテレビ局が作った映像配信サービスhuluや映画配信のNetflix、さらにアップルも力を入れてきます。日本でもテレビ局がサービスに本腰を入れてきました。サービスを束ねるプラットフォームの座が争われています。いち早くそれを確立させるということでしょう。

 TBS、テレビ朝日、フジテレビなどがユーチューブで動画配信を始めました。ここに来てテレビ局は通信との融合に踏み込んでいます。テレビ局にも事情があります。地デジが完成しました。テレビを買い換えさせられました。でも、正直どうよ?キレイにはなったけど、すごくよくなったか?デジタルならではの、便利で面白いサービスが求められているわけです。ネットもスマホも使おう、という方向です。

 競争も激しくなってきました。かつては黄金のビジネスだったので、ネットに手を出すのは戦略から外れていたのですが、広告市場は縮小し、ビジネスをネットやソーシャルメディアに持って行かれる。守りから攻めに転ずる段階になりました。

 テレビ画面は見られ続けるでしょう。でも、テレビ番組をリアルタイムで見ることは減り、マルチスクリーンを同時に使うことは増えます。録画した番組、ネットのコンテンツ、ソーシャルサービスなど、多様化が進む中で、テレビ局のコンテンツがどれだけの位置を占めるか。

 テレビは番組だけでなく、電波もあります。デジタル化したものの、同じように番組を送っているだけで、うまく使えていません。新聞、雑誌、ソーシャルメディアなど、デジタル回線としてもっと色んなことに使えるんです。ビジネスを広げられます。そちらにも力を入れてもらいたいですね。


2021/09/24

知財政策、政府の一体化を

 ■知財政策、政府の一体化を

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/12/7(土) 13:56ー


 本年6月、政府は知的財産政策に関する基本方針を初めて閣議決定しました。知財政策の重要性を高める動きとして評価します。

 今回の決定に当たってのポイントは「連携・一体化」です。

 まず、「ビッグデータ」。

 今回、知財ビジョンはビッグデータをクローズアップしました。公共のデータをどう活用できるようにするか。重要な知財政策です。一方、ビッグデータ対策はIT戦略本部を中心に議論が進められています。知財政策とIT政策の連携、いや、一体化が求められます。 

 政府・自治体が持つデータを公開し、民間が活用し、情報サービスを生んでいく運動「オープンデータ」を推進するには、これらデータの著作権をフリーにすることが求められます。国が保有する公共データには著作権が発生しないよう著作権法を改正する、国がその権利を自ら放棄する、クリエイティブコモンズなど二次利用促進のためのライセンスを採用する、などのアプローチが考えられます。が、これ一つ動かすにも、相当な政治パワーが必要となります。

 昨年設立された「オープンデータ流通推進コンソーシアム」にぼくは理事として参加しています。関係8省庁や自治体のリーダー、企業や研究機関のみなさんにご参加いただき、情報発信や事例開発を進めています。国際ランキング19位を3年で1位にするのがぼくたちの目標。政府としても本気で受け止めてもらいたい。

 「教育情報化」もそうです。

 知財ビジョンでは、教育情報化の推進、特にデジタル教科書に関する制度改正を明記しました。だが、これは児童1人1台の情報端末とクラウド環境による教育を実現することが前提。教育コンテンツ=知財の前に、デジタル環境=ITの問題が待っています。これも知財・IT政策が一体とならなければいけません。

 この教科書制度改正=知財政策も、デジタル教育環境整備=IT政策も、長年の宿題であり、政府が計画に明記したところで、実現にはかなりのハードルが待ち受けます。本気度を求めます。ただ、議論の高まりを受け、実態も動き始めています。

 大阪市、東京都荒川区、佐賀県武雄市のように、2014年から15年にかけて域内の小中学生全員にタブレット端末を持たせるという自治体も現れ、政府目標の2020年1人1台を前倒しできる可能性もほの見えてきました。

 こうした動きを受けて、ぼくが事務局長を務める民間団体「デジタル教科書・教材協議会」も「教育情報化提言 2013」を掲げ、「デジタル教科書法」の策定、先導100自治体と先導100教員の指定・支援など8策を推進しています。

 さて、こうした中長期的な課題と並行して、短期政策を作るため、政府は「クールジャパン推進会議」を開催しました。マンガ、アニメ、ゲームに代表される現代流行文化=ポップカルチャーを核としつつ、ファッション、食、伝統工芸、観光など経済・文化全般にわたるソフトパワーを発揮する。特に海外市場を取り込むことがミッションです。

 このような政策を進めることに対しても、同じ注文があります。タテ割りを打破して「本気でやってくれ」ということです。たとえばクールジャパン政策には内閣、総務、外務、文科、経産、国交、農水、財務といった8つの省庁が関与します。それらが一つの机で前向きに施策を出し 合い、連携が進むようになったのは成果ですが、そうした施策を長く継続しているフランスや韓国の気合いには及びません。

 さらに、クールジャパン対策は今すぐできる短期対策で、知財計画は制度、外交、教育などの中長期政策。省庁のタテ割りをヨコにつなぐことに加え、短期・中長期のヨコ割りをタテに連動させることが大切です。

 個人的な意見として、私はコンテンツやIT の政策を結合して「文化省」を作るのがよいと思っています。韓国は新政権でIT政策や科学技術を統括する「未来創造科学省」を置くことにしました。国民を何で食べさせるかを端的に示しています。日本にもそのような腹づもりが求められます。


2021/09/23

沖縄国際映画祭 2013

 ■沖縄国際映画祭 2013

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/11/16(土) 9:04ー


 初日のレッドカーペットには芸人、監督など550人が歩き、5.3万人の客が押し寄せたといいます。ここのレッドカーペットは、世界一長いんだそうです。8日間に渡るとても長いイベント。スポンサー企業は57社。期間中に9カ国からの74作品が上映され、コンペには20作が参加。観客動員は過去最大の42万人!

 実行委員長である吉本興業の大崎社長は言います。「毎日歌って踊ることを沖縄の産業にしたい」。そう、かなり沖縄色が強い祭になっています。会場の宜野湾市だけでなく、県内の41市町村を巻き込んで、沖縄の魅力を世界に発信しています。当初は本土からやってきた催しという見方もあったようですが、5回を経て、地元の信任を得た模様。今年から映画の鑑賞を全て無料にしました。賑わいも当然ですね。

 

 ただ映画を上映するイベントじゃないんですよね。マーケット機能や展示会場もあり、「ラフピータウン」には50の企業がブースを出しています。ブースも年々、本格的になってきていて、業界人だけでなく、親子連れで賑わうようになっています。

 今年から人材発掘のプロジェクトとして「クリエイターズファクトリー」を開始しました。監督、カメラ、俳優などの新星を見出そうとするもの。最優秀賞に輝いた「おだやかな日常」の杉野希妃プロデューサ+女優は、その次回作の制作を吉本興業が全面サポートすることとしています。

 世界中のコンテンツを日本に集め、発信する。基地問題で揺れる地域の活性化を図る。マーケット機能を創り出したり、人材を育成したりする。これって、国の仕事じゃないですか?

 ビジネスも作っています。サイバーエージェントのオークションアプリ「パシャオク」を使って、レッドカーペットをノンスタイルの2人と歩く権利を売り出したんですと。石田さんには10万円、井上さんには12万円がついたんですと。井上の方が高かったことに若干フにオチない点はあるものの、いい値がついて、ファンの女性が堂々と世界一長いレッドカーペットを歩いた。それを吉本興業は子どもダンス活動に充てるよう宜野湾市に寄付したんですと。

 コンペティション部門の審査委員長、バットマン・フォーエバーのジョエル・シュマッカー監督は、「こんな映画祭は他にない」と言います。映画祭の多くは、賞を与えておしまいの、芸能界の作り物っぽいものだが、沖縄は違うというのです。芸人も監督も業界も観客も、みんなで学芸会のように作り上げているお祭りです。映画もあれば、音楽も演劇も、ニコ動もパチンコもある。

 8日間だけの催しでもありません。同時に沖縄小学生映画祭というのが開かれ、7本の作品が上映されていたのですが、各地の学校を はんにゃやスリムクラブらが訪問してサポートして作ったものだといいます。郷土の魅力CMを作ろうという「JIMOT CMコンペ」というのも開催されました。これは、46都道府県+沖縄県41市町村から募集した1000を超えるアイディアの中から、87のプランを選定し、芸人たちとともに制作をするという企画。地域に密着して、時間と情熱をかけて、作り込んでいるわけです。

 発展を続けています。また来年。


2021/09/22

企業はネット炎上にどこまで責任が?

 ■企業はネット炎上にどこまで責任が?

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2014/2/1(土) 8:30ー


 昨夏は飲食店の炎上まつりでした。コンビニのバイトがアイスクリーム用冷蔵庫に入った写真をフェイスブックに投稿し、炎上。店は休業。ステーキチェーンのバイトが冷蔵庫に入った写真をツイート、炎上。店は閉鎖、損倍請求を検討。

 女の子だって負けてません。ピザ店の冷蔵庫に入った写真をブログに投稿、炎上。店は休業、食材廃棄、清掃・消毒。よく冷蔵庫に入った夏でした。猛暑でした。

 客が起こす事例も。金沢の餃子店で、客が全裸でカウンター席に座って写真撮影。店舗は営業停止、損害賠償を請求。客側は合意の上の行為と言っていたらしいが、警察は威力業務妨害と公然わいせつの疑いで2名を逮捕。民事だけでなく、刑事事件に発展しました。 炎上大国の日本。個人発信量が世界一多く、だからバルス祭りも起こる国。ビジネスや文化を産む副作用として、炎上は避けがたいのかもしれません。でも、対応策を講じなければ大変です。

 それにしても、こういう問題に企業責任はどこまであるんでしょうか。従業員がしでかしたことで、閉店に追い込まれる。損害賠償はどう考えればいいのか。いや、お客様が引き起こすケースもある。損害賠償と刑事の相場は。そのとき、企業責任は。

 チェーン展開している大企業ならまだ「リスク」として計算できるかもしれません。でも先日、バイトが洗浄機に入った写真がもとで、あるそば屋が破産に追い込まれましたが、経営の元さえ絶たれるような事態はリスクとして高すぎます。

 バイトが冷蔵庫や洗浄機に入ったことで閉店となるのも、私の感覚では行きすぎに映ります。しかし問題は、企業側の心持ちというより、消費者というか、ネット民というか、それらを含むぜんたいの空気感。安心と安全のためにはそこまで誠意を示さないとお許しをいただけないのではないかと、あっち側にもこっち側にも思わせる空気感。

 土下座を強要する半沢直樹社会。

 10月には札幌の衣料チェーンで店員に土下座をさせ投稿した女性客が逮捕され、大津で教師に土下座させた母親が逮捕されました。土下座を求める空気にも限界があり、だけど、それがどういう塩梅に落ち着くのか、落ち着かないのか、見通せません。

 一方、バイトや従業員は、つぶやき一つで、クビになるだけならまだしも、損害賠償を求められる可能性もあります。それも、この夏の事例では、2000万円だとか5000万円だとか、そんな数字が飛び交ってます。億ツイートなんてのも登場するでしょう。それはそれで行きすぎと思いません?

 会社の、あるいは従業員の責任限界について、あるいはコストの相場について、民事の事例や判例を待つ必要もありましょう。同時に、何らかのガイドラインを作成する必要もあるかもしれません。

 欧州では「忘れられる権利」が議論されています。ネット上のプライバシー保護を巡る新しい考え方です。日本でもこうした議論を始める時期です。一方、このまま放火や炎上が続き、応仁の乱の都みたいに焼け野原が広がるとなれば、プライバシー侵害罪や、いっそ「炎上罪」の必要性だって台頭しかねません。

 リテラシー教育が大切です。でも、ケータイからスマホへ、ツイッターからLINEへ、という具合に、ツールもメディアも年々変わっていきます。そんな状況で大人が知恵をしぼってもダメで、若いユーザが自分たちでリアリティーのある防衛策や解決策を体得していくしかないんだろうと思います。

 企業や役所のソーシャル利用ガイドラインにいくつか目を通しましたが、「間違いを正す」とか「他者に敬意を」なんてことが書いてある。リアリティーがありませんよね。

「炎上一発、クビ一生」

「炎上一発、一億円」

「炎上一発、即逮捕」

みたいなことを掲げたほうがいいのかもしれません。スキな方法じゃないけど。鎮静剤として。 

 企業にとって、炎上には、防火と消火です。防火のためにリテラシー教育。消火のためには素早いアクション。いずれもぼくらニューメディアリスク協会で対策を練っております。ご質問はぜひこちら事務局まで。

 http://newmediarisk.org/


2021/09/21

知財戦略:基盤整備と海外展開

 ■知財戦略:基盤整備と海外展開

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/3/23(土) 9:41ー


 知財本部のコンテンツ政策論議。2013年の知財計画をどうするか。

 本年の初会合で、デジタル化・ネットワーク化(基盤整備)とソフトパワー(海外展開)の2本柱で進めることが了承されました。

1 デジタル化・ネットワーク化

 デジタル化、ネットワーク化が本格化して20年。新しいビジネスチャンスが広がっています。

 特にこの10年間で、コンテンツが注目を集め、著作権法を改正してデジタル化に対応するなどの政策が採られてきました。しかし、コンテンツの利用や情報の生産は爆発的に増大する一方、コンテンツ産業は拡大するどころか縮小傾向にあります。さらに、この数年、マルチスクリーン、クラウドネットワーク、ソーシャルサービスといったメディアの刷新が起こっていて、デジタルやネットワークは新しい段階に入りました。

 その中で、日本のコンテンツ産業はプラットフォームのグローバル競争にも勝利できていません。教育、行政といった分野でのコンテンツの生産と利用も遅れています。

 世界的なデジタル化・ネットワーク化に対応して新しい産業と文化の発展を続けるためには、権利者と利用者の利害対立、ハードとソフトの対立といった構造を超えた、総合的な制度設計や新分野の創造が必要になっています。

 コンテンツを日本の経済と文化の原動力として推進するための戦略を実行すること。その政策のプライオリティを高めていくことが重要です。

2 ソフトパワー

 日本の現代文化は、クールジャパンとして世界の共感を得ています。その共感は、マンガ、アニメ、ゲームといったコンテンツにとどまらず、ファッション、食、伝統工芸、観光などに広がっています。さらに、工業デザイン、サービス水準、家族経営、生活様式、といった経済・文化全般に注目が集まっています。

 こうしたソフトパワーを経済成長につなげるために、海外市場を取り込むことが政府のミッションです。手法としては、メディアやイベントでの情報発信を強化するというアウトバウンドが第一。さらに、人も技術も取り込んで、日本を本場に、産業文化の増殖炉にするというインバウンドがもう一つ。

 コンテンツやファッションなどの競争力ある産業分野を横断する施策に政府も民間も力を入れるようになりましたが、本格的な成果が上がるのはこれから。成果を見せることが大事です。

 重要なのは、クールジャパンの力をきちんと認識することです。

 力には2つあると考えます。一つは「総合力」。文化の力、コンテンツやデザインを産み出す力と、技術の力、高品質な製品やサービスを作るものづくりの力、この文化力と技術力の双方を持ち合わせる総合力が、古来から培ってきた日本の強み。

 もう一つは、国民の、庶民の、みんなの力。「みんな力」。日本のポップカルチャーは限られた天才というより、みんなが庶民文化として育んできたものであり、いわばソーシャル力。ネットワークでみんながつながる時代は大いなるチャンスです。

 しかし問題は、その力を日本人が認識していないことです。

 Adobeの国際調査によれば、世界で最もクリエイティブな国は日本だという評価が圧倒的第一位だったのに対して、日本人だけが日本のことをクリエイティブだと思っていないという結果でした。そもそもクールジャパンという言葉も海外から入ってきたものです。日本が自らを評価したものではありません。

 自らの力や持ち物を点検し、評価しつつ、外に出て行くことが重要です。


2021/09/20

「みんな」の時代の「ひとり」を生むには

 ■「みんな」の時代の「ひとり」を生むには

ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/12/21(土) 9:05ー


 みんなの時代が来ました。

 2006年末、TIME誌はパーソン・オブ・ザ・イヤーを「You」とし、表紙にPCと鏡を掲載しました。鏡に映る読者一人ひとりがデジタルの力で威力を発揮する、だれもが主役になる時代。当時それはWeb2.0などと呼ばれました。

 その後、ソーシャルメディアが爆発的に普及しました。みんながつながって、みんなの声が社会に直接の影響を及ぼすようになりました。米大統領選を左右し、アラブの春をもたらし、ロンドン、NYCなど各都市の暴動を演出しました。

 日本はその「みんな力」「ソーシャル力」の高さを示してもいます。バルス祭りでツイート世界記録を達成して世界を驚かせました。初音ミクという、みんなが作ったり描いたり、演奏してみたり踊ってみたりしながらソーシャルメディア上で育てたスターがロンドン五輪の開幕式を飾る国際アンケートの1位を獲ったりします。シスコが今年2月に発表した調査結果では、日本のモバイルユーザが発信するデータ量は世界平均の5倍で断トツ1位だそうです。

 みんなの時代は、日本のチャンス、かもしれません。その力を維持し、発展させるべきです。 社会全体の底上げ、を図るべきです。

 一方、テレビが面白くなくなった、といいます。いろんな事情があるでしょう。でも、個がフルスイングする環境でなくなってきたことが大きな原因でしょう。

 先日、日テレの土屋敏男さんが、コンテンツに必要なのは「個の狂気」だと断じていました。コンテンツの魅力が欠けてきたのは、個が、狂気が、薄まっているせいもあるかもしれません。みんな、の中に、個が埋没しているのかもしれません。

 みんなの力では、できない。「ひとり」のもつパワーだけが突破できる、未知の空間。クリエイターは、その魅力に引き寄せられて、創る。

 みんなの底上げは、教育の領域です。でもウルトラな「ひとり」を生むにはどうすればいいんでしょう。ウルトラな「ひとり」がフルスイングできるようにするにはどうすればいいんでしょう。対策はあり得るんでしょうか。

 政府が唱えるように、高度コンテンツ人財を生むために、高等教育を整備する、コンテンツの制作を教える機関を充実することで、個の狂気が充満するか。そうは思えません。作れる「ひとり」は増えるでしょうけど、爆発する「ひとり」は別ルートから生まれそうです。

 ではどうする。わかりません。わかりませんが、新しい表現のジャンルを創り出してしまうほどの「ひとり」が生まれてくるのは、何らかの環境や土壌、何らかの環境の条件があるのではないかという気がします。

 近代絵画での印象派の出現。ファッション界でのココ・シャネル。映画でのゴダール。ポップミュージックでのビートルズやセックスピストルズ。マンガでの手塚治虫、つげ義春、大友克洋。ゲームでの宮本茂。

 そのジャンルの本場で、それまでに出来上がり膠着した表現様式を、ぺろんとひっくり返して新ジャンルを生み出す、つまりパンクですが、そういう「ひとりひとり」が生まれてくる条件ってのが、ありはしまいか。

 ソーシャルメディア時代のパンク、それはまずフェイスブックやツイッターやLINEを生み出したメディアイノベーターたちが当てはまるわけですが、その上での新しい表現を打ち立てる「ひとり」ってのはどういう人が、どこから生まれてくるんですかね。

 「みんな」の時代の「ひとり」を生む算段、それをこれから考えてみたいと思います。


リアリズムの田中角栄

 ■リアリズムの田中角栄 ーYahoo!個人「今日はこのへんにしといたる」2013/9/7(土) 11:30ー  早野透著「田中角栄」を読んで、改めて田中政治って何だったのかなと考えています。  毀誉褒貶のチャンピオン。金権政治、官僚操縦、数々の議員立法を通した政策マン。評価はさ...